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不思議な言葉 その5

野田佐吉と妻の幸恵は、成田からデリーまで、ビジネスクラスを取って飛んだ。インドであれ、どこであれ、幸恵は夫と一緒に旅行できるという幸せそのものを噛み締め、この思いがけない夫からのプレゼントの喜びに浸っていた。幸恵は、アーグラのタージ・マハル廟以外は、どこに行きたいという特別な注文はつけなかった。タージ・マハルだけは何としても訪ねたかった。世にも美しいシンメトリーの建築美を誇るタージ・マハルを直接見ておくことは一生の思い出になるだろうと思った。

野田は妻に快適な旅行を楽しんでもらえるように最大限の配慮をした。しかし、野田は、心中、インドの貧しい地域の子供たちをしっかりと観察しなければならないことを計算に入れ、そんなところ、たとえばスラム街のような場所を妻も一緒に訪れ見聞してくれるだろうかと半ば心配ではあった。貧しい農村や都会の貧民窟のようなところに『だじばみ』の謎を解く鍵が隠されているようでならなかったからである。豊かさと対極の場所にあるのが、『だじばむ』子供たちの姿であると信じたからである。

インディラ・ガンジー国際空港に着いたのは、午後の四時ごろであった。空港の中は、モダンな作りで、インドを強く感じさせるものではなかったが、ひとたびビルの外へ出ると、早くもインド的熱気とも言うべき雰囲気がどことなく感じられた。インドの大地を包んでいる酷熱の空気は日本のものとは明らかに違っていた。

現地での案内人、ナレイン・シン君(三十七歳)が空港に出迎えに来てくれていたが、流暢な日本語で、にこやかに迎えてくれたので、野田は勿論、特に妻の幸恵がほっと一安心して、嬉しそうな表情を見せた。これから先、インドでの旅行は一体どうなるのか、不案内な異国の地で、熱中症にでもなって倒れ、旅行どころではなくなったら、何のための夫婦旅行かも分からなくなる。そういった不安を吹き飛ばしてくれたのが、案内人ナレイン・シンの出迎えであった。

ナレインは日本の企業に雇われ、IT関連の仕事を三年間、東京でやっていたが、インドへ戻って、自分の会社を立ち上げた。日本では、浦安にアパートを借りて生活していたが、そのとき、野田の会社が「GSD(グローバル・ソフト・デヴェロップメント)」という会社にソフトの開発を依頼したとき、日本人二人とともに会社を訪れたのがナレインであった。その時の縁が、このたび、大いに、役立ったのである。

「わざわざ、ナレイン・シン社長みずから出迎えてくれて、本当にありがとう。仕事が忙しいだろうに、今回は、私たち夫婦の十日間の旅行案内を務めてくれると聞いて、ただただ感謝しているところです。」

「いえ、それは私が言いたい言葉です。私は日本の会社で働いているときに本当によくしてもらいました。少しでも日本の皆さんに恩返しをしたいと考えているのです。私の国、インドを日本の方々に知ってもらうことは本当にうれしいことです。」

まことに、礼儀正しい好人物であった。彼はトヨタのヴァンガードを愛用していたが、その車で今回の夫婦の旅行のためにインド中を走ると言う。広いインドのこと、いくらなんでも、デリーを中心とする何百キロ圏内であれば、分からないでもないが、無理なところもあるだろう。たとえば、ムンバイなどへは飛行機で飛んだ方が早いだろうと言うと、それはそうだと言った。そのときは飛行機で一緒に飛んで、現地でレンタカーを借りましょうと言った。シンは自分の飛行機料金は自分で払うと言い、また、現地調達のレンタカー代もシンが払うと言った。金銭面に関してはご夫婦に迷惑はかけませんと言った。会社の経営もうまくいっており、お金の方は心配いりませんということであった。どこまでも、行き届いたやつだと、野田は感心した。平均的なインド人がどういうものであるか知らないが、ナレイン・シンに関する限り、パーフェクトであった。今回の夫婦旅行は神のご加護があると感じた。

インドは二十九の州から成っており、それぞれの州にはそれぞれの特性がある。多様な言語、多様な民族、多様な風土、ひと口では言い表せない混沌が、十三億人以上の人々の暮らしの中に感じられる国である。この国のどこを見るのか。たったの十日間の夫婦旅行である。ニューデリーのメトロポリタン・ホテルに予約しておいたので、まず、そこに着くと、ホテルのレストランで食事を取ったのち、カフェに移り、シンと野田佐吉、それに妻の幸恵の三人は、これからの十日間をどう動いたらよいか、特に、シンの意見を尊重しながら決めていった。

まず北部インドのデリーを中心として、周辺の観光スポットを三日間かけて見聞する。次に、西海岸のムンバイへ移動し、ムンバイを中心として、その周辺を三日間見て回る。次に、東海岸のハイデラバードへ移動し、その沿線を中心として三日間観光する。最後に、デリーへもう一度戻ってきて、オールドデリーなどを見て回る。それで十日間を費やす計算になる。

野田は、インド旅行最大の目的を忘れていなかった。それは、あの『だじばむ』なる言葉の解明である。インドの子供たちをどこでつぶさに観察する機会を得ることができるのか。おそらく、オールド・デリーでも、ムンバイの街でも、無数の子供たちが見られるに違いない。ITの都市へと進化を遂げたハイデラバードはどうであろうか。しかし、これらは都会である。街の子供たちはだじばんでいると言えるだろうか。田舎の子供たちも観察しなければならい。いや、むしろインドの田舎の子供たちこそ、だじばんでいるのではなかろうか。いろいろな思いが野田の脳裏を駆け巡っている。

翌日から、ナレイン・シンの運転するトヨタのヴァンガードは、観光スポットを目指して東へ西へ走った。ナレインは運転をしながら、インドについて、およそ彼の知るかぎりのあらゆる知識を語った。彼の口は、それ自体がインドの実際の旅行に匹敵するか、あるいはそれを上回るほどの知識量を流出させた。それにしてもインド人は多弁である。休むことなく、一日中でも喋っていられるのである。

インドの観光旅行は、抜群に楽しかった。それもこれも、ナレイン・シンという素晴らしい案内のお陰である。彼がいなかったならば、楽しさは半分、いや半分以下だっただろう。彼のお陰で最高のインド旅行となった。熱中症にかかったり、食あたりでお腹をこわしたりするようなことは一度もなかった。彼は初めてインドを訪れた人々が、インドでどのようなトラブルに出くわすかをよく知っていた。そんなことにならないように事前に一つ一つ注意をしてくれた。

妻の幸恵は、やはり、彼女の要望通り、タージ・マハルを訪れたときに、この旅行で一番の幸せを感じていた。そのあまりの美しさにため息を漏らし、絶句した。ムガール帝国の皇帝シャー・ジャハンが十七世紀、今からおよそ三百五十年前に、妻のムムターズ・マハルの死を悼んで建立したというこの建築物は至高至美の墓廟であり、永遠の輝きを放っている。

しかし、夫の佐吉はと言えば、頭の中から、『だじばむ』の意味を探るというインド旅行の目的を片時も忘れることなく、旅行の行く先々で、子供を見つけるやいなや、鋭く、子供たちの姿を追っかけているのであった。『だじばむ』の意味をひたすら求めて。

野田佐吉がインドの街という街で見たものは、数多くのストリート・チルドレンであった。物乞いをする子供たちの姿であった。これが『だじばむ』の意味か。だじばむとは物乞いすることなのか。どう考えても違う。物乞いする子供たちがだじばんでいるとは言えないだろう。

また、働く子供たちの姿が街にはあまりにも多く見られた。それは農村部でも同じであった。学校へ行かず、働いているのである。これが『だじばむ』の意味か。学校へ行かず、家計を助けるために、けなげに働いている子供の姿が『だじばむ』なのか。あるいはそうかもしれないという気もしたが、そうでないことはすぐにわかった。なぜなら、学校へ行かずに、家計を助けるために働くことが『だじばむ』なら、そのように簡単に説明できるのであるから、だじばむとは言えない。ほかの言葉で説明不可能なことが、だじばむなのだ。

デリーからアーグラへ向かって、幹線を走らせているナレインに、ちょっと脇道へそれて、農村地帯を少し走ってみてくれないかと野田は頼んだ。農村の子どもたちを観察しようと懸命であったのだが、綿花を摘んで農作業の手伝いをしている子供たちの姿、レンガ積みをしながら家作りを手伝っている子供、あるいは下の子をおんぶしている女の子の姿、大きな木の下の木陰に十人くらいの子どもたちが集まって何やら遊んでいる姿、学校への登下校と思われる子供たちの姿などを見たが、だじばんでいると思われる子供の姿はなかった。もっとも、だじばむが何を意味しているのか分からない状態で、だじばんでいる子供を捜すということ自体、矛盾であり、何とももどかしい感じが付きまとっているのだが、推理する以外に仕方がなかった。

野田佐吉は、意味の分からない『だじばむ』なる言葉の意味を解明するためにインド旅行をしている自分にふと疑問を抱いた。ほかの言葉で説明できないような子供の行為を見つけ出すためにインドまで来てしまったのだが、そのような、ほかの言葉で説明できないような行為を果たしてインドの子供たちはやっているのだろうか。そのような行為を見つけ出したら、その行為は『だじばんでいる』可能性が非常に高いのであるから、それを絶対に説明してやろうというのが野田の目的である。ほかの言葉で説明できないような行為を意味する言葉は一つもない。これが野田の確信である。何だかわけのわからない、簡単には説明のできない、怪しげな行為をしている子供を見つけたら、それがおそらく『だじばむ』なのだろうか。おそらくそうだろう。それを定義してやろうではないか。それを見事に説明してやろうではないか。ただし、問題は、そんなことをしている子供が、はたしてうまく見つかるのか。わけのわからない『だじばむ』というそんな行為が。

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