「ブルガリアより愛を込めて」その2
とんでもないブルガリアへの旅立ちとなった。EUの補助金を横領したブルガリアの国会議員某氏がマフィアに絡まれて、公金横領地獄へと陥っている事態を救出しようとする友人の国会議員ボリスラフ・フィンツィが、そういう困った事情の友人を抱えて、わたしを待ち受けているとはつゆ知らず、わたしは黒海沿岸の由緒ある街ヴァルナに呼び出され、飛んだのであったが、このことに関わることによって、私の人生はこれから一体、どうなるのかという不安を拭い去ることができなかった。
いろいろ事情を聴き出していくうちに、もっと多くのことが分かってきた。横領事件を起こしているボリスラフの友人の名前はドブリ・ナイデノフと言い、EUからの補助金を中心としてブルガリアの国内産業開発を担当する部署の責任者であった。
しかし、マフィアと繋がりを持つ政敵のゲオルギー・ババゾフが、ドブリの補助金横領の事実を把握し、それをマフィアに暴露して、ドブリを窮地に陥れてやろうと画策したということが背景にあったのである。ゲオルギーは産業開発の責任者の座を巡って、ドブリと争い、敗れたことを根に持っていたのだ。
どうしてボリスラフはドブリを懸命に守ろうとするのか、二人はどんな関係にあるのかが、それが私の大きな関心事であったが、その謎も解けた。ボリスラフの政界への道を開いてくれたのがドブリであったのだ。
ボリスラフとドブリは幼馴染で、非常に親しい間柄であった。アメリカのコロンビア大学で政治学を学び、卒業して、祖国ブルガリアへ帰ったボリスラフは、特に、どうしようという当てもなかったが、そのとき、ドブリと会って、いろいろと相談をしたのである。
ちょうど、ボリスラフが職を探していたときであったが、国会議員の一人が心臓発作で急死し、その穴を埋める選挙が近く行われるということであった。そこに立候補しないかというドブリの勧めをボリスラフは受けた。
選挙資金などいろいろと準備に協力を惜しまなかったドブリであり、また、ボリスラフがコロンビア大学で政治学を学んで帰国を果たしたという箔がついていたことも、ドブリの政治家への道を押す理由でもあった。
結局、選挙に出て、ボリスラフは対立候補を退け、国会議員に当選を果たしたのである。ボリスラフとドブリの関係はお互いの友情と恩義によって結ばれたものであった。
ボリスラフが、ドブリを窮状から何とか救い出してやろうとする心情は分からないこともなかったが、如何せん、相手はブルガリアのマフィアである。このような一連の事件の流れは理解できたものの、下手に手を貸して、わたし自身がマフィアににらまれるようなことなどには決してなりたくなかった。
翌日、わたしとボリスラフはホテルで会い、この件に関して、検討し合った。
「原田周三を頼りがいのある男として、ぼくはブルガリアに呼んだ。きみが協力を断って逃げ出す意気地なしではないことを祈るよ。きみは日本の武士道精神を体得した『さむらい』であると信じたい。どうだね。昨夜、一晩、じっくりと考えたきみの結論を聞かせてくれ。相談に乗ってくれるね。」
「そこまで言われたら、すごすごと逃げ出すわけにはいかないな。それで何か妙案はあるのかい。」
「ドブリ・ナイデノフを日本に連れ出し、日本に匿ってほしい。これが僕の結論だ。」
「何だって。日本に連れ出せだと!」
「そうだ。ドブリを日本に連れ出すことがきみの役割だ。そして、しばらく、彼を匿ってほしい。事件が解決するまで。」
「どういうことだ。」
「ドブリは事件の全容を全部、公表し、裁きを受ける覚悟でいる。僕がそうするように説得したのだ。ただし、そのことをドブリがブルガリアに身を置いたままやるということになれば、彼の命が非常に危なくなる。必ず、マフィアはドブリを殺しにかかる。
事件のそもそもの始まりが、政敵のゲオルギー・ババゾフとマフィアがつるんで、ドブリを追い込んだ事件であったことが判明すれば、ゲオルギーだって、ドブリの抹殺をマフィアに依頼するに決まっている。」
「それで、どうやってドブリを日本に連れて行けと言うんだね。」
「ブルガリアの産業開発に関して、日本からの投資をお願いするために、日本の政治家および産業界の何人かに合うという名目で、ドブリが日本を訪問する手はずを、ぼくの方で、すでに整えている。
周三、君はドブリと一緒に飛行機に乗り込んで、彼を日本へ案内するんだ。日本へ着いたら、君が知っている政治家や財界人の何人かにドブリを合わせ、ブルガリアの産業開発についてドブリに話させるんだ。
その報告書を作ってドブリはブルガリア大使館へ届ける。日本のブルガリア大使館からブルガリア本国へ報告書を届けるようにドブリには言ってある。ドブリは帰国のチケットを取っているが、帰らないで、日本のどこかへ姿をくらますことになる。
そこで、君が責任を持って、ドブリをどこかへ匿う。日本でドブリは行方不明になってしまったというストーリーだ。わかったか。いいね。」
「ううん!やってみるけど、どこに匿うかはぼくに任せるというわけだな。困ったなあ。どこに匿えばいいんだ。見つかったら大変だからなあ。」
「君を信頼しているよ。とにかく頼むよ。見つからないようにうまく匿ってほしいんだ。この件、受諾してくれて、心からお礼を言うよ。」
「わかったよ。ああ、ブルガリアに来るんじゃなかったなあ。やばいことを引き受ける羽目になってしまった。だが、まあ、いい。親友の君からの頼みを断るわけにはいかないさ。」
こうして、わたしは友人のボリスラフ・フィンツィの厄介な頼みを引き受け、問題の国会議員ドブリ・ナイデノフを伴って、飛行機に乗り込んだのであった。
ローマを経由して、日本の成田へと向かったアリタリア航空機は、予定通りに日本の成田へ着いた。ファーストクラスに隣り合う座席を取った私とドブリは、問題の案件には少しも触れず、ブルガリアや日本のことを、一般的な話題に絞って会話を交わした。
ドブリの印象について言えば、彼は非常に太っていた。身長は見たところ、176、7センチぐらいで、眼鏡をかけており、髪の毛は薄かった。ファーストクラスで出される食事は、美味しそうに、さっさと食べて、新聞に目を通すのであった。まるで、自分に関する何らかの記事が、どこかに記載されているのではないかといった疑いの目で、新聞の一ページ一ページを見ているかのようであった。
そういう不安も、一応、打ち消された安心感の中で、アリタリア航空機は、日本の成田に無事に到着したのである。
わたし原田周三が、飛行機の中で考え続けていたのは、勿論のこと、ドブリ・ナイデノフをどこに匿うかという一点であった。東京都内は少しヤバい感じがした。東京を少し離れた方がいい。そうなると、山梨県あたりか。
ちょうど、河口湖のほとりでホテルを経営する中川幸吉のことが思い出され、この期間、問題の決着を見るまで、中川が経営するホテルに匿ってもらうのが一番いいという思いが、揺るぎないものとなっていった。
わたしと中川幸吉の関係は、どのようなものなのか。二人は、故郷が同じで、長野県の諏訪市で生まれ育ち、諏訪清陵高等学校で学び、わたしと中川は、一緒に、早稲田大学に進んだ。早稲田を出た後、わたしはコロンビア大学に進み、ボリスラフ・フィンツィと親友になったことは書いたとおりである。
一方、中川幸吉は、父親から資金を提供してもらい、川口湖畔でのホテル経営に乗り出した。二人の背景は、そういうふうになっていた。
成田に着いたドブリ・ナイデノフとわたしは、空港内のレストランに一旦、腰を下ろし、食事を取った。レストランから、わたしは中川に電話をした。明日の午前中に、重要な外国からの客をそちらに案内するから、泊めてくれという要請をしたのである。
快く、引き受けてくれた中川であったが、事情は一切話していない。一泊するのだろうくらいにしか考えていない気軽な返事であった。
成田に到着したその日は、空港の近くのホテルで一泊し、ドブリには、旅の疲れを取ってもらうことにした。次の日の朝早く、ホテルからタクシーに乗り、新宿のバスターミナルを目指した。午前9時05分に、新宿バスターミナルからバスに乗り込み、10時50分に河口湖に着いた。
河口湖に待っていてくれたのは、中川幸吉であり、わたしと中川は久しぶりの再会となり、お互いに喜び合った。すぐさま、三人は中川のトヨタ・クラウンで、ホテルへ向かった。
ホテルに着いて、ドブリは一安心したような感じで、気持ちが楽になったのか、川口湖畔の散歩をしてくると言って、出かけた。
ここで、初めてわたしと中川は、ゆっくりと対面して、今回のこのドブリという人物が如何なる人物であるか、情報を交わす時間を持ったのである。
「今、原田から聞いた話では相当ヤバいお客のようだな。一泊ではなく、事件が一件落着するまで、ここに匿うという話だね。そうなると、三階の一番隅っこのあの部屋がいい。
これは、原田個人が持ち込んだ事件というよりも、ブルガリアの中で起きた事件であり、EUの補助金を不正横領したドブリにマフィアが絡んで、ゆすられ続けているというものだ。しかも、マフィアと繋がりを持つ政敵のゲオルギー・ババゾフが、ドブリの補助金横領の秘密を握り、それをマフィアに暴露して、ドブリを窮地に陥れてやろうと画策している背景まである。
よし、わかった。事件解決まで、ここに匿おう。部屋代は取らないよ。食事代も取らないよ。原田との友誼を最優先するよ。」
「中川、ありがとう。君を訪ねてきて正解だったよ。とにかく、匿うということが、今回のドブリの来日の第一の目的だからね。本当に、助かったよ。中川幸吉、君は最高だ!」
こうして、最も肝心なドブリを日本で「匿う」というミッションは、中川幸吉の協力によって道が開かれた。
「原田、ぼくからの提案なのだが、匿うと言っても、匿う期間がどのくらいになるか、今のところ、はっきりとわからない状況だ。何が起きるか分からない。
すなわち、ドブリがどうやら日本で姿を消し、行方不明になったか、匿われているといったことになっているらしいとマフィアが判断し、そこからマフィアの何人かが日本に入ってきて、ドブリ探しを徹底的にやる可能性もある。
そこでだ。身長、176、177センチで、眼鏡をかけており、髪は薄いとなれば、マフィアがドブリを見つけ出すのは簡単なことだ。勿論、この隠れ場所が判明した場合のことだがね。」
「そうだね。その可能性も考えなければいけない。そこで、具体的にどうする。何か妙案はあるかい。変装でもするのかい。」
「その通り。変装してもらう。カツラをかぶって変装するのだ。今、ドブリは川口湖畔の散歩に出かけたが、あの眼鏡姿で、薄い髪だと、すぐに分かってしまう。とにかく、匿っているという状況のもとでは、変装しかない。」
こうして、中川は重要なポイントをおさえ、変装の必要なことを説いたのであった。わたし以上に、中川は緻密に考え抜き、すっかり、探偵気取りになっていた。それもこれも、中川が、ドブリを匿うという責任と使命を自ら背負ったからである。
用心にも用心を重ね、ドブリを守らなければならない。ミスは犯されてはならない。手抜かりのないように盤石な態勢が必要だ。
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