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預言書を解読する男 その1

友人の田中俊吉が講演会の案内パンフレットをぼくに持ってきた。講演の主題が「悪循環社会を断ち切り恒星の輝きを放つ社会へ」というちょっと変わったテーマになっており、大体の想像はつくものの、演題からは俄かにその内容を推測しがたいものであった。

このような主題を付ける講演者はちょっと変わった人物ではないかと思い、パンフレットに書かれた講演者の名前を見ると、静川太三郎というあまり聞かない人物であった。どんな講演なのか気になり、わたし、大野五郎は田中俊吉と聴きに行くことにした。

田中俊吉は大学がぼくと同じで上智大学で学んだ親友である。彼は今、政府機関で働いており、ぼくは横浜で「大野進学塾」を経営している。

渋谷区にある七百名ばかりの会場には、ぎっしりと人が集まって会場を埋めていた。聴衆は講演者を知っており、スピーチに期待を寄せて集まってきたかのようであるが、僕は静川なる人物を知らない。魅力のある講演者なのであろうか。

講演が始まり、舞台の袖から講演者が姿を現した。スーツ姿の一見したところ何の変哲もない講演者であり、中央の演壇に進み出た静川太三郎は聴衆に向かって一礼、お辞儀をし、口を開いた。

「お集まりの皆さん、久しぶりに講演をすることとなり、皆様には大変ご心配をおかけいたしました。何しろ、胃潰瘍の病に侵され、開腹手術をして、お休みをいただいたわけでして、このようにまた皆様の前に立って講演できる幸せを感謝しておるところでございます。」

この挨拶からすれば、聴衆はほぼ静川太三郎のファンであり、彼は人を引き付ける講演をこれまで何回もやってきている人物だということになる。

「さて、わが静川家に代々伝わっている稀書については、皆さんにいろいろとお話ししてきた通りですが、江戸時代、元禄の世に、わが先祖の静川孫衛門が啓示を受け、その内容を書き記した『世を直せ、世を直せ』が、世の中の動きを預言して、ほぼその通りに時代が動いてきたということをこれまで皆さんに話したわけです。」

「おい、大野、これはちょっとした宗教団体みたいなところか。預言の解明でも聞かされるのかな。」

田中俊吉がぼくにこう言ってきた。

「まあ、黙って聴こう。どういう話が出てくるのか、面白い話か、面白くない話か、聞いてみないことには何も分からないじゃないか。」

ぼくは、静川太三郎が何を語るのか傾聴することにした。

「私は、孫衛門が書いた『世を直せ、世を直せ』の中の「悪しきめぐり」という箇所に注目し、それを掘り下げてみようと存じます。簡単に言えば、この言葉は、悪循環という現代の言葉に置き換えてもよろしい。」

「おい、五郎、やっぱり、預言書の解明だよ。悪しき巡りという内容を説明するんだ。」

「俊吉、黙って聴こうよ。悪循環社会の打破ということだから、それを聴こうじゃないか。」

田中俊吉が一々うるさく話しかけてくるのをぼくは煩わしく感じた。

「悪循環という言葉を聞くと、まず頭に浮かぶのは、貧困の悪循環ということであります。ヌルクセが言った「貧困の悪循環」であります。

これは、いわゆる、「低水準均衡のわな」と呼ばれているものですが、どういうことかと言うと、所得の低い国では、人々の購買力が低いので、そういった国に投資家たちは投資しようという気持ちが働かない。従って、資本の形成というものが難しく、生産性は低いままに留まる。だから、実質所得の向上もない。実質所得が低いということは貯蓄能力が低いということであり、ゆえに十分な資本形成は一向に進まないままとなる。だから、低い生産性状態からいつまでも抜け出すことができず、実質所得は低いままに留まってしまう。こういう悪循環が貧困の悪循環と言うものです。」

ぼくは、この講演者は相当な教養を備えており、有名大学で学んだ秀才であろうと感じた。国際経済学の権威、コロンビア大学のヌルクセなどを持ち出してくるところなど、高い学問性を備えていると思った。

「このような、いわゆる、貧困の悪循環といったものにより、世界はいつまでも先進国家群と貧困国家群のあいだの格差を埋めることが出来ない状態に陥るわけです。こういった南北問題がいろいろと深刻な問題を地球上に引き起こす要因になっていることを世界のリーダーたちは肝に銘じなければなりません。

私はハーバード大学のビジネススクールで勉強したので、アメリカを悪く言いたくはありませんが、残念ながら、アメリカをはじめ、先進国家はこの悪循環をそのままにしている元凶であると感じております。」

「五郎、これは経済講演会なのか。預言の解明と言うようなものでもなさそうだな。」

「田中、君の口は忙しいな。おまけに、どうしてそう単純なんだ。静かに聞けよ。孫衛門の預言とも絡んでくるんだよ。」

「わが家の孫衛門の古書に『大判は大判を吸い寄せ、貧は貧を呼ぶ』とあるのは、持っている者はますます持ち、持たざる者は持っている僅かなものまで失う、と言う意味に解することができますが、これは格差の拡大傾向を言ったもので、現代社会の深刻な一面をすでに預言的に元禄年間に警告したのであります。

もっとも、このような預言は、すでに2000年前にイエス・キリストがしておるのでありまして、孫衛門の専売特許と言うわけではありません。マタイ伝13章にそれは出ておりますが、『おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。』という預言であります。預言研究者の中には、この聖句を引用し、イエスは資本主義社会の到来を預言していたのだという人もあるくらいです。」

静川太三郎はこの講演を通して何を語りたいのか、ぼくは非常に興味がわいてきた。

「悪循環で、よく言われるものに、デフレスパイラルというのがあります。物価の下落と景気の悪化がスパイラル状態に進んでいくことを言います。簡単に言うと、モノの値段が下がると給料が下がり、給料が下がると消費にブレーキがかかってしまいます。そうなれば、モノが売れなくなるので、モノの値段がさらに下がってしまう。こういうふうに、デフレがさらにデフレになっていくという状態、そうなれば、ますます不景気になるという悪循環の状態、これがデフレスパイラルであります。」

ここまで話を聞いたところでは、非常に冷静な話運びで、静川太三郎の講演にさほどの落ち度は見つからなかった。なるほど、ハーバード大学で学んだエリートだと思った。

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