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虹を架けた男 その2

ベトナムとカナダの虹のアーチの実績により、いつしか穂高は「虹の設計士」と呼ばれるようになった。5ページに亘って「タイム」が特集を組んだことから、一躍、「ホダカ」の名は世界中に知れ渡った。

「レインボー・ホダカ」のニックネームで親しまれるようになった穂高の名は、ソニーやトヨタの名と同じくらい有名になった。結局、アーチの意味は、「君臨感」であると感じていた穂高自身の解釈どおりのことが、穂高の身に起きたわけである。彼は、アーチ型の虹を作ることにおいて、世界に君臨することになった。若干26歳の青年にして、かくなる名誉を手にしたのである。早過ぎると言えば、あまりにも早過ぎる名声であった。

穂高の会社は、次々に虹の設計の依頼を世界中から受け取ることになった。まるで虹を生産する会社のようになってしまった。しかも、その注文の内容は虹の設計ではあるが次第に複雑化していった。

虹をどのように複雑化するといっても、虹は虹に過ぎないのであるが、小さな虹の上にもう一つの虹がかぶさり、その上にさらに大きい虹が三層の同心円を描いてかぶさるといったものや、めがね型の虹を設計してくれといったもの、四つの虹で四角形を作ってくれというもの、いろいろな依頼が舞い込んできた。ほとんどが子供のための遊園地やレジャーランドに作られるものであった。

虹の設計は簡単ではないかという気持ちになるのだが、意外にそうでないことが色々な事例から判明した。ベトナムとカナダの虹のアーチがヒットしたのを聞きつけて、世界中で虹作りがトレンドになり、世界各地に競うように虹ができたのであったが、どこそこの虹が強風に煽られて倒壊したなどというニュースがよく聞かれた。虹の両足の部分の支えの強度計算のミスから、大雨や洪水で両脚がぐらつき、ついに倒壊を免れることが出来なかったというニュースなども相次いだ。雷が落ちて、虹のアーチが真ん中から真二つに折れたというニュースもあった。

しかし、穂高の作品はびくともしなかった。風雨、雷雨、台風、洪水、何が来ようとも悠然と立っていた。微動もしなかった。穂高はあらゆる角度から、あらゆる計算をしていた。外から見れば、美しい虹にしか見えないかもしれないが、七本の虹色のアーチの内部には特別な構造補強や仕掛けが詰まっていた。特に、地面にしっかりと踏ん張って立たなければならない両脚の設計は企業秘密といっていいくらいの綿密な構造を施した。七色のアーチの材質やアーチの重さ、全体の重さの釣り合い、アーチ表面に施した細かいウェーブなど、構造力学や流体力学の観点から、風速20メートルのときの空気抵抗をどこまで和らげるか、等々、あらゆる事態に応じて、全ての計算はし尽くされていた。対策は万全を尽くしていた。穂高の虹は名実ともに、世界一であった。

虹の流行で思わぬことが分かったりした。ドイツで作られた虹が赤、黄、緑、青、菫(すみれ)の五色であったり、ロシアで作られた虹に、橙、黄、緑、青の四色のものがあったりして、常識とされる、赤、橙、黄、緑、青、藍、菫(紫)の七色でない場合も多く見られた。国によって、必ずしも虹を七色と感じない伝統を持つところがあるのだ。太陽の光をプリズムに通すと七色の虹が現れるという一般的認識は、必ずしも、人々の肉眼で感じられた虹の色の数とは一致しないのである。

穂高が作ったベトナムの虹の橋とカナダの虹のアーチから巻き起こった世界的な虹のアーチの建設ブームによって、地球上のあらゆる国で虹のアーチが作られた。旧約聖書のノアの物語の故事に従って、虹は神が人類に約束した平和のしるしであるという縁起が尊重されたのか、とにかく、虹はおめでたいものだ、虹は平和の象徴だ、ということで各国競って虹を作ったのである。次第に、それが、ほかの国に負けない立派な虹を作ろうという競争にエスカレートしていった。

アメリカは、軍事力で世界を支配しようとしているという不評を世界的に買っていたので、このイメージを払拭するために、アメリカの国会議事堂、すなわち、キャピトル・ヒルをすっぽり包むように虹のアーチを架けるという一大事業に取り掛かった。これをなすに当たって、クニマサ・ホダカ以上の設計技師は見当たらないだろうと、時のアルバート・ルーベンスタイン大統領は決断を下した。

実に、5年の歳月を費やして、米国の国会議事堂の虹のアーチは完成した。まさに世紀の大事業であった。これまでにない様々の趣向を凝らし、穂高は最高の設計を志して図面を完成したのである。驚くなかれ、虹の両脚の間は2キロメートルという距離に及ぶものであった。雄大な虹が国会議事堂を包み込んだ。国会議事堂の真上に虹の頂点が来るのだが、その高さが何と700メートルという桁外れの高さであった。構造力学的に考えて、これはもう啓示的な頭脳がなければ、完成させることの出来ない要件を数多く抱えていた。穂高はそれらの全てをクリアしたのであった。

このような建造物は、歴史的に見ても、見当たらない。アメリカの国会議事堂が虹に比べて小さく見えた。しかし、虹と国会議事堂のコンビネーションが作るその光景は、もはや、アメリカは戦争をしないだろうと世界に向かって宣言しているような美しい光景であった。ルーベンスタイン大統領の満足感は並々ならぬものであった。あらかじめ、6月いっぱいまでの完成を大統領は願っており、7月4日の米国独立記念日には、完成式典を行うという計画であった。

7月4日、ワシントンモニュメントの立つ広場に100万人の大観衆が集まった。そこでのルーベンスタイン大統領の演説は次のようなものであった。

「お集まりの紳士淑女の皆様、今日はわがアメリカ合衆国にとって独立記念日という歴史的な日であります。この意義ある日に、われわれは世界に誇ることの出来るもう一つの偉大な建造物を祝賀する喜びを分かち合いたいと思います。世界の歴史において、平和への思いをこめたこのような巨大な建造物があったでありましょうか。皆様が今、目にしておられる大いなる虹のアーチは、最も大きな平和への願いをアメリカが世界に示している確固たるあかしであります。

この虹を、わたくしは簡潔明瞭に『平和の虹』と呼びたいと思います。そしてまた、偉大な構想を実現させ、アメリカに栄光と誇りをもたらしてくれた制作者のミスター・クニマサ・ホダカに最大限の敬意を表して、『ホダカ・レインボウ』と呼びたいと思います。

ミスター・ホダカはこの『平和の虹』の制作を通して日米関係に一層強固な絆をもたらしてくれたとわたくしは信じます。セオドア・ルーズベルト大統領の時代に日本はこのワシントンにサクラをもたらしてくれました。そして、今、もう一つ、私の時代にこのワシントンに、ミスター・ホダカを通して、日本は『平和の虹』をもたらしてくれたのであります。アメリカは戦争を好む国ではありません。アメリカは真に平和を愛する国であります。アメリカのキャピトル・ヒルと『平和の虹』の美しいハーモニーを見る者は誰でもパックス・アメリカーナ、すなわち、アメリカによる世界の平和を心から信じるでしょう。」

大統領のスピーチはさらに続いたが、この場に招待されて、ルーベンスタイン大統領の話に聞き入っていた穂高は、自分のことをかくも大きく賞賛してくれた大統領に心から感謝した。この一大セレモニーは、世界の各国のメディアが大きく報じた。それとともに、ホダカの名もさらなる栄誉を勝ち取った。アメリカが平和を望んでいる国であるとか、平和を愛する国であるというアメリカ大統領のスピーチには、多少の皮肉をこめた論調で世界のメディアは応じたが、しかし、この想像を絶する巨大な虹のアーチの建造物には無条件に完全な敬意と驚嘆の意を込めて、この日のワシントンの歴史的なイベントを報じたのであった。『平和の虹』は大統領の戦略的勝利と言ってよかった。

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