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#48 大人の正義より、子どもの学ぶ権利
昨今は、子どものコロナ感染が騒がれてしまっている。
なぜここへきて、子どもが犠牲にならなくてはいけないのだろうか。
前回のnoteでもお伝えした通り、子どものCOVID19感染は、いたって軽症だ。子どもたちにとっては、明らかにインフルエンザ以下だ。
成人の感染は、予防接種の効果もあってか、減ってきた。そして最後に子どもの波がわずかながら来ているのが現状である。いわゆる4種の「土着コロナウイルス」は、子どもたちの感冒の10-30%を占め、6歳までにほぼ全員が感染すると言われている。COVID19も、それらと同じところに近づいているように思う。致死率も明らかに下がっている。
そもそも、これだけ感染が広がった「風邪」の疾患を、人間の力でコントロールしようとしていることに無理がある。もう、自然の摂理に任せるべきである。というか、医療提供体制さえそろえば、それで問題なく対応できるはずだ。ここまで大騒ぎする必要がないところまで既にきているのだ。
でも、専門家(評論家?)は、この戦い?の負けを認められないだろう。
感染症を専門とうたう方々にとっては、感染制御ができないということを認めることは、あきらめるということ、負けを意味するのだから。
でも、その意固地に国民が付き合わされ続けたらたまったものではない。
だって現に、失業者が増え、生活困窮者が増え、自殺者が増えている。メンタル不調を訴える方も多い。これだけ我慢と言われ続けたら、ストレスもたまる一方である。
今回のコロナ騒動は、いつだってスケープゴートが作られ続けてきた。
「パチンコ店」「カラオケ店」「夜の街」「観光業」「飲食店」「酒類の提供」・・・・おそらくそれらを立てなければやってこれなかったのだろう。そうした皆さんには同情するし、この騒動を作った医療者の一人として、申し訳なかったと感じている。でも、でも・・・そうした方々と同様に「子どもたち」が犠牲になることに、大きな憤りを覚える。
なんら悪いことをしていない、健気に感染対策を徹底してきた子どもたちなんだ。暑くても校庭でマスクをしている子どもたち、手指消毒をし過ぎて手が荒れてしまった子どもたち、黙食と言われ給食の時間がつまらなくなってしまった子供たち・・・これらは間違いなく全部大人の責任である。
休校・分散登校の影響は計り知れない。オンライン教育も今や受け入れられつつあるのかもしれないが、実際に教室でしか学べないことはたくさんあるはずだ。
子どもたちには、学ぶ権利があるんだ。
インストラクショナルデザインの考え方では、人の行動変容のためには、
① 先生からの説明:1割
② 他人からの経験:3割
③ 自分の経験:6割 と言われている。
教室で、先生の説明を聞いて、友だちの意見を聞いて、友だちの表情を感じて、さらには自分の意見を述べる。自分で実際の経験をたくさん積む。
これらは、「学習」の基本だと思う。
コロナという軽症の風邪に対し、これらの機会が奪われていることは、明らかに割に合わない。
さらには、正義という名の大人の事情によって、子どもの学ぶ権利が奪われれているとすれば、本当に悲しいことである。感染対策という名の大人の都合よりも、子どもの未来の方がずっと価値があるように思えるのだ。
なんとか、子どもたちの「学ぶ権利」が守られるよう、声を上げ続けたいと考えている。