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◆小説◆ 刀をなくした刀鍛冶

9000文字程度。鎌倉時代を舞台にした時代劇。ずいぶん昔に書いたものを手直しました。

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 ぐつぐつ音を立てる、きのこの雑炊。
 いろりの火がよく燃えている。
 これを見ると、昔のことを思い出す。あんなたくさんの船なんて、これまでに見たことがない。そして、これからもないだろうよ。

 おれはここらではちょっと名の通った刀鍛冶でな。博多のシゲと言ったら、わかるものにはわかるだろう。なに、年寄りの自慢話だ。
 船の話はどこにいったか? まあそう急くな、物事には順序がある。
 御家人の雨宮様の口伝てで、おれは若くして宮仕えの刀工として召し抱えられた。あのような名誉は思い出すたび、今となっても胸が甘くなる。
 時代は戦乱をこえて、いくらか平穏であった。先の源平の戦など、浄瑠璃の伝説でしか聞くことはなかったものだ。しかし、刀の需要というものは一向に陰る気配がなく、おれはいくつもの刀を鍛え、生計を立てていた。

 刀というものは、ただの刃物ではない。
 よく斬れ、丈夫なものこそが名刀と呼ばれる。斬れ味に固執すれば脆い刃となり、鋼を厚くとれば鈍重な鉄塊となる。
 そりゃ、いい刀もあれば、失敗作も叩いた。本来ならば刀に銘を刻むところだったが、おれは気に入ったものにしか銘を彫らなかった。
 しかし生活を支えるためには、失敗作も売らなくてはならない時がある。出来のいいものは雨宮様に献上し、あまりよろしくないものは裏の道に通じた問屋にこっそり卸した。金になればなんでもいいという気持ちも少しばかりあったからな。
 そのせいか、たくさんの刀は打てないながら、作れば名刀を鍛えるという評が立った。実際、いいものも作っているのだから、あながち間違いではあるまい。事実、おれは二人でやるところの叩きを、全て一人でやっていた。銘を彫った刀は、備前の一文字にも負けぬと胸を張れるものばかりだ。雨宮様はそれを知ってか知らずか、お上に推薦してくれたのだ。

 おれが刀を打つことをやめたのは、御番鍛冶の刀を雨宮様に届けに行った時のことになる。御番鍛冶は、一年に一回、選りすぐりの刀工が腕によりをかけた一本を競うものだ。これに参加できるだけでも、一流に名を連ねたことになる。たいへんに名誉なことなのだ。
 おれは初めての御番鍛冶に気が浮かれていた。雨宮様も持っていった刀を見るや否や、太鼓判を押してくだすった。
 それは、この時のために取っておいた逸品だった。本当は随分昔に作ったものを、人手に渡すのが惜しくて蔵の奥に閉まっておいたものでな。どうしようもない刀が出来てしまった時など、夜に妻を起こさないように忍び起きて眺めたものだ。それは美しい刃だった。反りといい、匂(におい)といい、心まで奪われるように思えた。
 手放すのが惜しくもあったが、そういったものこそ誰かに見せたいという気持ちもあったのだろう。これを見てため息をつく人を見てみたかった。おれひとりの宝にするには、出来がよすぎたのだ。
 雨宮様は、その期待に応えてくだすった。刀剣をひらくと、ただ無言で半時眺めた。息を吹きかけないように顔を近づけて半時。遠目に模様を見て、また半時。
「シゲ、これは本当にいいものじゃのう」
 雨宮様の反応に、おれは内心ほくそ笑んだ。何か大きなものに打ち勝ったように思えた。この刀は、きっとお上も目を通すに違いない。備前や正宗のように、名刀として名を残すに違いないと思ったさ。
 帰りの道中、おれは笑みが止まらなかった。茶屋でひょうたんに酒を入れてもらって、ひょいひょいと飲みながら歩いた。あまりに顔がほころんでいたせいか、道ゆく人には気が触れたのではないかと思われたに違いない。

 家に着く頃には、丁度お日様が沈もうという頃合だった。いい香りのする煙が立っているから、魚でも焼いているのだろう。玄関でわらじを脱ぎ捨て、ほろ酔いのまま炉端に上がり込んだ。火にかけられている鍋をそっと開けると、きのこの雑炊が湯気を上らせていた。
 厠にでも行っているのか、妻の姿は見えない。おれは味見のつもりで匙を中に突っ込んだ。熱い雑炊をふうふうと冷ましながら口に放り込む。なんとも言えない味の幸福が、酒の入った胃を満たしていく。もうひと匙。器を汚さねば、小言を言われることもあるまい。ナアニ、匙はきれいに舐めてしまえばわからない。
 雑炊を肴に酒をちびちびと飲み始めると、もう止まらなかった。もうちょっと、もうちょっとと食べていくうちに、ずいぶん減ってしまったのがわかる。憎まれ口を覚悟して、おれはまたひと匙、雑炊を失敬した。
 しかし、遅い。用を足しにいくにしても、遅すぎる気がするナア。ひょっと、醤油でも切らして隣家まで借りに言ってるのではなかろうか。思ってみれば、確かに味が薄いような気もする。そして、あの口から産まれたような婆と長話でもしているんじゃなかろうか。
 帰ってきたら、ひとつガツンと言ってやらなくてはな。これでは、おれが味見してしまうのも無理はない。そう考えをめぐらせて酒をぐびりとやった時だった。
 襖を隔てた向こうから、物音が聞こえた。慌てて鍋の蓋を戻し、匙をきれいに舐めてそしらぬふりを決め込んだ。そうしてから、おかしな事に気が付いた。
 鍋に火をかけたまま、あれが隣家に長居するだろうか。火の始末には口うるさい妻のことである。あれはおれがたまに煙草を買ってくる度に、火事の心配ばかりする。
 くぐもった音が、再び聞こえた。今までこの気配に気付かなかったのがおかしなくらいだった。不穏な空気に、サァッと酔いが冷めてきた。おれはそっと襖に隙間を作ると、中を覗き込んだ。
 おれの作った隙間から光が射し込み、何やら緑色の紋様のようなものが目に入った。その紋様がうねうね動き回り、ゆっくりとこちらを向いた。それは、知らない男の背中の入れ墨だった。
 男はおれと目が合うや否や、枕元のものをひっつかんでひらりと抜いた。咄嗟に身を反らせると、襖を貫いて見慣れたやいばが頬をかすめるように突き出された。転がるように炉端まで逃れると、音を立てて襖が開かれた。
 憤怒の面をしたいかり肩の男が、湯気を上らせて睨み付けていた。その奥から、妻の悲鳴が聞こえる。男が刀を振り上げたのを見て、おれは咄嗟に鍋をひっつかんで投げた。
 鍋は宙空で蓋と分離し、男の身体に盛大にぶちまけられた。おれの裸足にも雑炊がひっかかり、男とおれは互いに悲鳴をあげて飛びすさった。それでも男は、おれに向かって飛びかかろうとしてくる。
 おれは炉端に尻餅をつき、熱い炭に手をついてまた奇声を発した。その手で灰を握り、迫る男に投げつけた。目に入ったのか、渋い顔で咳き込むと男は炉端に足を滑らせ、おれの上に倒れ込んできた。
 背中にはいろりの熱気が、腹には見も知らぬ男を抱きしめ、脂汗をたらしながら転がり逃れる。あとはもう、取っ組み合いだ。上になり下になりして、男を殴りつけた。きのこ雑炊の大火傷のせいだろうか。次第に男の息が上がり、おれは馬乗りになって組み伏せた。
 改めて見ても、本当に知らない男だった。縁もゆかりもあるどころか、この町内の人間ではない。乱闘でまげは歪み、肩から覗く入れ墨も火傷で赤くただれている。
「何者か」
 名を聞こうとすると、男はひきつった笑みを浮かべた。苛立ったおれは、再び顔を殴りつけた。それから妻を振り向き、強い憤りを込めて睨み付けた。
 妻は乱れた着物を軽く直し、襖のへりに手をついて立っていた。おれの視線に気付くと、潤いを帯びた目で見返してくる。いつの間に拾ったのか、手には男の取り落とした刀。そいつをゆっくり両手で構え直すと、ひといきに突いた。
 刃はおれの顔の横を通り、男の喉元を串刺しにした。床板まで突き刺さり、いろりの火を受けて墓標のようにゆらゆらと影を落としている。
妻はよろよろとその場に座り込み、しくしくと手で顔を覆った。
「そのひとが、無理矢理……」
「わかっている」
 妻の言葉が嘘かまことか、どちらかはわからなかった。ただ、おれも突然の事で頭がぼうっとしていてな。
 憶えているのは、その突っ立った刀に、おれの銘が刻まれていたこと。そして、頬にこの傷が走っていたことくらいだ。この傷が男によって付けられたものか、はたまた妻のひと突きによるものか、それすらもわからない。

 雨宮様の口聞きもあって、その男の一件は不問に処された。墨から見るに、いずれどこぞの罪人であったであろうから、特にその後も波風の立つような事はなかった。
 しかし町内でのうわさ話に花が咲き、おれが通りすがると「運が無かったねえ」と憐れみとも嘲笑ともつかぬ言葉をかけられた。
 それ以来、刀鍛冶というものから遠ざかってしまったおれは、昔のように細々と農業をはじめた。毎日、食っていくだけの生活になった。妻は文句ひとつこぼさずに、わしを助けて畑を耕し、種を蒔いた。
 やがて子宝を授かり、一時の平穏が家に訪れた。家族と過ごす毎日は、今と比してみても幸せな日々であったように思う。
 その頃のことであったろう。わしに再び、刀の事を思い出させる出来事があったのは。

「なあ、シゲよ」雨宮様はおれを屋敷にお呼びつけになると、親しげに酒の盃を勧めてきた。「今年も御番鍛冶がある。もう一度、刀を叩いてみぬか」
 その誘いに、昨年の御番鍛冶に出した刀の事を思い出した。途端に、頬の傷が疼きだした。忘れていた痛みであった。
「雨宮様、あの刀は、去年の刀はどうされたのです」
「うむ」雨宮様は少し言いにくそうに眉をひそめた。「あの刀は、大切に預かっておる。御番鍛冶には出せぬほどの出来であったがな」
 あまりの驚きに、おれは言葉が出なかった。惜しくなったのだ。雨宮様は、あの刀を自分のものになさるおつもりだ。
「構わぬであろう、シゲよ」
 おれは言葉を出せずに、うつむいていた。拳をしっかりと床に擦りつけ、歯を食いしばった。
「そのようにしていただいて、構いませぬ」
 何故か、畳に額を押し付けた。悔しさに涙が溢れてきた。気付かれぬように鼻をすすると、雨宮様が何か言葉を出すまで、そうしていた。
「ただ……その刀を使う際は、必ずお呼びつけ下さい」
 そう言うのが精一杯だった。刀を使う時になれば、あるいは雨宮様が命を落とすかもしれぬ。もしも刀を取り返せるとしたら、その時だろう。おれはそんな淡い期待を抱いて耐えるほかなかった。

 その機会は、意外に早く訪れた。
 同じ年の秋のこと。葉もまだ枯れぬ、晴れた日のことだった。博多の海を埋め尽くすように現れた、巨大な船団に街は騒然となった。元か、高麗かと、人々の噂は風よりも早く走り、街の守護にまで伝えられた。
 街道に沸いた聴衆をかき分けるようにして、おれは雨宮様のお屋敷まで急いだ。戦だ、戦だ、との声が聞こえる。大人からこどもに至るまで、どこかわくわくしたような、それでいてとばっちりのくる不安の入り交じったような、祭りの前のような不思議な高揚感をたぎらせていた。
 雨宮様は、帷子(かたびら)を身につけさせているところだった。腰には、あの刀がぶらさがっている。おれの姿を見ると、ばつが悪そうに笑った。
「シゲ、お前を呼ぶのを忘れていたな」
「はい、お約束ですから」
 おれはどんな顔をしていただろう。下心満面の笑みを浮かべていたかもしれない。おれはねだるようにもう一度言った。「お約束ですからね。お供させて頂きます」
「うむ」雨宮様は困ったような顔をして頷いた。「俺の軍目付を任せよう。丁度、その任のものが外していたところだった」
 軍目付とは、一人の武将についてまわり、その戦果を記録するもののことだ。当然、危険も伴うが、民間からの徴用は異例の大抜擢だった。おれは雨宮様の支度を待って、馬の手綱を使用人から受け取った。
 雨宮様の跨る馬を、先導して歩く。ごった返す人々が道を開けるのを見て、これから戦場に行くという事を改めて実感した。雨宮様も、恐らくは実戦の経験はないはずであった。それならば、いつぞや賊と格闘した、おれの方が経験はあると思った。
「好機、といったところか」
 雨宮様の呟きに、内心ドキリとした。浅ましい目論見が白日の下に晒されてしまったように思った。
「異国の軍勢が来ていることは、俺も伝え聞いていた。先日、対馬に現れたようだ。安穏としたこのままの生活では、俺は手柄をあげることができない。いつまでも下っ端の小侍止まりだ。これはきっと、好機というものなのだろう」
 雨宮様の言葉に、そっと胸を撫で下ろした。どうやら、おれのことではないようだった。左様ですね、と適当に相づちを打っておいた。
 赤崎の浜まで来ると、沖を埋め尽くすような船の軍勢が、目の前に広がっていた。そうさなァ……博多の漁船を、全て浮かべてもああはならんだろう。おれは自分の狙いすらも忘れて、呆然と見入ってしまった。
 しかしそれでも、おれが戦うわけではない。戦いは、あくまでお侍様の仕事だからな。とばっちりを受けぬよう、雨宮様の様子を見ていればよかった。
 浜には、既に人垣ができておった。流れ矢に当たる危険を承知で、どこぞの町人や農民が、芋だの飯だの弁当片手に陣取っておる。こどもらも木の棒を手に、この後何が起こるかと目を皿のようにして様子を見守っておる。
他に大した娯楽もないし、これ以上の見物というものも他にないからだろう。あちらの船から聞こえるボーオオオ……という音と、人々のやれこうだ、ああだ、などという喧騒が入り混じり、大層賑やかだ。
 浜には数騎のお侍様の姿もあった。みるに、浜辺で小競り合いをしているようだ。
「少弐殿であろうか」
「いや、あれは菊池様だ」
 雨宮様の呟きに、民衆が訳知り顔で答えた。少弐様はこの辺りの守護代であったが、どうやらまだ到着はされてないようだった。菊池様たちは一足早く戦地に来て、武勲を立てようと言うのだろう。
「雨宮様」
「うむ……」催促するようにおれが言うと、雨宮様は低く唸った。「まだ状況がわからぬ。打って出るにはいささか尚早であろう」
 内心、怖じ気づいたのだろうと思いながら、なんとかおれの刀を取り戻す手段はないかと頭を巡らせた。合戦後は、このまわりを囲っている人々が死体から武具を剥いでいくに決まっている。敵味方の区別なく、金目のものは取り去られるだろう。
 雨宮様を見失ってはならない。他のものにあれを盗られるのは、絶対に避けたかった。
「我が名は竹崎季長!」
 群衆をかき分けるようにして、一騎の騎馬が抜け出した。続いて、三騎、四騎とその騎馬に続いた。わっと視線が集まる中、武勇で知られる竹崎様は大声で続ける。
「我が名は竹崎! 竹崎季長であるぞ!」人垣の前を弓を構えながら、かっぽかっぽと馬を流させる。「これより、一番駆けを行う! 我ぞと思うものは続け!」
 言うや否や、竹崎様は悠然と浜を駆け下りていく。鬨の声を上げながら、他の騎馬も続いていく。誰かが放ったかぶら矢が、ぴいいいん、と空を切りながら先陣を告げた。
「雨宮様!」
 おれは再度、催促した。
「うむ……」雨宮様は、興奮する馬をどうどうとなだめるように、ぐるりと歩かせた。「先陣は竹崎殿に任せることにしようか」
 その言葉を聞き、思わず咎めるように睨んでしまった。そこには、すっかり顔色を変えた雨宮様の姿があった。見ると、他にもまだ出そびれているお侍様たちの姿が、ここかしこで見受けられる。
 無理もない、と少しだけ同情の念を持った。あの軍勢だ。多勢に無勢。歌に聞こえた元の軍とあれば、尻込みするのもわかる。
 しかしだ。お侍様は戦うのが仕事ではないか。おれたち民草を守るという名目で、年貢をもらっているのではなかったか。おれは刀を作った。それを使うのは、お侍様の仕事ではないのか。
 だんだん苛立ってきた。先ほどの優越感も湧いてきた。おれの方がずっと勇敢に戦ったのだ。
「いや、まだだ。まだ……」
 うわごとのように繰り返す雨宮様に、もう我慢ができなくなった。頬の傷が無性に疼く。そっと雨宮様の後ろに回り、馬の尻を思い切り蹴りつけた。
 ひいん、と悲鳴をあげて馬が暴れ出した。雨宮様は慌てて手綱を握り締め、馬の首にしがみついた。
「雨宮様、今です!」
 おれの掛け声が聞こえるのが先だったか、馬は暴れながら駆けだした。おれは必死で後を追う。落馬でもして負傷してくれたらしめたものだ。そう思った。
 ひゅうん、と音がして、とつぜん地面が破裂した。
 矢ではなかった。いや、矢が破裂したのだ。
 雨宮様は、うっ、と悲鳴をあげ、馬からもんどり打って転げ落ちた。
 飛んできた矢はひとつだけで、どうやら流れ矢のようだった。近くにいた観衆が、わあっと声をあげる。
「てつはうだ!」
「てつはう!」
 聞き慣れない言葉だった。どうやら、先ほどの矢のことらしかった。暴れ馬が離れるのを待って雨宮様に駆け寄る。息はあるようだ。仰向けに起こすと、呻き声をあげた。
「何者だ! シゲか!?」
 雨宮様は目を痛めてしまったようだった。先ほどの矢のつぶてが当たったのであろう。目のあたりが真っ赤に落ち窪んでいる。
 おれの姿は見えていない。おれの姿は見えていない。
 おれは無言で雨宮様の腰のものに手をかけた。引っ張るとするりと抜けるはずのそれは、なかなか取れない。雨宮様が暴れるせいだ。
「誰だ! 貴様、戦荒らしか!」
 雨宮様の振り回した手が、おれの顔面を捉えた。鼻血を出しながらも、おれは刀を取ろうとする。これはおれのものだった。盗みでもなんでもないのだ。
 鎧帷子で動きが鈍い雨宮様は、次第に疲労で息を上げていく。しかし、刀は取れない。よく見ると、落馬の衝撃か、鞘が割れ、刃がぐにゃりと曲がってしまっていた。
 それを見て、へなへなと力が抜けてしまった。
 おれの傑作が。おれの宝が。
 見るも無惨な姿に呆然として、こんなものだったのだろうか、そう思った。
「渡さぬ、渡さぬ」
 熱に浮かされたように呟き続ける雨宮様と、顔面蒼白でそれを見つめるおれの姿。
 次第に味方の軍勢が増え、元軍と矢を交わし始めた。先ほどのてつはうも、いくつか近くで炸裂した。民衆はとっくに浜を離れ、もっと遠くで見守っている。信じがたいことに、元軍は武装していない人々も無差別に攻撃しているようだった。
「雨宮様、雨宮様!」おれは気を取り直して、雨宮様を抱き起こした。「ここは危険です、早く離れないと」
「ウム……。シゲ、シゲか。いいところに来た。目が見えず、難儀しておったところだ」
 雨宮様に肩を貸すように、じりじりと繁みの方に歩いていく。重い甲冑は、そこらに脱ぎ捨てさせた。しかし、雨宮様はあの刀だけは手放そうとしなかった。
 繁みの暗がりには幾人もの人がいた。負傷したもの、それを狙う物盗り、見物人などだった。ようやく辿り着いても、そこで民衆にとどめを刺されてしまうのだ。それが元の兵士だろうと、味方だろうと、関係は無かった。
 たちどころに数人の男が群がり、おれと雨宮様は囲まれてしまった。
「シゲ、どうした」
「賊です」
 おれの言葉に、雨宮様はまた唸って、観念したように黙り込んでしまった。
「待ってくれ」じりじりと間隔を詰めてくる彼らに、おれは手を振って応じた。「頼む、どうか命だけは」
 その言葉に、頭領格の男が顎をしゃくって合図をした。
「帷子を置いていけ」
 おれは雨宮様の帷子を脱がせにかかった。雨宮様は大人しく言うことを聞いて脱がされた。
「腰のものもだ」男の言葉に、雨宮様はびくんと身体を震わせた。
「雨宮様、仕方がないのです。雨宮様……」おれはぶつぶつとそう呟きながら、雨宮様の腰のものを外して地面に転がした。折れ曲がったその姿は、いかにもみすぼらしく、かつての美しさの面影もない。
「服も脱いでいけ」
 男に言われるまま、おれと雨宮様は裸になった。文字通り、褌一丁である。秋の最中のことだった。ぴゅうぴゅうと、普段なら心地いいくらいの風が、裸の二人をからかうように吹いていた。

 元軍は一時、撤退したと噂に聞いた。
 なんでも、神風が吹いて元の船団を沈めてしまったと聞いたが、どこまでが本当かわかりはしない。空を飛ぶ風神と雷神を見たものもいるとの話だった。
 雨宮様はすぐに手当てを受けられたが、残念ながら視力は回復しなかった。すっかり意気を消沈されてしまったご様子で、お屋敷に引きこもることが多くなった。
 たまにおれを呼びつけては、将棋板を向かいに話をした。雨宮様はそこそこの腕前だったが、盲となってしまった今では、おれにすら歯が立たなかった。口伝てで打ったりもしてみたが、王手ですよ、と言われるまで気付かないのである。
 時々、わざと手心を加えようとしたが、流石にそれには気付かれたようだった。しかし、気付かないふりをして、勝ったつもりになってくれていたようだった。
「シゲ、今回は俺の勝ちだな」
 そうやって寂しそうに笑う雨宮様は、それはおいたわしいものだった。
 そのうちに将棋を打つのではなく話をすることが主になってきた。
「竹崎殿も、気の毒であったな」
 雨宮様は呟くように言った。
 竹崎季長様は、先陣を努められたお侍様だ。武勲をあげられたというのに、報奨がなかったという。何かにつけ、そのことを触れ回るように言っておられる。それもそのはず、戦には勝ったものの、褒美となるはずの領地を得ることができなかったからだ。
 元との戦は様々な波紋を呼んだ。勝利したという喜びと、何も得られなかった虚しさと。
「シゲ、もう刀は打たないのか」
「わたしはもう、刀は辞めたのです」
「もったいない。お前の刀、なかなかの出来映えであったというのに」
 無力感に苛まれていたのは、雨宮様だけではなかった。おれの刀は元軍に破れた。悔しいというより、心にポッカリ空白ができたようだった。

 刀というものは、ただの刃物ではない。
 特に、おれにとってはな。
 大切で、愛おしく、誇り高く、また、罪深く、あさましく、虚しいものでもある。
 しかし、ナアニ、今となっては全てが過ぎたことよ。
 春は畑を耕し、芋や野菜の種を撒く。
 昼には妻のこさえてくれた弁当を食い、また、耕す。一振り、二振り。
 身体を動かし、土をいじっているのもいいものだ。何も考えずにすむ。心が落ち着く。こういうのも悪くない。家に帰ると、飯の支度が出来ている。
 ただなあ。この、きのこの雑炊だけはどうもチョットなんというか、いけねえよ。額の傷がうずいて、思い出させちまう。
 お前は刀鍛冶だろう、と。

(了)

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