見出し画像

発言する習慣

週末、楽天TVでアンドレス・イニエスタのドキュメンタリーを見た。彼のことをよく知る世界有数のサッカー選手たちが、イニエスタについて語っているシーンで、FCバルセロナの元監督、ペップ・グラディオラはこう言った。

“彼はまるで闘牛士のようだ。闘牛士が牛をギリギリまで引き付けるように、彼は敵をギリギリまで引きつけてプレーの判断をする”

サッカーでどれだけ相手を引き付けてパスを受けても、闘牛に襲われるほどの危険はない。しかし、試合の重要度が高ければ高いほど、ピッチ上の密集した場所でパスを受けるのは怖いものだ。僕のようなサイドでプレーする選手は、背中にタッチラインがないとソワソワする。

世界屈指のミッドフィルダーであるイニエスタにとって、密集地帯でボールを受けるのは怖いことではない。なぜなら、怖さなんて感じなくなるくらいボールを受け続け、どこから相手が来るかを事前に見て、次の展開を予測し、思い通りにボールを扱う技術を身に付けたからだ。

仕事においても、偉い人がいる会議、大人数が参加する集会では、自分の意見を発信することが怖いと感じることがあるのではないだろうか。必ずしも大きな会議でなくても、組織に入って日が浅かったり、慣れない環境だったりすると、やはり怖い。

前職で同じ職場に7年間勤めていたので、こういう感覚をしばらく忘れていたのだが、転職して久々に仕事でこうした怖さ(緊張感)を感じることがある。

---

つい先日、会社の中で優先度の高いプロジェクトについて、Slack上でやりとりが行われていた。僕はそのプロジェクトを直接担当しているわけではないのだが、内容を理解しておくべきと思い、資料に目を通していた。

そこで、「これはもしかしたら間違いなのではないか?」と思われる些細な点を見つけた。大勢に影響はない小さな点である。この時、「これを指摘するべきか否か」という選択で一瞬悩んだ。「さすがにこんな所でミスは起きないよな、自分が間違っているのかな」と思い何度か確認した後、やっぱり間違えがある気がしたので、指摘してみることにした。

Akagi:「あの、ここの数字が間違っていないですかね?」
Yさん:「あーそれはこういう数字にするってことになったから」
Akagi:「そのロジックだと、ここが間違っている気が・・・」
Yさん:「あーたしかに。でもそれ、一つ古いのファイルを見てるね」
Akagi:「え、、、あ、、、すみませんそうでした」


チーーン

社会人8年目にもなって痛恨のイージーミス。昔から結構そういうところがあって、最近減ってきたかなぁと思っていたのに。。。「お前は不注意のミスが多い!」と何度も怒られた前職の先輩の顔が何人か浮かぶ。あー恥ずかしい。

こんな失態を世に晒して、「まー誰にでもケアレスミスはあるから、ちゃんと確認してから発言しましょうね」ということを言いたいわけではない。

一旦、自分の恥ずかしい失態は棚に上げて、自分ゴト化して意見を発信する習慣について考えた。

新入社員や新しい組織に加わって日が浅い人にとって、自分の意見を持って発信することは勇気のいることだ。間違えたり、見当違いなことを言ってしまったら、「自分はダメだ」と自信を失ったり、周りから「こいつダメじゃん」と思われているのではないかと落ち込んだりする。

そうこうしているうちに、少しずつ自分の意見を持たない、発信しない方が楽だと感じるようになる。本人が考えているほど、周りはその人の間違いを気にしていなかったりするのにもかかわらず、だ。

自分から主体的に発言したり、動いたりできない人のところに仕事は集まらない。そして、疎外感を覚えた社員はさらに自信を失ってもっと発言しなくなる。こうして負のスパイラルにはまっていくパターンは往々にしてある。

一度負のスパイラルにハマるとなかなか抜け出せない。そして、これは会社にとっても個人にとっても非常に不幸なことだ。誰も得をしない。

どんなことにも自分の意見を持つことは結構難しいし、疲れる。あらゆることを自分ゴト化して発言するためには、それについて調べたり、先を予測したり、考えを巡らせて自分にできることを必死で探さなくてはいけない。だが、この一連の流れを常に繰り返していると、少しずつ知識や考える力が養われていく。

前職で新入社員のころ、僕のインストラクター(マンツーマンで見てくれる指導員)から、常にこう言われていた。

“とにかく些細な疑問を見逃さず、それを一つ一つ拾い上げて疑問を解消すること”

今考えると、これがまさに自分ゴト化することであり、気づかなければ流れていってしまうようなことでも、自分ゴト化すると頭の中に残るようになる。更に、それを発信する習慣をつけることで明確に頭の中に刻まれていく。

この過程で当然、間違いは起きる。この歳になってまで、古いバージョンの資料を見るなどというつまらない間違いは犯すべきではないが(泣)、そういうのも含めてミスは必ずある。大事なことはミスを繰り返さないこと、そしてミスをしても恐れずに意見を発し続けることだ。もちろん、頭の中で深く考え抜いた上で。

一方、新入社員やオンボーディング中の社員をより成長させるためには、発言を受けた側の対応も大事だと考えている。間違えを犯した社員がどういう意図で意見を発し、どれくらい深い洞察力を持っていたか。それを判断した上で、前向きなミスに対してはポジティブなフィードバックを返す必要がある。

ちなみに、先日僕が凡ミスをした際の周りの反応はこんな感じ。

正直この場合は、前向きなミスというよりただの凡ミスなので、どちらかというと慰めに近いのだが・・・担当ではない業務でも主体的に考えて発言したという行動に対して、その結果が凡ミスであれ、こういうレスポンスが出来る組織・個人は強いと感じた(もう一度言います、自分のミスは棚に上げてます)。

実際、このフィードバックを受けた身としては「救われた」という感情が湧いて心理的安全性が保たれたし、「次回は絶対ミスらないぞ」という思いになった。これは一種のコミュニケーションスキルであり、リーダシップであり、組織の文化と言えるものだと思う。

---

イニエスタはきっと、幼少期に何度ボールを奪われても、密集地帯でボールを受けることをやめなかったのだろう。どうやればできるようになるかを考え、色んな工夫をしながら、恐れずにパスを受け続けたからこそ、得られたスキルなのだとと思う。

きっと、FCバルセロナの下部組織には、前向きなミスに対するコーチングのメソッドや文化も、しっかり根付いているのでは?と想像している。

僕の場合は、まずファイルのバージョンが最新かどうかをチェックしなくては、、、

慣れない環境でも必ず発言すること。質問でも良いし感想でも良い。それが自分ゴトで考えることに繋がるし、自分自身を律することにもなり、成長につながる。大切にしていこう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?