本当にあった怖い話

本当にあった怖い話(通称:ほん怖)なんて
テレビの向こう側の話だと思ってたけど
まさか自分の身に起きてるなんて思いもしなかった。

小学校2年生から野球を始めました。

投げるの大好きだったし、
左投げってのもあって中学からはずっとピッチャー!

冷静にめちゃくちゃ投げたし
国際大会に出させてもらえるくらい
素晴らしい経験をさせてもらいました。



ありがたいことに高校は選ぶことができました。

そんなこんなでずっと行きたかった高校に入学。
内心、ここで5回チャンスがある
甲子園出たら俺めっちゃ凄くね
って思ってるタイプでした。

一年生の頃はすぐに三年生の試合で投げさせてもらったりと順調なスタート。
しかし、突然の脚疲労骨折。
1回目の甲子園のチャンスはここで終了。

センバツをかけた秋季大会。
それなりに投げてベンチ入り。
しかし公式戦で投げたのはほんの少し。
気付いたら2回目のチャンスも終了。

そんなこんなで冬トレ開始。
まじでついていけなかった。キツすぎ。
とりあえず走りまくって脚疲労骨折。

治ったのは冬が明ける少し前だから
負荷をかけるのもあまり多くはないまま
2年の春が始まりました。

実戦が始まってそこそこ投げれてて良い感じでした。
ここの時期に待っていたのです。
イップス様が。

毎年春には東海地区に遠征に行く母校。
その前日のことです。
雨が降っている中でのオープン戦。
中継ぎでの登板。
その頃の感覚では困ったらヒョイって投げればストライクなんかいつでも取れると思ってました。

ところが、その感覚がその日はなかったのです。
「やべぇ、投げ方がわかんない…」
こうなったらマウンドで大パニックです。
なんとか1イニング終了すると監督さんに聞かれました。
「どうした?いつもと違うぞ」と。
僕は正直に言いました。
「すみません、投げ方が分からなくなりました」と。

そのままブルペン直行です。
投げて投げて投げまくったけどストライクはおろかキャッチャーが座って取れる範囲にボールが行かない。
マジで思いました。「終わった」。

翌日からの遠征はなんとかサイドスローで対応。
遠征はそれなりにそれで投げれちゃったけど
学校に戻ってからはやっぱりダメ。

これが人生最大の本当にあった怖い話です。

コントロールにめちゃくちゃ自信があったし
投げればストライク取れると思ってたし
キャッチボールだって悪送球することも滅多になかった。
野球やってた人ならこの怖さ分かりますよね。

野球やってなかった方に向けて例えると
登り慣れてる階段で毎回躓くって感じです。
毎回です。毎回。

気をつけようがないから
いま思いっきりできることがあるなら
それを全力でやるべきですね。

次回は野球人生の続きから現在まで書きます。

長い文章読んでいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?