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虹を架けた男 その3【最終回】

ワシントンに巨大な虹のアーチが建ったことは、世界にどういう影響を与えたか。これで世界の戦乱地域は、少しは平和を回復できるのであろうか。そんな期待をワシントンの虹のアーチに寄せていいのであろうか。極めて、単純素朴な問いではあるが、ワシントンの虹のアーチの効果といったものが気になるのである。

世界にどういう影響を与えたかという前に、米国の大統領に虹のアーチは少なからぬ影響を与え始めたことは事実である。大統領は『平和の虹』を裏切るようなことは、そう簡単に出来なくなった。戦争行為に対して歯止めがかかり始めた。『平和の虹』がアメリカの一挙手一投足を見ているかのように感じられた。あるいは、世界が、アメリカの『平和の虹』は本当か嘘かを見極めようとしているかのようにも感じられた。

アメリカがもし武力行使に出たら、世界はアメリカをこう糾弾するだろう。何が『平和の虹』だ。いやしくも『平和の虹』というなら、アメリカは戦闘行為をやめろ、そうでなければ、『平和の虹』はその名に偽りがあるから、すぐ壊せ、と。こうして、『平和の虹』は戦争抑制作用を発揮し始めることとなった。これはアメリカにとっても世界にとってもいいことであった。『平和の虹』を作ったということは、現実的に大きな意味を持ち始めた。単なる建造物に終わらなかった。


ルーベンスタイン大統領は、マシュー・アームストロング国防長官とヘンリー・スプリングフィールド国務長官をホワイトハウスに呼んで、いくつかの懸案事項を話し合った後、こう語りかけた。

「ところで、『平和の虹』についてだが、マシュー、あれの建設に最も反対したのは、君だったのを思い出すよ。どうだね。今でもその気持ちは変わらないかね。私は非常によいことだったと考えておるが。」

「はあ、何とも言えません。『平和の虹』にかけた1500億ドルの金と、民主主義拡大のための戦いにかける金と、どちらが、意味があるのか考えているところです。まだまだ世界には独裁と抑圧を好む者どもが少なからずおります。アメリカは彼らを打ち倒さなければなりません。」

「マシュー、君も頑固なところがあるな。『平和の虹』は世界的に好評だよ。これをコロラド州に架けたのなら、全く話は別だが、キャピトル・ヒルに虹を架けた私のアイデアは奇想天外とも言うべきものだ。世界中が驚いた。アメリカは何を考えているのか。本気か、とね。私は心から平和を願っておる。戦争はもうごめんだ。」

そこに、ヘンリーが割り込んだ。

「大統領、あなたは立派なことをなさいました。歴史的な偉業です。アメリカの本当の意思を世界に示されたのです。アメリカは平和のために貢献する国家でなければなりません。その平和の思いが、あの『平和の虹』に集約されているのです。」

すかさず、マシューが反撃に出た。

「ヘンリー、君はそう簡単に言うが、アメリカが世界を平和の視点から眺めて、お人好しの政策を採っているときに、虎視眈々とアメリカに代わって覇権を握ろうと企んでいる国もあるのだ。アメリカは戦争が好きでやっているわけではない。アメリカに代わってどこかの腹黒い利己的な国が世界を動かすようになったら、今、アメリカが世界をリードしているよりも、もっといいリードが出来るとでも思っているのか。確実に、世界はもっと悪くなるぞ。」

「分かった、分かった。マシュー、君の言うことももっともだ。だが、大統領として、わたしは一つの決断を下したのだ。アメリカは世界をリードするにあたって、もっと別の効果的なアプローチを始めるべきであると考えた。力はもちろん必要だが、力を前提に物事を考えてはならないと確信するようになった。アメリカはもっと世界に奉仕すべきだと。

われわれは傲慢であってはならない、一人よがりでもいけない。世界をもっと理解し、世界の人々に平和的にアプローチして奉仕しなければならない。

アメリカははなはだしく誤解されている面もあるが、それはわれわれにも責任がある。われわれは何でもアメリカが一番だと思って、相手のことが正しく見えなくなってしまっているところがあった。相手を心から理解しようとしていないのだ。相手の立場に立って考えてみるというのがはなはだ不得手である。こんなところから、わが国の政策に誤りが生じるようになる可能性があるのだ。私の言うことは間違っているかね。

私が『平和の虹』をキャピトル・ヒルに架けたのは、世界に対して、わが国の平和宣言をしなければならないと考えたからだ。アメリカの大転換だ。もはや、軍事力を表に立てることはない、それが新しいアメリカだ。こういう意味の宣言の象徴が『平和の虹』なのだ。分かってくれたまえ、アームストロング国防長官。」

「大統領がそこまで確信を持って為されたことであるのならば、わたくしは何も申しません。どうぞ、そのような信念でお進み下さい。ただし、わたくしは、国を守る立場から、有事の際の備えは万端怠りなく取り組んでまいります。」

「そのようにしてくれたまえ、マシュー。君の信念に対して、わたしは敬意を表しておる。アメリカは決して平和ボケしているわけではない。よろしく頼むぞ。」

アルバート・ルーベンスタイン大統領は、アームストロング国防長官の気持ちも主張も痛いほどよくわかった。かつては、全く同じ考えを大統領は持っていたからだ。

しかし、大統領に少しずつ心境の変化が起きたのである。その大きなきっかけは、2003年のアメリカのイラク戦争がうまくいかなかった経緯をあらゆる観点から研究して、それに対する自分なりの結論を得たときからであった。そのときの研究が彼の考えを大きく変えた。彼はアメリカの弱点に気づいた。

アメリカ外交の検討、見直し、或いは、アメリカの戦略の全面的見直し、これをずっと考えてきたのがルーベンスタイン大統領であった。彼をハト派とかタカ派という括りで表現することは全く適切でない。彼は非常に思慮深く、それゆえ、その戦略も一般に考えられているほど単純なものではなく、考え抜かれたものであった。

それにしても、穂高邦昌の虹のアーチが、アメリカ大統領の平和的アプローチによる新外交戦略の一環として活用されることになろうとは夢にも思わない展開であった。ルーベンスタイン大統領から、ホワイトハウスに来るように要請され、彼がホワイトハウスへ参上したとき、大統領は穂高に感謝状と感謝牌を与えた。そののち、大統領とスザンナ夫人がホワイトハウスのスタッフの何人かを入れて一緒にディナーを振舞ってくれた。とにかく、大統領が『平和の虹』に大変な満足を覚えていることは確かであった。

大統領は、穂高にこう語った。その言葉は穂高の心に染み入るものであった。

「毎朝、ホワイトハウスから『平和の虹』を見ながら、わたしは考えるのです。この虹が象徴する平和を築く方向に向かってアメリカは邁進しなければならないと。アメリカの外交とすべての政策はこの『平和の虹』とともにあるでしょう。」

穂高は、そっと『平和の虹』をホワイトハウスの窓から見上げた。どうやら自分は最高の仕事をしたようだ、と満足げに虹のアーチを見続けた。大統領と顔を見合わせ、にっこりとうなずきあった。

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