児相38日目。「愛情タンクのエンプティマーク」
「トントンしてそこからシューって滑り台して」
僕には最初その意味がわからなかったんだけど、聞くと眠る時に胸をトントンしたあとにわきに滑るようにシューって繰り返すことだったらしい。家でそうしてもらっていたのか、それともそれが心地がよいのか、両側で眠ろうとする男の子二人にトントンしてシューをした。
入所していた子が退所して入所者0だった先週の自宅待機から一週間。その反動なのか今日は賑わいをみせている一時預かり所。今日は改めて子どもを育てることの大変さを身に沁みて感じた。四人の子どもたち。一人は部屋で漫画を読んでいたんだけど、残りの三人は僕が座っていると三方向からそれぞれ”僕を見て光線”を発する。
一人は「ねぇ、ちばちゃん」を繰り返し
一人は「抱っこして」と体を寄せ
一人は「ゲームしよう」と呼び止める
それぞれがやっぱり最大限の愛情を欲しているんだけど、きっとこれ、疲れ切ったママさんとか、余裕のない時の夫婦だったりしたらすべて蔑ろにしてしまうし、イライラするだろうしって思った。すべてには全力で返せないけど、余裕があればそれとなく上手に受け止められる。心の余裕が、食べながら着替えるみたいに効率よくさせてくれるんだけど、疲れていたり、助けがなかったり、余裕がなければきっとそれはできない。
もちろん、「お前らが勝手に産んだんだから産んだ責任でしっかり子どもを育てろ」という意見はあるのかもしれないけど、何かの事情で精神的余裕がなくなってしまって、なにもかもが嫌になってしまう親は多いと思う。
今、余裕がある人でも、いつ何時精神が余白がなくなるかなんてわからない。
余裕がなくなれば子どもたちに愛情表現が使えず、愛を受け取れない子どもたちは”愛情タンク”がエンプティになってさらに愛を求める行動や言動が増え、それが増えるとまた精神的余裕がなくなるっていう負の循環。その循環を断ち切るために、子どもたちは今、家に帰りたい気持ちを抑えてここにいるのかもしれない。負の循環を打ち切るためには親にも勇気がいるかもしれないけど、とても大切なこと。だから僕たち預かり所の職員がいるんだから。
あんなに喋り続けた子も、あんなに抱っこをねだってきた子も、最後までカードゲームをしていた子も、みんなぐっすりと眠った。子どもたちには親の余裕の有無なんか関係ないよね。でももし、子どもたちがここでなにかを感じることができれば、子どもたちがここにいることで親が何かを感じることができたらそれでいい。ただ楽しかったってだけでもいい。ここにいることに後ろ向きにならず、前向きになったらいいよね。めずらしく今日はちょっと疲れた。そっか。三方向から愛情機関銃を浴びたんだった。
いつも読んでくださりありがとうございます。いろんなフィードバックがあって初めて自分と向き合える。自分を確認できる。 サポートしていただくことでさらに向き合えることができることに感謝です。