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金融資本主義の暴走:その一


金融資本主義の暴走:その一

「リーマンブラザーズ経営破綻の世界的な影響力」

 
2008年に米国で起きたリーマンブラザーズの経営破綻から世界中の株価が急落した経済危機は、「世界金融危機」と呼ばれる。なぜリーマンブラザーズは経営の破綻を招いたのか、その原因が明確にされなければならない。

世界金融危機(Global Financial Crisis、2007-2010)は、2007年9月から顕在化したサブプライム住宅ローン危機を発端としたリーマンブラザーズの経営破綻(リーマン・ショック)と、それに連鎖した一連の国際的な金融危機である。これが引き金となり、グレート・リセッションがもたらされた。

2007年の時点では不動産バブルの崩壊が問題とされていたが、バブル崩壊の影響で銀行や基金が破綻をしたため金融機関が問題とされ、さらに2008年には金融システム全体の問題に対処しなければならなくなった。

欧米を中心に世界各地へ連鎖的に広がり、その規模と速度は1930年代の世界恐慌を彷彿とさせた。
 
最も深刻だった2008年第2四半期から2009年第1四半期には、世界の資本移動の90%が消滅し、富裕国の資本移動は17兆ドルから1.5兆ドルへと減少した。

貿易にも影響し、世界貿易機関WTO)が統計を集めている104カ国の全てで輸出入が減少した。

2009年第2四半期の国内総生産GDP)は、国際通貨基金(IMF)が統計を集めている60カ国のうち52カ国で縮小した。全世界の失業者は2700万人から4000万人に達したといわれる。

2009年時点の銀行の損失推計はアメリカ1兆ドル、ユーロ圏8000億ドル、イギリスは6000億ドルであった。当時のイギリスのGDPはユーロ圏の23%相当でありながら、金融センターであったため損失が多額となった。

「破綻劇の最大要因は何か」

 
2008年9月15日のリーマンブラザーズ(米国の大手投資銀行)の破綻で、大混乱となった世界経済は、1929年の歴史に残る『大恐慌』以来の経済危機で、リーマン破綻から2週間で経済の血液と言えるマネーが凍結し、世界中の中央銀行による大量資金供給という輸血だけでは立ち直れない心肺停止の一歩手前に至った。

2000年代に証券化商品の発展と流行が人気を極めたこと、また、ノンプロの投資家(住宅ローンや証券化への投機的な機関投資家)が台頭したことなどが、リーマン破綻の大きな一因となったと言える。

米国のITバブル後の低金利局面では、証券化商品は高い利回りや安定性を求める世界中の投資家に支持された。証券化商品市場(その代表が住宅ローン証券化商品)が急拡大する中で、複雑な仕組みの応用商品や、担保の信用度が低い証券も大量に発行された。

しかし、住宅ローンや証券化への理解が浅いノンプロ投資家は、格付け会社の信用格付けを盲信し、積極的に投資に走った。

いろいろな金融商品を集めて、売れるような仕組みを作り、証券化商品とする手法は、投資銀行などが収益至上主義(短期に大きな収益を上げる)の思惑から金融工学の学者らを動員して発案したものであるから、その内容は、一般人にはよくわからないのだ。

こういう売買ゲームが、回り回って、金融機関の首を絞める結果になったことが、金融暴走によるリーマンブラザーズ破綻の悲劇に至ったと言える。

「不動産担保証券に潜むモラルハザード」

サブプライム住宅ローン危機によるリーマンブラザーズ経営破綻への対策により、2009年にはアメリカは何とか危機を乗り越えたが、国内の経済格差が拡大した。

ヨーロッパでは金融危機後に銀行の資本増強が進まなかったため、2010年に国債がもとでユーロ危機が起きる。金融危機対策やIMF支援の条件として緊縮財政を進めた各国では、国内で経済的困窮や社会不安を招いた。

世界各地で抗議活動が起き、政権交代や国際機関からの離脱、地域紛争の発端にもなった。

「ウォール街を占拠せよ」と呼ばれた抗議デモは、同様の活動が900以上の都市で開催され、イギリスでは国民投票によって欧州連合離脱が決定し、ウクライナとロシアの間ではウクライナ紛争が起きた。

金融危機の発生や拡大には、住宅ローンの証券化や低金利政策、シャドー・バンキング・システムなどが関わっていたが、最大の原因は住宅投資の需要減少にあり、そのもとをたどると住宅ローンに投資した人々の債務増加に辿り着く。

特に、サブプライムローンでは、返済能力を無視した貸付が以前から問題となっており、貸し倒れが増えたことで債務損失が増幅し、バブルが崩壊するシナリオは一目瞭然であった。

背景にあるのは、質の低いローンを証券化する方法として、トランチングが考案されたことである。

トランチングとは、住宅ローンを細分化し、リスクが異なる債券に分けてローンに対する優先順位を定める方法を言う。

トランチングが繰り返されて大量のMBS(不動産担保証券)が作られ、安全な証券として投資家に販売された。

投資家はリスクが低いと考え、格付け機関も保証していたが、実際には質が低くリスクの高い住宅ローンから作られていた。こういうモラルハザードが、結果的に、経済を狂わせる一因となるのである。

「金融危機は米国から欧州へ」

エンロンが2001年に粉飾決算で破綻したのちに金融機関への規制強化が検討されたが、実施されなかった。

規制が強化されなかったことが、各種のシャドー・バンキング・システム(非銀行金融仲介機関)が急拡大していく原因にもなった。

シャドー・バンクの資産額は危機以前の10年間に特に増加した。監督や規制を受ける銀行に属さないために、リスクの高い取引が拡大し、サブプライムローンに関わる重要な投資家として機関投資家が資金を供給したのである。

サブプライムローンの急拡大は2003年からであり、2006年頃にはすでに貸し倒れリスクが注目されていたから、打つべき手段は講じられてもよいはずであったが、ずるずると野放し状態で事態は悪化を辿る。

サブプライムローンの証券化はアメリカ国外から資本を集めることを目的としており、特に欧州の金融機関が深く関わっていたので、ヨーロッパ系銀行の国際業務は拡大し、ドルで借りてドルで運用する取引が8兆ドルを越えた。

ヨーロッパ系銀行は、2006年には新規の不動産担保証券(MBS)の30%を裏づけており、まさに、欧州はサブプライムローンのサプライチェーンとなり、ドルの資金調達のリスクを抱えていたのである。

米国よりも欧州の方が一層危機的で、回復にも時間を要したことが、その事実を裏付けている。

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