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自分にとって大切な話を、いつ誰に語るのか

ある人とはじめて対面してから18日が経った。

いまの自分が何を感じているのか考えているのか悩んでいるのか立ち止まる意欲はありつつ、目の前の出来事と環境変化量の多さによって、積極的な振り返りはあと回しにしてしまっている。

ソファでぼーっとyoutubeを眺める、ラジオを聴く、睡眠、足りない備品をAmazonで探す、クイックルワイパーで掃除をする、対角線の窓を開けて換気をする、セブンイレブンで買ったお弁当を食べる、エアコンもつけたりけしたり湿気を気にしたり、本棚のにおいを気にしたり、毎日していた散歩は、2回くらいしかできていない。

観たい演劇も参加したいワークショップもあるけれど、これ以上刺激や変化量を増やしてしまうと自分なりの健やかさが維持できなさそうなので、決まっているもの以外の予定は入れていない。

予定を入れず、どう過ごしてもよい日が週1日あることで自分の精神的安定にもつながる。学生時代のバイトも自分でスケジュールをコントロールしやすいものだけが長く続けられた。そういえば今の働き方もスケジュールは自分次第でどうにかできる。そうかそうかそうなのか。

これまでに「自分が休んだと感じられる」方法をたくさん試してきた。そのおかげで今こうやって振り返りができている。

仕事もできるだけ減らして、これからも大切にし続けたい考え続けたいと思えているものだけにしたのもよかった。断ってしまうのは勇気がいるけれど、大切にしたい仕事が多すぎるとすぐ自分を蔑ろにしはじめるので、断る。えらいよ自分。

自分にとって大切な話を、いつ誰に語るのか、どこでどのように表すのか、慎重でありたいのだなと気づく。この話をこの人にしたい、なぜならば今の自分が大切にしているけれど脆い部分でもあるから。大切なこの話をしてしまうことで、他者との関係性がそれなりに変わってしまうと思うから。大切な話の語り方次第で誰かを傷つけてしまうかもしれないから。「この人」がいてくれてよかった。

誰かにとっての大切な話を語りたい「この人」に自分がなったとき。そんなとき。聴き方の上手い下手とかを気にするのではなく、「この人」だと思いを寄せてくれた事実を噛み締めて、ただただ一緒に過ごしたい。

なんだか格好つけてしまったけれど、今はそれでもいいやと思いながら、ある人の寝顔を眺める。

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