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野球指導を始めたきっかけ③

前回の続き

龍谷高校へ入学をして、私は特待生で入学することができました。正直自信に満ち溢れていたので調子に乗っていました。

野球さえできれば良いんだろう的な感んじです。まあ、入学早々結果も出してた事もありショートでレギュラーを獲得しました。初めての大会でも5番ショートで出場。結果も出てチームの勝利に貢献し約5年ぶりの佐賀県のNHK杯への出場も決めた。

しかし、当時自分の野球人生で初めてこの人には勝てないと感じさせられた選手に出会った。

それは、明豊高校の今宮選手(現ソフトバンクホークス)でした。体格は決して大きくなく小柄で見た時の印象は、みんななんでこんな人に騒ぐんだろって思ってました。試合が始まり僕は今宮選手を見て目を奪われたのです。ショートを守っていて、三遊間の1番深いところからノーステップでアウトにしました。高校生であんなプレーできるのは今宮選手くらいですね。この日からファンになっちゃった。

良い刺激をもらい高校野球初めての夏の大会を迎えます。順調に結果を残すことができ、5番から4番に夏から任されるようになりました。

実は、人生初の4番です。しかし緊張とかプレッシャーは全くなかった。いい意味で勘違いでしたね。

2回戦で敗退し、新チームへ。

新チームなってからは、さらに調子に乗ってしましました。1年生の仕事もろくせず、先輩と変わらない時間に部室へ来ていました。その時は試合に出て結果残しているから良いだろっという思いで気にしなかった。学校生活は勉強は苦手で、辛かったのはすごく覚えてます。授業中は寝るし、喋ったりで本当に野球だけって感じで過ごしてたのです。

新チームになり秋季大会が始まり、打順は3番になりました。順調に勝ち進んで準決勝まで勝ち上がり、あと一つ勝つと九州大会への切符を取れます。しかし、ここまで今まで打ちまくっていたのがわずか1安打しか打てなくてチームメートのおかげで準決勝まで来れたのです。

そして、人生初のどん底に陥ります。

準決勝は、打ったか打ってないのか覚えていない。

負けた記憶しかない。

なぜなら、僕が1試合で4つもエラーをしてしまい負けました。

あの時の記憶は正直エラーしまくって負けた。これだけです。

先輩から、励まされたのはうっすら覚えてるかな?くらい。

今まであんなに自信があったのにメンタルは崩壊してました。

軽い、鬱状態でした。

その日は、家に帰りご飯も進まず部屋にこもって、一晩中泣いて一睡もできず次の日を迎えました。

自分なりに、答えが出ました。


本気で努力して守備もバッティングも上手くなりたい、、、


翌日、朝監督に伝えに行きました。

監督もびっくりでした。

理由を聞かれて、全て話をした。

監督には全力で引き止められた。


この後に監督からの言葉、思い、願いを知って

野球だけやっていれば良いんだっという僕にないもの、必要なものを教えてもらった。


ここから新しく自分が生まれ変わりました。

続きは、次回。

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