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Tele「包帯」オフィシャルインタビュー/初のタイアップに挑んだ理由、そして「ベイビーわるきゅーれ」との奇跡的な巡り合わせを語る。

2024年9月4日、Teleの新曲“包帯”が配信リリースされた。この曲は、ドラマ「ベイビーわるきゅーれ エブリデイ!」のエンディングテーマに起用されており、Teleがタイアップに挑むのは今回が初めてとなった。今回のインタビューでは、まず、彼が初めてタイアップに挑もうと思ったきっかけについて聞きつつ、もともと温めていたデモから生まれた“包帯”と「ベイビーわるきゅーれ」シリーズの奇跡的な重なり合いに迫っていった。そしてTeleは、“包帯”を巡る話から派生して、今後の活動に向けた力強い意志を語ってくれた。この夏、初の日本武道館公演を含む全国ツアー「箱庭の灯」を完遂した彼は、これから先どこへ向かっていくのか。そして、何のために音楽を作り続けていくのか。今まさに始まったばかりの新章への期待が際限なく高まるようなインタビューになったと思う。



──先日、喜多朗さんは、Xで「タイアップに対して向き合うきっかけになった夜がある」という旨の投稿をされていました。まずはそのお話から聞かせてもらえたら嬉しいです。

もともと僕はタイアップは無理だと思っていたというか、僕は時間も守れないし、人からお願いされたことをそのとおりにやれる人間じゃないから、向いてないからやらないほうがいいと思って、ずっとタイアップのことは考えないでおいたんですよね。ずっと逃げて逃げて逃げてここに辿り着いた人間ではあるんですけど。

だけど、それこそ6月の武道館の1ヶ月前くらいですかね、ある先輩アーティストとお話しさせてもらう機会があって。話の流れで、その場にいた別のアーティストの方が、「本当はもっとこういうことやりたくて。」みたいなことを話していたのに対して、その先輩が、「たとえ自分がやりたいことを突き詰めてやったとしても、そこには絶対に他者がいて、そこからどう逸脱するかを考え続けて、仮に逸脱できたと思ったとしても、そこにはいつだってまた同じように他者がいて、どこまでいっても他者と向き合いながら音楽を作っていくしかないんだ。」と言っていたんです。その先輩は、ものすごく冷静に、ある意味で残酷な目で世の中を見ていて、けど同時に、きっと誰よりも深く世の中のことを愛しているように思えて。

僕はそれまで、タイアップをされているアーティストの方っていうのは、僕とはもう体の仕組みが違うというか、僕はその方たちのようには動けないよって思ってたんですけど、全然そうじゃなくて、当たり前ですけど、僕と同じ人間で、僕がそうであるように、悩み、葛藤し、血反吐を吐きながら戦い続けてるんだって気付いたんです。しかもその先輩は、僕よりももっと大舞台で戦っていて、きっと飛んでくる矢っていうのは、僕が想像するよりも多くて鋭いはずで。だったら、まだまだ小さな舞台の上に立たせてもらっているだけの僕のような人間が、想像力だけで膨らました恐怖に怯えて戦わないのは卑怯だなって思って。

その話を聞いた段階で、これからはタイアップとちゃんと向き合っていこうと決めて。その先輩と話を続ける中で、小手先のアドバイスをもらうのは全然違うし、それは敬意のないことだよなと思い、いろいろ自分の中で考え抜いた上で、「いっぱい考えて、いっぱい作るしかないんですよね?」って聞いたんです。そしたら、「そうだね。」って返してくださって。僕は今まで、世の中のことを愛せなくなるのが怖くて、どうか、どうか信じさせてくれって思ってたんですけど、みんな慄きながら戦ってんだったら、僕も、いっぱい考えて、いっぱい作るしかないんだって、その夜に思ったんです。ちょうど、武道館をやった後の動きについて考えていかなきゃいけないタイミングだったから、これからはタイアップをちゃんと視野に入れていこうって、その夜に決めました。

──すごく大きなターニングポイントになった夜ですね。

本当に、会うべきタイミングで、会うべき方に出会えた感じがして。いつも僕はけっこうそういうことが多いっていうか、自分の中に最初から答えがあって、それでも、その答えを出すことに怯えてて、出していいんだって思える瞬間をずっと待っていたりしていて。今回、その答えをすごく自然な形で出せて、それで、これからの活動のスタンスの角度を変えることができた気がします。

──そして今回、初のタイアップが実現しました。この“包帯”という曲は、前々から温めていたデモがあったということですが、完成に至る経緯を教えてください。

最初に「ベイビーわるきゅーれ」のタイアップのお話を知った時、正直、自分に合うのかなと思いました。僕は「ベイビーわるきゅーれ」が好きだったけど、一方で、死の扱い方が、この作品と僕の曲ではすごく違うから。「ベイビーわるきゅーれ」は、これは僕の想像ですけど、あまりしんみりさせないというか、死っていうものに対して過剰な意味合いを持たせないようにしてると思うんですけど、僕は死っていうものをずっと眺めて眺めて眺めてすがりついてるタイプの人間だから。食い合わせが悪いんじゃないかなと一瞬思ったんです。けど、ちょっとずれた見方で死を眺めてる曲がエンディングにあることによって、作品に奥行きが生まれたら、すごい面白いし、嬉しいことかもと思って。

──僕は、今回のタイアップの組み合わせを知った時、たしかに死に対する向き合い方は違うかもしれないと思ったんですけど、その一方で、ちさととまひろの2人と喜多朗さんが抱く、生に対する切実さみたいなものはすごく重なるんだろうなって感じたんです。

うんうん。ほんとそうだと思います。

──「ベイビーわるきゅーれ」とのタイアップが発表された際に、喜多朗さんが出していたコメントの中に、「アルバイトを7つ、クビになったことがあります。」という一文があって。ここに僕は、生きていくことに対する切実さを、さらにいえば、生きていくためには音楽しかないんだっていう切実さをすごい感じたんですよね。

僕は、生きるためにはこれしかないんですよっていうものに、ただただ流れ着いて音楽をやってるっていう感覚なので。もちろん、曲を書くことも、ライブをすることも、いろいろな人たちとミュージックビデオなどの作品を作り上げていくことも好きなんですけど、本当にいろんなところでダメでダメでダメで流れ着いて今に至るっていう。僕は、音楽をやりたいっていう気持ちよりも、続けていきたい、続けていかなければいけないっていう気持ちのほうが強いんです。だからこそ、ちさととまひろに対して、僕は勝手にすごい共感して。

──2人にとっては、生きていくためには殺し屋という仕事しかないんだという切実さですよね。

そうだと思います。さっき、死の捉え方は違うけど、生に対する切実さが近いっていうふうに言ってくれたじゃないですか。それを少し僕の言葉にすると、ちさととまひろと僕は、生に対する死の距離感が同じだなと思います。僕はわりと、けっこう人間って簡単に死ぬし、いつ死ぬか分からないと思っていて。そこにはいろんな理由があって、人っていうのは簡単にいなくなるので。僕もいつ死ぬか分からないし、日常のありとあるところに死が潜んでいる。

それこそ、この曲を書くきっかけになった話があるんですけど。僕は昔、けっこう家出をする子供で、小学生、中学生の頃、よくホームレスの人たちがいっぱいいる河川敷に行って寝泊まりしてたんですけど。今、僕たちは、世の中が複雑化しちゃって忘れちゃってるけど、生活をする、生きるっていうことは、死なないでいく、死なないでいることなんだ、って僕は思っているんです。すごい分かりづらいけど、生きるっていうことは、決して何かを成し遂げるために努力をすることとか、仕事を毎日やり続けることじゃなくて、根本で言えば、生きるっていうことは、死を避け続けること、どうにか死なないでい続けるっていうことで、それが生きるっていうことの本質だと思っていて。

河川敷って1日寝泊まりするだけでも本当に大変なんですよ。小学生とか中学生の頃の僕にはしんどくて、夏だったら暑いし、虫もいるし、冬だったら風が冷たくて、本当に凍えそうになって。自分が世の中と折り合いがつかなくて、逃げてそこにいるからしょうがないんですけど。生きることってぜんぜん簡単なことじゃなくて。僕たちは現代の社会生活の中でサクセスすることや、正しくあり続けることを求めるけれど、でも、生きるっていうことは、途絶えないっていうこと以上でも以下でもないって思ってるから。

きっと、ちさととまひろも同じで、殺し屋っていうのは、絶対にどちらかが死ぬ仕事ですから。死ななかったことによって、明日から生きられるんですよ、お金をもらって。それは別に僕たちも何も変わらない。

──もともと温めていたデモがあったということだったと思うんですけど、今のお話を聞くと、タイアップの話が出てくる前から、今の歌詞がほとんどでき上がっていたということでしょうか。

一切、歌詞が変わっていなくて。監督の坂元(裕吾)さんは、書き下ろしかと思ったっておっしゃってくださいました。

──《割れた電球の破片を金属バットで端にやる。》《ぐにゃりと歪んだ、足元の何か。》という歌詞から、ちさととまひろの殺しの現場の風景をイメージする人は多いと思いましたし、また僕は、《日々、絡まる譲り合いはコンセント積もる、埃の匂い。》という歌詞から、ちさととまひろが部屋でゲームをしたり配信で映画を観たりしている日常の風景を思い浮かべました。だから、もともとのデモから全く歌詞を変えていないというお話はすごく驚きです。

恐いですよね。みんな驚いてました。

──まさか、これほどまでの深さ、精度で、この“包帯”という曲と「ベイビーわるきゅーれ」がシンクロしていたんだっていう。奇跡的な巡り合わせを感じます。

周りのスタッフからは、今後はこんなにうまくいくことばっかりじゃないぞって言われていて。本当に、すごく個人的な曲だったので、うん、なんか、変な気持ちでした。なんだろう、アルバムの中に入るような曲だと思っていたんで。内省的な曲だし。

──個人的な体験から生まれた曲が、とある別のクリエイターが生み出した作品と重なるって、奇跡的なことのようでもありますが、見方を変えると、それぞれが別々のルートから、同じ普遍的な感情や景色にタッチしたっていうことだと思っていて。喜多朗さんは“包帯”を通して、阪元さんたちは「ベイビーわるきゅーれ」を通して、同じ場所に辿り着いたというか。歴史を遡ると、そういうタイアップの例も過去にあるので、なので、今回たまたまラッキーパンチが出てしまったから次どうしようと、過度に不安に思う必要はないんじゃないかと僕は思います。

ありがとうございます。そうですね、いずれにせよ、今回がラッキーであるということは胸にしっかりと刻んでおかなきゃという感じです。

──歌詞について一つ聞かせてください。サビに、《馬鹿げている世界を、踏み越える度に》《馬鹿げている世界を、振り返るたびに》という歌詞があって、この言葉は、この歌の主人公、もしくは、この歌を歌っている喜多朗さんが、世界に対して背を向けているからこそ出てきた表現なのではないかと想像しました。では、世界に対して背を向けて、どこに向かおうとしているのか。野暮な質問かもしれませんが、聞いてみたいと思いました。

この曲は、イメージしてる友達がいて。その子は実家が葬儀屋で、生まれた時から周りにずっと死があって。そして今は、市役所で生活保護の受給確認の仕事をしていて、話を聞いていると、それは人の死と向き合うことがとても多い仕事で。その子は、めちゃくちゃ明るくて面白い人なんですけど、でも僕からしたら、いつ溢れてもおかしくないコップに水を垂らし続けているように見えてて。最終的に、僕は、その子の、なんだろうな、川の底みたいな部分には辿り着かずに、うん、なんだろう、すごいずるい距離感で友達でいるんですけど。

先ほどの家出の話、河川敷でススキを踏み越えていた時の景色とこの話が自分の中で重なるんですけど、その子の、川の底みたいなところに辿り着くためには、いろんなものを踏み越えていかなきゃいけない。僕は、今後の人生を通して、誰かの心の底に辿り着こうとしたら、きっといろんなものを踏み越えていくんですよ。この歌で、世界に背を向けてるのは、いろいろなものを踏み越えて、世界が過ぎ去ったからなんです。

頂いていたのが、世界に対して背を向けてどこに向かおうとしているのかという質問だったので、それにお答えすると、世界を踏み越えた先、世界の反対側には、個人、僕が大切にしたいと思う人がいて、僕はずっと、その大切にしたい人の心の底に辿り着くために、いろんなものを踏み越えていくんですけど、そのたんびに、「痛いじゃないか。」「なんでこんなことをするんだ。」って、馬鹿げてる世界は言ってくる。で、僕は、世界なんかどうでもいいし、僕は本当に、自分にとって大切な人を大切にできればそれでいいんです。

──今の話を聞くと、喜多朗さんの2つの体験から生まれたこの曲が、「ベイビーわるきゅーれ」と深くシンクロしたことに改めて驚かされます。

最初、前半のAメロの歌詞はその友達の子のことを書いてて、その子の心の服をはいでいくみたいな感じで書いてた状態で1番のサビが終わって、いざ曲を完成させるって考えた時に、なんかそれはフェアじゃないかもと思って、2番で自分のことを書いて。それで、その子と僕、2人しかいない曲ができあがりました。

──先ほど、その友人の方の心の一番深いところにタッチする、というお話がありましたが、

でも、僕はその子にはそれができなかったって思っているんです。救いになれなかったというか。

──この歌の最後に、《結び目に僕はなれやしなかった。》という歌詞がありますね。

その子の記憶の節に、僕はいないんだろうなっていう感じなんです。

──続いて、サウンド面について聞かせてください。今回、カントリーテイストの、軽やかさがフィーチャーされた曲調になっていますが、どのようにこのアレンジに辿り着いたのでしょうか。

河川敷の景色が自分の中にあったので、風が吹き抜けていく、煙がファーってのぼるイメージで、このアレンジに辿り着きました。アンプで増幅されたエレクトロの音は、重心が落ちていくような感じがして、この曲に合わないんじゃないかと思って。

──歌われているテーマとサウンドの関係性の話で言うと、この曲は、常にうっすらと死の匂いが漂っていて、例えば、死というモチーフに即して、ヘビーなサウンドを鳴らす選択肢もどこかにあったかもしれないけれど、それでも喜多朗さんは、そうはしなかったという。

そのとおりで、死っていうのは別に特殊なものではなく、生活の中の一つで。しかもこの曲は、先ほどお話しした友人の子に対して書いたので、死を特別重く描いてしまうと、その子の日常の生活を否定してしまうことになりかねない。日常と非日常、生と死というように分けるのではなく、日常の中に生と死があるんです。

あと、レコーディングの話になるのですが、今回、高橋直希くんっていう、僕の1つ下の、ジャズ畑の本当に素晴らしいドラマーが参加してくれて。もともとDTMでデモを作ってた時は、シーケンスのドラムだから、全体的にもっと冷たいサウンドになってて、生活の中の死に近いというか、冷たい空気ではあったんです。ただ、彼にものすごくグルービーで有機的なドラムを叩いてもらったことによって、この曲に血が通ったというか、生きている曲になって、それが結果として、ドラマのエンディングで流れる上で良く作用したと思っています。

──今回の曲は、武道館公演を含むツアー「箱庭の灯」を経て、1発目のリリースになります。ご自身の中では、武道館公演を含むツアー以前・以降、もしくは、初のタイアップ以前・以降といった節目のようなものは意識されていますか?

武道館以前・以降ではないんですけど、なんだろうな、少し話が戻っちゃうかもしれないですけど、僕にとっての音楽は、生きるために必要で、本当に飯を食うために必要で、これ以外で僕は生活できなくて、だから、どうにかここにいさせてくださいっていうつもりでやってきたんです。なんですけど、6月に武道館をやって、僕にとっての音楽がそうであるのと同じように、生きていくために僕の音楽が必要だよって言ってくれる人がたくさんいることに改めて気付くことができて。「いやいや、そんなことないですよ。」って謙遜するのは、その方たちに対して失礼だなと思って。

その気付きによって、少しだけ冷静に自分の生活を見れるようになったんです。僕、自分のために自分のことをやってるといつも切羽詰まるんですけど、人のために何かやるってなると、けっこう冷静に考えられるタイプなんですよね。だから、誰かのため、とはいえ、それはどこまで行っても最後は自分のためなんですけど、誰かのために曲を書いてみるっていう状態に自分がなってきたっていうのは、武道館以降なのかなと思ったりします。

──最初に話してくださった先輩アーティストとの出会いの話もあったように、いろいろな巡り合わせがこのタイミングで起きたということですね。

もっと開けていく必要があるし、もう開ける準備は自分の中で本当はできていたということに、気付けたかどうか。それが、僕にとっての以前・以後で、別に何かを得たとか、何かができるようになったとかはなくて。ずっと前から持っていたものを、自分自身で認められた、というような感じです。

──誰かのために、という方向にマインドが広がった、変わったことは、ポップ・ミュージシャンとしてのとても大きな契機になると思います。

どこまで行っても自分のためではあるんですけど、だけど、ちょっとだけ、顎が上がったというか、視界が広がったのかなとは思います。

──来年の4月には、横浜アリーナ公演が控えています。

横浜アリーナはもちろん大きいし。いろんな尊敬するアーティストの方々が立ってきた舞台ではありますが、武道館の時にも思ったことなんですけど、そこにピークを持っていってしまったら、その先がなくなってしまう。僕にとっての音楽は続いていくものだから、いつだってその先があるので、そういった意味で変に肩肘を張りたくないなとは思っています。ただ、武道館を経て、僕はけっこう、ステージの演出が好きだなって気付いたので、今から既に横アリでは何しようかなみたいな感じで考えていて、もっと面白いものにしたいなっていう気持ちがあります。

──お話を聞いていると、とても良いモードに入っているように感じます。

クリエイターとしても、パフォーマーとしても、かつてと比べてタフになっていると思うので、それは止めないでいたい。循環していくようにしたいですね、横アリまで。今やりたいと思っていることが、横アリ直前に変わるくらい、自分の中のインとアウトの循環を速い状態で保ってたい。そのために、体力をつけて、もっともっとパワフルになりたいです。


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