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うるさいくらいに『原点回帰せよ』というメッセージを受け取って

昨日は、とある人のリーディングの結果が『原点に立ち返る』だったことから始まり、その後、原点回帰を意味する自分の誕生日の数字をレジの金額と時計の表示とで二回目撃し、さらに久しぶりに電話で話した友人にも「今、ちょうど原点に立ち返る時やな」と言われるという感じで、何度も『原点に立ち返る』というメッセージを受け取った。

正直、まだあまりピンと来てないんだけど、『こんなにわかりやすく、しつこいくらいにメッセージを送られたら無視できないぞ』ということで、今日は今後の活動を見据えた上で自分の原点をふり返ってみようと思う。

自分のための記録なので興味がある人だけ読んでもらえたら。

この世界の余白

原点回帰というキーワードで出てくるのは、わたしのキャッチコピーでもある『この世界の余白』という言葉だ。

わたしの言う「この世界の余白」は、『何か決まった役割があるわけではなく、その時の気分で自由に動くことで真価を発揮する存在。ただ、そこに居ることに意味がある存在』を指している。

たとえば、イベントの場だと、好きな作業であったりやってみたいと思ったことであれば手伝いをすることもあるし、何かのプロジェクトに参加すればアイディアマンになったり気まぐれに資料を作ったりすることもある。

でも、基本的には気が乗らなければ何もしない。ただ、その場で好き勝手に遊んでいるだけ。場合によってはエネルギー切れを起こしてぐったりしているだけのこともある。

そういう時は無意識のうちに空間を整える役になっていることが多い。意図的に何かをしているわけではなく、わたし自身の発する磁場のようなものが平和な空間を作り出しているらしい。
過去に、「まちまちが一緒の時は揉め事が起こりにくい」「一緒に過ごすことで枯れていた何かが満たされた気がする」と言われたことがある。

余白の原点

もっともっと過去を遡ると、仕事をサボって一日の半分くらいを遊んだり寝たり好き放題していた会社員時代や、同じく仕事をせずに部員とおしゃべりばかりしていた陸上部のマネージャー時代が思い起こされる。

稀に注意されることもあったんだろうけど、思い出せないくらいのレベルで、むしろ面白がっている人の方が多かったように思う。辞める時に「水流苑さんがいてくれたおかげで場の空気が明るかった」と感謝されたり。

コンビニでバイトをしていた時も、お客が少なくて遊んでいる時間の方が長かったし、大学内の生協で働いていた時も一部の時間帯だけ暇な売店の手伝いに回されていたしで、なんやかんや何もしなくていいポジションに置かれていた。

他に、もっと忙しい仕事を経験したこともあったけど、そういう時は決まってトラブルが起こってすぐに辞めざるを得ない状況になった。

過去のそういう事柄をふり返った時に、『そうか、わたしは余白的なポジションにいる時に、流れがスムーズになって自分自身も幸福を感じやすくなるのか』と理解した。

それが、自分のことをこの世界の余白だと名乗り始めたきっかけだった。

余白の本分からずれないように

なぜ、このタイミングで『原点に立ち返れ』というメッセージを受け取ったのか。今の自分に当てはめたらどうなるのか。

最近のわたしの活動軸は大きく分けて二本ある。ひとつはリーディング、ひとつはアート。
アートはそもそものテーマが余白だとして、気になるのはリーディングの方だ。ちょうど昨日、トラブルとまではいかないけどしんどい思いをしたところだった。

わたしは現在、ココナラで雑絵リーディングの新規顧客ゲットに励んでいるところだ。

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毎日、ぽつりぽつりと注文が入っていて、昨日もある方から雑絵リーディングの依頼をもらった。いつものように二、三、質問をした上でリーディングをして結果を絵と文で伝える。
いつもなら絵とメッセージに目を通した上で感じたことを聞かせてもらって、きちんと腑に落ちているかを確認。必要があれば補足などをして終了するのだが、この時はそうはいかなかった。

相手の方は目の前の問題でいっぱいいっぱいになっているらしく、メッセージを受け取ってもらえない。送った文の中には問いかけの言葉なども含まれていたのだが、それに対する答えなどもなく、ただ、『それは考えられない。どうしたらいいのか』と。(プライバシー保護のため多少、内容を変えてあります)

ここで伝えられることだけ伝えて終わりにすればよかったんだけど、つい、受け取ってもらおうと躍起になってしまった。
幸い、相手の方に『しんどかったら無理をせずにおっしゃって下さい。その場合はここまでで終わりにさせていただきます』と伝えてあったこと、割とすぐに『ここまでで終わりにして下さい』と言われたことで、お互いに深いダメージを負うようなことはなかったのだけど。
それでも疲れさせてしまったらしく、わたしの方も終わった後にぐったりしてしまった。

落ち着いてから振り返った時に、価値を受け取ってもらおうと必死になったことで無駄に消耗したなと思った。余白の本分からずれてしまったな、と。
経験を積んでリーディングの精度が上がったことで、いつのまにか『リーディングによって相手の中に何らかの変化が起こること』の対価としてお金を受け取っている感覚になっていた。
わたしにコントロールできるのはリーディングの結果をわかりやすく伝えるところまでで、それをどう受け取るのか、何らかの変化を起こすのかはその人次第だ。そんなところにまで責任を持とうとしたら、そりゃあしんどいに決まってる。

ここで『原点に立ち返る』という本題に戻ると、これからリーディングを広げていく上での心構えとして、自分の本業はあくまでも余白として存在することであって、リーディングはおまけだという姿勢でいることを徹底しようと思った。
そこからずれると、価値を提供しようと頑張りすぎていろいろと歪んでしまうだろうから。

リーディングに限らず、わたしの活動のすべてはおまけ、神様のひまつぶし。余白が本業のわたしは、価値を提供することよりも、わたしがわたしのままで周りの人たちと関わっていくことに重点を置く。アートやリーディングは、人と繋がるきっかけを作ったり場を共有したりするためのツールとして利用していこうと思います。

いつもサポートありがとうございます。 『この世界の余白』としての生をまっとうするための資金にさせていただきます。