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イチオシです。写真との出会いやカメラマンとしての人生を振り返り中です^^
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#フォトエッセイ

ep.5 酷いヤツら。

僕には学生時代にサッカーに関わる活動で知り合った仲間がいる。もともとはBBS(年代を感じる!)での繋がりだったけれど、特に気が合ったメンツとは社会人になってからも縁が続いた。2003年か2004年だったと思うけど、この仲間で飲んだときのことだ。僕はお気に入りの写真を何枚かプリントして持参していた。S原さんに見てもらいたかったのだ。 S原さんは某大手スポーツ新聞社のエースとして、フランスと日韓のワールドカップで活躍したバリバリのプロカメラマンだ。口は悪いけれど、頭の良い人でア

ep.4 自信。

僕は写真がかなり下手くそだった。写真を学ぶために始めたバイト先の社員さんにも「こんな下手なやつ初めてみた」と言われるほどだ。2002年の夏前に漲っていた根拠のない自信は、夏が終わる頃にはすっかり失われていた。 そんなとき、T羽くんと出会った。各地に散らばったカメラマンは撮影が終わると、代々木にある事務所に戻ってフイルム整理をする。そこでよく見かけていたT羽くんは、背が高く真黒に焼けて目つきも鋭かったから、小心者の僕はまじでビビっていた。あのひと怖い、、と。 夏の終わりに池

ep.3 転機。

僕がサッカーに興味を持ったキッカケは、同世代の方も同じだと思うけれど、ドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜だった。日本代表のヒリつくような試合と劇的な展開、そして、それを伝える原稿に痺れまくっていた。この頃の夢はノンフィクションライターだった。 2001年4月。僕はバイク雑誌を手掛ける出版社に入社した。スポーツ誌を志望したけれど叶わず、それならばせめて編集能力だけでも身につけようと思ったのだ。 僕が次のステップについて考えるようになったのは、2002年2月だった。1年も保た

ep.2 出会い。

僕が写真と出会ったのは浪人生の頃だった。 子供の頃の僕は「お兄ちゃんとお姉ちゃんはできるのにお前はダメだなぁ」と小1で担任の先生に言われるくらい勉強が苦手で、小中と続けていた野球では何度か打席に立ったけれど、生涯打率ほぼ0割というなかなかの成績を残した。むしろ、思い出づくり采配で最後の一人として代打に出されるのを、苦痛に感じるくらいプライドだけは高かった(ちなみに守備練習が大好きでした)。そして、思ったことをそのまま口にだして、人を傷つけてしまうことが多かった。母からも「い

ep.1 作品。

2002年、ワールドカップの余韻がまだ残る暑い夏のころ、僕は本格的に写真を撮り始めた。ド素人だった僕はフォトエージェンシーで働きながら、週末だけ少年スポーツを撮るアルバイトを始めた。 社員さんから「こんなに写真が下手な奴は見たことない」と吐き捨てられるほど写真が下手くそだった。 そもそも週末にアルバイトを始めたのも、大宮サッカー場(現NACK5スタジアム大宮)で客席から撮ったフイルムを会社の人に見てもらったときの言葉がキッカケだった。 「自分で撮ったの? 見せてよ。へー