ここらで自分の人生を振り返ってみる

このnoteはMoney Forward Advent Calendar 2019 🎄24日目の記事です。

初noteでこんにちは。MoneyForwardにジョインしてまだ2ヶ月弱の新参者、36歳のおじさんエンジニア @tsutsumimi-1209 と申します。

とりあえずやっとけ精神でアドベントカレンダーに参加表明したものの、特にキラキラした人生を送っているわけでもない私が、どんな記事を書けば良いのだろう。。と悩みましたが、キラキラした人生を送っていないからこそ伝えられる事を書いて見ようと思います。

この記事は「派遣エンジニア」としてキャリアをスタートした私が、これまでどのような経験を積み、どう言う思いでMoneyForwardへやって来たかを知ってもらう事で、特に私と似たようなキャリアからスタートしてしまい、いまいち一歩先に踏み出す勇気のない人に向けてお伝えできれば良いなと思っています。
「こんなタイプのエンジニアも働いているんだ」ぐらいのラフな感じで読んでいただければ幸いです。

まずは、MoneyForwardに入社するまでに自分の歩んできた人生のザックリとした年表です。

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第1章 学生時代

高校を卒業し、行きたい大学にも行けず、かと言って特にやりたいと思える仕事もなかった当時、「とりあえずまだ遊びたい」と言うだけの理由で入ったのが情報処理系の専門学校。当時は高校生から夢中になってやっていたストリートダンスに没頭し、特に勉強することもなく同じ名前のツツミ君に課題をやってもらうと言う最悪な適当人間でした。専門学生のクセに大学のサークルに入り、毎日練習に明け暮れる日々。特に上手い訳ではなかったけど、情熱だけは一級品でした。

第2章 就職活動

専門学校から推薦していただいた企業を選択し面接。1日で私の就職活動は終了しましたので実質就職活動していないに等しいくらいでした。新卒で入社した企業の業態はいわゆる「エンジニア派遣」。東京に本社があった為、生まれ育った福岡の地から東京へ移住しましたが、ダンスできるし一石二鳥!ぐらいの軽い気持ちでした。今思うと、それこそ高い意識で就職活動を行っていた大学生とは天と地ほどのモチベーションの差だったと思います。

第3章 派遣エンジニア時代

この頃は特に仕事に対して「プライド」だったりとか「自信」みたいなものはなく、「自分がしたいことのためにお金を稼ぐ」と言うスタンスで割り切って働いていました。

ただ、この時代にリーマンショックなども経験し、常駐先が見つからず、どんどん切られていく同僚も見てきましたので、内心では「そうは言ってもこのままではダメなんじゃないか?」と言う気持ちが芽生えていたと思います。

こんなスタンスでしたが、入社初期の案件で関われたフィーチャーフォン開発の経験のお陰で、モバイルデバイス開発関連の現場を途切れる事なく渡り歩いていけました。そこからスマホ時代への移行と共にAndroid開発の経験もさせていただけ、何だかんだで今の自分の基盤を築き上げることができました。これらの経歴は自分から切り開いたものではなく、たまたま最初に経験した案件からの繋がりだったので物凄く幸運だったのだと思います。

第4章 ダンス熱中期

私は特に凄い技ができたわけでも、凄いテクニックがあったわけでもなく、ただただ好きでダンスに熱中していました。仕事が終われば仲間と一緒に練習し、週末はイベントへ出かけ、休みの日はバトルイベントに足を運ぶ、そんな生活でした。

良い仲間に恵まれ、FullColorRecordsPEACE MAKER CREWkamata breakersと言う3つのダンスチームに所属しながら、色々なイベントに足を運びました。ただ、身体能力が特段良い訳でもはなかった私は、個人として活躍する事に限界を感じつつも、好きな仲間と好きな事をやる。そんな心地良い時間を過ごす為だけに惰性でダンスを続けていた面もありました。とても才能のある仲間達の中で自分だけ成長しない、自分はチームにとって邪魔なんじゃないか?と言うジレンマに悩んだ時期もありました。

そんな中でも、チーム内で自分が貢献できるポジションありました。それはチームの司令塔としての役割です。

個人での活躍に限界を感じていた私は、ダンスのチームバトルに力を入れていました。所属チームで様々な大会にも出ました。相手のチームを分析し、自分たちのチームが相手チームとどう戦うのか?ジャッジに対して仲間の個性をいかにアピールするか?どのタイミングで誰を出すのか?いかに仲間のモチベーションを上げ、いつも以上のポテンシャルを発揮させるか?常に戦略を考えながら臨んでいました。

全てがハマり、自分が描いたシナリオ通りに展開した時の快感。いつしかこの感覚が私の中でのやりがいに繋がっていました。この時の経験が、仕事を進める上においてもおおいに役立ち、そして自分のアイデンティティを形成してくれたと思っています。

↓せっかくなのでダンスを少し。

kamata breakers

PEACE MAKER CREW

Full Color Records


第5章 転機

転機が訪れたのは28歳の時。幸いにもこの頃、福岡支社へ移動させてもらえた事で学生時代から付き合っていた奥様とめでたく結婚する事ができました。現場のリーダーに1週間ほど休暇の許可をいただき、新婚旅行に出かけましたが、帰ってきてすぐマネージャーに呼び出せれ、このように苦言を呈されました。

「なぜ1週間も休みを取ったのか?現場に迷惑がかかるから、今回は仕方がないが本来ならそんな長期休暇は取るべきではない。」

私は派遣社員として現場に常駐していましたが、三次請けの立場だった為、元請けのマネージャーが決めた事に対しては有無を言わさず従う必要があったのです。※ 恐らく今ではこう言う事も少ないかもしれませんが。

この出来事で私は大きな不安に苛まれました。この先子供が出来たらどうなるのだろう?大切な家族と笑顔で生活していく為に、このままで本当に良いのだろうか?様々な事に関して、自分の人生における優先順位が大きく変わった時期でもあり、これをキッカケに、自分はこの先どのようなキャリアを積み、何に貢献し、誰にどう評価されたいのか?と言う事を真剣に考えるようになりました。

考えた末に、「どう考えても今の派遣会社のシステムでは自分の評価も給料も思うようには上がらない」と言う結論に至り、翌年から転職活動を開始しました。幸いにも派遣先で経験していたandroid開発の実績を買われ、当時、福岡発の自社サービスの開発を行うベンチャー企業だった「アイキューブドシステムズ」に入社する事が出来ました。

第6章 アイキューブドシステムズ時代

何せ今まで散々適当に過ごしてきたので、エンジニアとしての技術もたかが知れていたし、リーダーの経験さえもありませんでしたので、入社直後から自分がこれからどのようなキャリアを築き上げていくべきか凄く悩みました。

いわゆる「高校デビュー」のように「最初からポジションを取りに行く為のアピールしなくては!」と言う焦りと、ただただ「やらねば」と言う気合だけで、新しいAndroidプロジェクトのリーダーに立候補しました。

当時は物凄いスピード感でプロジェクトがまわっており、とても大きな規模のプロジェクトを短い期間で作り上げていた為、当然ながらたいした経験も知識もない私が円滑にプロジェクトを進められるわけもなく、案の定、途中で「ギブアップ」宣言をせざるを得ない状況に陥ると言う「洗礼」を浴びました。途中からはいちエンジニアとして特定の製品開発に関わる方向へとシフトさせてもらいました。

ここでの大きな挫折はこの後の大きな糧となり、どのように仕事と向き合っていくべきかと言う事を真剣に考えるキッカケとなった良い経験でした。

この時得た以下の教訓があったからこそ、その後の成長に繋がったと確信しています。

・自分が分からない事は素直に伝える事。
・言い訳はしない。全ては自分の実行力次第。あらゆるシーンを想定し、納得できる選択を行え、なぜ選んだかを説明できる事。
・なぜそれをやっているか理解する事。何が一番重要かを見極め行動し、何度も目的は何か?を問い直す事。

それから約2年間、これまでの遅れを取り戻そうと、プライベートな時間も知識のインプットにあて、私は愚直に自分が貢献できる事に向き合いながら仕事をしていきました。そして30歳の頃から、徐々に小規模プロジェクトのリーダーを任せていただけるようになりました。

リーダーを経験させていただいてからは、自分が作っているものを誰が売り、誰がサポートし、誰が使い、誰が品質を保証していき、結果自分がどう評価されるのか?と言う部分を凄く意識するようになりました。私の社会人としての本当のキャリアは30歳から始まったと言っても過言ではありません。

ただ、そんな中でも自分の中でずっとモヤっと引っかかる事がありました。それは、自分が関わっている製品の「売り上げ」です。「自分の開発した製品が会社の売り上げにどれほど貢献しているのだろう?」

アイキューブドシステムズでは主に「CLOMO MDM」と言う自社サービスを提供していました。当時iOSでは圧倒的なシェアを誇っていましたが、Android版は鳴かず飛ばずの状況が続いており、自分が貰う報酬に見合った成果が本当に出せているのか?と言う部分において、いつも悩んでいました。ユーザー満足度に課題があり、かつ売り上げに貢献していない製品を作っておいて、「自分の評価をもっと上げてくれ」と言えるのだろうか?と。

そんな中、「Android Enterprise」と出会いました。
※ Android Enterpriseの詳細は以下


Android Enterpriseに出会って私の中の仕事への情熱が一気に沸騰しました。ダンスに熱中していた頃のように、仕事もプライベートも常にこの分野の動向を追いかける事に時間を費やし、誰よりもこの分野を知っている人物でありたい!と思うようになりました。

ニッチな分野のオンリーワンになる
今では、国内では屈指のAndroid Enterprise有識者であると自負しています。

この圧倒的な知識を持って、直接お客様との交渉の場に出向いて貢献したい。と思うようになり、志願して「製品戦略」も兼務させていただきました。エンジニアとPMの二足のわらじで大好きなAndroid Enterpriseのプロダクトを作り上げて行き、その動きが売り上げ貢献に繋がって行く。とても充実した毎日でした。

それまでは一度も参加したことのなかったエンジニアのコミュニティに出て登壇してみたり、国内、海外、様々なカンファレンスに参加させていただいたりもしました。こんな自分ですがDroidKaigi2019で登壇するチャンスにも恵まれました。

Android Enterpriseの経験が私のキャリアの幅を一気に広げてくれたのです。

ありがたい事に一定の成果も出す事ができ、気付けば7年半。この会社で色々なチャンスやチャレンジの機会をいただき、様々な経験をさせていただきました。感謝してもしつくせません。本当に成長させていただきました。

あと、退職エントリを書こうと思ってて書けなかったのでもう少しだけ。

アイキューブドシステムズは誰にでもチャンスを与えてくれ、とても働きやすく、納得のいく評価をしてくれるとても良い会社でした。検討している方はこの記事を参考にしていただければと思います。本当にありがとうございました!

MoneyForwardに転職を決めたキッカケ

人生の転機となった28歳の頃、自分の人生における優先順位もガラッと変わりました。

家族と笑顔で過ごす為にはどうすれば良いか?これを人生の最優先事項に位置付けた時、全ての行動を整理する指標になりました。

「柔軟な働き方ができる。自分がやりがいを持って挑める。貢献に見合った報酬がもらえる。」働く上で重要な要素も変わりました。

当然、今後の人生についても考えるようになります。

昨今、「老後資金2000万円問題」など、何かと「お金」について考える機会が増えてきた中で、これからの人生においてお金と真摯に向き合う必要がある、と思うようになっていきました。

ただ、いつどの程度のお金が必要か?は、「お金とどう向き合い、どう人生を歩むか」によって変わってくるのだと思うのです。人生をどうプランニングするのか?突き詰めていけば行くほど、個人的に凄く興味がある分野になって行きました。

「お金を前へ。人生をもっと前へ。」と言うミッション。お金と前向きに向き合い、可能性を広げることができるプロダクトを作る事でユーザーの人生を豊かにする。

自分が興味ある分野で誰かの役に立つ事ができる。これほど幸せな事はないだろう。これに尽きます。

細かいことを言えばまだまだ沢山ありますが、興味を持つきっかけになったのはこの考えでした。

入社して2ヶ月が経ちました。福岡拠点で日々Android開発に勤しんでいますが、決断して本当に良かったと思えています。

2社立て続けに素敵な企業に出会た事は、本当にラッキーで幸せな事です。

最後に

私の社会人としてのキャリアは順風満帆ではありませんでした。むしろ最初は落ちこぼれのキャリアから始まり、挫折し、奮闘しました。振り返ると、派遣時代のandroid開発経験。ダンス熱中期の司令塔の経験。全て今の自分を形成する為の重要な経験でした。

環境は何かをキッカケにガラッと変わると言うこと。行動する事に遅い早いはない事。自分で行動すれば局面はすぐに変えられると言う事。こう言う経験を経て、私は今のキャリアを築いてきました。

そして一つの圧倒的な強みを作り、そこを起点にさらに強みを増やしていく事。これが重要なのだと思います。

自分にとって何が重要かがハッキリ分かっていて、現状が納得の行くものであればそれで十分ですが、もし、自分の今の境遇に嘆いてばかりで変わりたいけど動き出せない人。こんな私でも自分が納得行くキャリアを歩む事ができているのだから是非臆する事なくどんどん行動してみては如何でしょうか?

めっちゃくちゃ長くなってしまいましたが、自分の振り返りの意味も込めて、思いの丈を書きなぐってみました。最後まで読んで頂きありがとうございました。

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