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ツワウタコ
2016年2月8日 20:12
泉幸吉の歌に菓子を詠んだものはあるか。探していたところ、歌集『途上』に一首見つかった。食べたしと母が欲りする菓子のたぐひ衢(ちまた)にいまは賣らずなりたり昭和15年。父の春翠はすでに亡く、母の満寿は病の床にあった。彼女のことを伝える資料で私が目にできるものは春翠の伝記、住友寛一(春翠と満寿の長男)の文章、そして泉幸吉の短歌だが、とにかく物静かで自己主張をしない、おとなしい人だったようだ。春
住友春翠は、大正8年12月に茶会を催している。12代住友吉左衛門友親の追善茶会である。友親は春翠の奥様の父親だが、おそらく春翠とは面識がない。春翠が住友家に入ったのは、友親とそのご子息友忠が相次いで亡くなっって跡継ぎに困っていたためなのだから。さて、茶会には菓子が付きもの。この茶会で出されたお菓子は「銘初霜主好鶴屋八幡製」、干菓子は「紅白長生殿、京都虎屋製」だったことが、高橋箒庵の茶会記に記さ