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日記#73「自意識のGAP紙袋」211230

・今年の大掃除は例年の数倍入り口と出口が見えなかったな。それくらい部屋に物が増えてしまい、要るものと要らないものの境目が限りなくうすーく引き伸ばされている。クレヨンの線を擦りすぎると線が曖昧になってくるからな。今度からは要る・要らないの線引きは彫刻刀で削り作るようにしよう。

・掃除の過程で初めてじゅんかんコンビニを利用したが、あんなにも「法外」なことってあるんだ。あの中に人知れず処分したいものなんていくらでも紛れ込ませることができないかと思ってしまう。人間の身体の一部くらいならどうぞ紛れ込ませてくださいと言わんばかりの激フリー状態に逆に構えてしまうな。そうした悪用がされるニュースが出回らないと言うことは徹底した対策がなされているんだろうけども。

・ミステリー小説で、「犯人は死体の処分にじゅんかんコンビニを利用していたのです!」と探偵が結論づけていたら嫌だな。どんなに巧妙なトリックが隠されていたとしても「じゅんかん」のひらがなの使いっぷりに腰が抜けてしまう。こんな気の抜けた要素を殺人事件に持ち込んではいけないのだ。


・駅を歩いているとFreak's Storeの紙袋をぶら下げて歩いている人がいたので「Freak's Storeで買い物をしたんだな」と思った。当然っちゃあ当然なんだけど、その人はFreak's Storeで買い物を楽しんだのだ。自分の身なりは思うよりも色々な情報を語っているのかもしれないな。楽器を背負ってれば十中八九その人はこれから楽器を演奏してくるor演奏してきたのであり、音楽を楽しんだ軌跡があり、そのような感性や好奇心が大丈なりともあるんだなーとか。

・こんなものは単に推察を繰り返しているだけだが、例えば人と会ったり観察することを生業としている人はこうした観察眼がずば抜けているんだろうな。顔つきや姿勢、服装、歩き方、喋り方などからその人の性質やバックボーン、あるいは体調等を即座に見抜く力、そうしたものが育まれていくんだろうな。料理人が料理を一瞥しただけで材料や調理過程や調理法がわかるように。

・ファッションを極めてる人は世界をがどのように見えているのか気になる。相手が発狂していない限り、目にする人間は全員衣類を身につけているわけだから、即ち自分の興味関心のど真ん中の物が常に目の前に情報として現れ続けるわけで、そうなるとその目と思考はどれだけそれに割かれ何を考えるのだろう。もしくは余程興味を惹かれない限りあまり何も感じなくなるのか。

・そういえばファストファッションの大物であるGAPは、「GAPの袋を下げて歩いていること、そのものがカッコいい」というブランドイメージを植え付けて人気になったらしい。appleなんかもまさにそうしたモデルだが、であればGAP黎明期の当時、自意識に苛まれてGAPの服を買えなかった人間がいたのではないか。

・例えば現代、Macbookを盛大に広げスタバで仕事をしているみたいなコテコテのワークスタイルがあるあるネタとされているわけで、そうなると「Macbookをスタバに持っていって仕事したいな……でも『そういうやつ』と思われるのもアレだな……」と、自意識からこの選択をできない人間は間違いなくいる。

・そうなるとGAPが流行った当時、「GAP買いたいけどGAPの袋ぶら下げて歩いているなんてもう、『そういうやつ』じゃん……」とGAPを開けなかった人間はいたであろう。当時は通販なんかも全く主流じゃなかったろうから、GAPを着たけりゃGAPの袋をぶら下げなくてはならないのだ。

・そう考えると、仮にファッションに自意識を持ち込んでしまったらだいぶ日々の生活がそわそわするだろうな。恐ろしいぜ。自意識から解放されよ。


・さてさて本日21時から忘年会だし、これから風呂でも行って身体を完璧にして出発するかな。

・年末ということは理解しているが、今年もやはりゆっくりせざるを得ない期間が長かったから、特別休暇するぜという感覚はないなあ。雪が降って寒い自粛期間といっても過言でないかもしれない。なんだそれ最悪だな。そういう意味では自粛期間が春〜秋だったのは不幸中の幸いだったかもしれない。

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