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シェイクスピア参上にて候第九章(一)


第九章 アメリカの混迷と未来

(一) 荒れるアメリカ

ギリシアへ足を運んだことは、鶴矢支社長にとって、大きな収穫でした。ギリシアという国を見つめる視点で言えば、いくつかの明確なテーマを与えられたという確たる思いを持つことができたのです。

ヨーロッパを理解することは容易ではない。EUで一つの共同体になったと言っても、ヨーロッパは、複雑な要因が、現実的に、歴史的に絡み合っている世界であるというのが鶴矢先輩の偽りのない実感です。

山口ひばりさんは、日頃の疲れをギリシア旅行で発散し、ギリシア観光という大きな慰安と恵みを鶴矢先輩の好意によって頂いたことを、オフィス内のあの人この人に吹聴していました。

特に、鶴矢先輩の息子さんがギリシア語のできない山口さんを行く所行く処で助けてくれたお陰で、観光を存分に楽しむことができたと語ったので、オフィス内で、鶴矢子規くんという存在が大いに注目を浴びることになりました。

ロドリゲスの活躍が、ギリシアでの最大の収穫であったことは、誰もが認めていることでしたが、叔父のバシリウスが語ったことの意味を掘り下げてみることが、さらにギリシア危機の本質を明らかにすることに繋がると感じたロドリゲスは、早速、情報を集めながら、百枚余りのレポート作成を終えて、鶴矢支社長に提出しました。

ロドリゲスの聡明さがレポートによく表れていました。心の中で、大した奴だ、と鶴矢先輩は唸りました。

ある日、ロンドン支社の十六名全員を集めて、鶴矢支社長は重要なことを話しました。それはアメリカについてです。アメリカの混乱はひどく、とても気になる、と切り出して、近く誰かが行って正確にアメリカの状況を見なければならないと言いました。

「みんなもアメリカは一体どうなっているのだという気持ちを持っていると思うが、ハーバードで学んだ五代佐吉くんは、とりわけ、アメリカを見る目が鋭く、アメリカの分析に長けている。そして、ハーバード時代の友人もたくさんいる。是非、しかとアメリカの実際の姿を見てきてほしい。

あと、二人、李興彬(イ・フンビン)くんと近松才鶴くんにも訪米してもらいたい。

これまでになかったような民主、共和の激突する大統領選挙の大混乱と新しい大統領の誕生、それによって、激動、激変に見舞われている世界情勢だ。

世界はアメリカの動きに一喜一憂することになり、アメリカはどこへ行く、と固唾を呑んで見守っている。

アメリカの情報は各種メディア媒体から山ほど発信されている。溢れんばかりにある。そうであるからこそ、高い読み取り能力、高度なメディア・リテラシーがアメリカ情報には必要だ。

アメリカに関する情報は、政治情報にせよ、経済情報にせよ、軍事情報にせよ、相当の吟味が必要であると思っている。

世界をどうするかという思考、すなわち、グローバリズム型の思考と、米国内をどうするかという思考、すなわち、反グローバリズム型の思考が激しくぶつかり合っているようだ。

この対立はもはや簡単なものではなく、ほとんど、戦争に近いような対立となっている。現在、アメリカは大混乱している。みんなもそう見ていると思う。」

「アメリカの混乱についてはおっしゃる通りだと思います。でも、わたくし五代にアメリカ行きを頼むという鶴矢支社長のお言葉は非常にありがたいのですが、どういう情報を掴むのかが重要だと思います。

アメリカ情報に関しましては、テレビ、新聞、雑誌などのメインストリームのメディアが大量に流しており、また、それに対抗するようなメディアもネット時代の不可欠な情報源となっていて、賢明な人が両方を見比べていけば、ある程度は真実に近づくことができる時代になっています。

非常に便利な情報社会であると思います。その上で、わたくしがアメリカに行く意味は何かと考えると、大学時代の友人しか思い当たりません。生の声を拾うという以外には思い浮かびません。

その生の声というものもすでにいろいろ言われているメディアの声を確認するにとどまるかもしれませんが、それでよろしいですか。」

「まさにそれだよ、生の声だよ、五代くん。よろしく頼む。そして、是非、同行してもらいたいのだが、李興彬くん、君にも行ってもらいたい。

もともと、君は日本生まれで、在日韓国人であるが、君のお父さんが日本で大きなIT関連事業を起こし、五千名の従業員を雇用する成功した企業のCEOとして活躍していらっしゃることは、ぼくもよく知っている。

そして、その会社、すなわち、「ベスト&チェーゴ ソリューションズ」の事業所が全米五十州に置かれていることも承知している。

アメリカ経済の好況、不況を肌身で感じ取ること、米国経済の偽らざる情報、先行きなどを君のお父さんの会社、「B&C SOLUTIONS」を通して調べてきてほしい。

こう言うのは、やはり、ITやAIなどの、先端科学技術分野の企業の動向が一番気になるからだ。もちろん、米国の国際的な主要企業の動向なども視野に入れて調査してくれれば、大いに助かるよ。」

「ありがとうございます。さいわい、父と母がニューヨークにずっと居住していますので、会いたいと思います。

いくつかの州を回って、わが父の会社の動向や景気なども探ってみます。いろいろとやることはあると思います。

この度の鶴矢支社長の人選は、わたしにとって本当に最高、韓国語でいう「チェーゴ」になると思います。五代さんは私の最も尊敬する先輩ですので、本当にラッキー、チェーゴです。」

「そうか。よかったよ、君が快諾してくれて本当によかった。さらに、いつもながら、近松才鶴くん、今度のアメリカ行きもお願いするよ。三人よく話し合い、よく連絡を取り合って、心を合わせて頑張ってもらいたい。」

さあ、荒れるアメリカに出発ということになりました。五代佐吉、李興彬、近松才鶴の三人です。

情報を取ると言っても、米国に関する情報は怪しげなもの、真実なもの、全くの作り話(フェイク)、あらゆるたぐいの情報の全てが出揃っている感があります。

アメリカは情報戦争の最も激しい戦場です。アメリカの方向性が世界の方向性を決する国家であるからです。

米国の世界覇権を保持しようとする勢力(愛国保守)と米国の世界覇権を突き崩したい奇妙な勢力(売国リベラル)の激突が情報戦に現れていることなどによって、アメリカは巧妙にかつ高度に操作されたもっともらしい情報が、敵対する二つの陣営において、絶えず生み出される構図があると考えられます。

どちらの陣営からもフェイクが仕掛けられ、どちらからも相手に都合の悪い真実が撃ち込まれる終わりなき言論の銃撃戦です。

依って立つ価値観の相違が熾烈な言論戦を生み出しているのです。これをもって民主主義と言うなら、民主主義はまさに言論戦争を意味するものと言ってよいでしょう。

アメリカは建国以来の最も激しい言論内戦に陥っています。言論内戦は、すなわち、情報戦争です。

真実と虚偽を織り交ぜた複雑な情報の戦争であり、そこに政治も経済も軍事も全て絡みます。このような米国の姿は、建国以来の異常事態であるというほかありません。

米国は真っ二つに分かれてしまった、もはやその亀裂を修復することは不可能だ、といった嘆きの言葉が頻繁に聞かれるようになってしまっているその国家、荒れるアメリカに鶴矢先輩は、信頼する三人を送り込んだのです。

五代佐吉、李興彬、近松才鶴の三人は、米国滞在の期間、李興彬さんのご両親が住んでいる家に滞在することになりました。

ニューヨークのマンハッタン島の北部に位置するウェストチェスター郡の清閑な場所に建てられた大きな邸宅です。敷地も広く、こんもりとした森の中に大邸宅が建っているといった風情です。

李興彬さんが両親と掛け合って、今回の宿泊の話を快く決めてくれました。李さんの両親も非常に喜んで応じてくれました。

お陰で、三人の米国滞在は、ウェストチェスターの邸宅で快適に過ごすことができ、一人一人にどこにでも自由に出かけることができるようにとそれぞれ車まで与えてくれました。

見事に、トヨタの車が五台、大きな車庫に収まっており、トヨタ愛好のご両親であることが分かって、わたくしは無性にうれしくなってしまいました。

李興彬さんのご両親は、二人とも日本生まれではありますが、祖父母まで辿ると、父の故郷が江原道の春川市で、母の故郷が済州島の西帰浦市です。

お父さんの李龍彬(イー・ヨンビン)氏は大阪生まれの大阪育ち、お母さんの金明淑(キム・ミョンスク)女史は広島生まれの神戸育ちで、二人は同じ同志社大学で学び、そこで出会いました。

同志社を卒業して、李龍彬氏はソウル大学で学び、さらにカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に入学して、工学分野で研鑽を重ね、30代半ばで、「B&C SOLUTIONS」を起業したという強者です。

一方、金明淑女史は、同志社を出たのち、ニューヨークの「ジュリアード」で舞踊を学ぶという幸運に恵まれた方で、根っからの芸術魂の持ち主であり、幼い時から踊ることが大好きだったという美貌の女性です。

こういう二人が結婚して家庭を営んでいるのですから、この夫婦の存在感たるや、際立つものがあります。

二人から生まれた一人息子の李興彬さんは両親の愛情を一身に受けて成長したのだと分かりましたが、わが社でいろいろと視野を広げ、世界というものを勉強したのちには、いずれ、父の起こした「B&C SOLUTIONS」を継ぐことになるのでしょう。

こうして、李興彬さんの背景がよく分かりましたが、彼が大いに学び、大きな人物に成長していってくれることをご両親が何よりも願っておられるのだと知って、彼の活躍を祈らざるを得ない気持ちになりました。

米国到着ののち、直ちに行動を開始したのは五代佐吉さんでした。五代さんの頭の中にはハーバード時代の友人の名前が四名ほど浮かんでいました。

ピーター・ルイス(アメリカ人)、デビッド・ヒル(アメリカ人)、ダニエル・バレット(イギリス人)、ザカライア・コールドウェル(ユダヤ系イギリス人)、の四人です。彼らは、全員、アメリカで働いています。

これらの四人は、五代さんがハーバードで学んでいるとき、仲良くしていた親友であり、卒業後も、絶えず、メールのやり取りをしている仲間です。

まず、最初に会うべき二人に連絡を取りました。ニューヨーク在住のデビッド・ヒルとダニエル・バレットです。

デビッド・ヒルとはセントラル・パークの「不思議の国のアリス像」のところで待ち合わせをして、園内を散歩しながら、いろいろと情報を聞き出すことができました。

デビッドは、オックスニュースで働いています。CNNなどとは対極をなすところですから、保守系のメディアであり、デビッドがどういう目で現在のアメリカを見ているかが分かるはずです。

生まれも育ちもニューヨークというデビッドが、ニューヨークヤンキースを応援しながら、ニューヨークにあるオックスニュースで働いているわけですから、彼をミスター・ニューヨークと呼んでもいいでしょう。事実、学生時代から、五代さんはデビッドを「ミスター・ニューヨーク」と呼んでいました。

「ミスター・ニューヨーク、君とこういう風にセントラル・パークで会うことができてとてもうれしいよ。君を見るとニューヨークの香りしかしない。僕なんか、ロンドン暮らしで、ハイド・パークの香りが随分とするようになったがね。」

「どういうことだ、ニューヨークの香りって何だ。どんな香りだか説明してくれ。」

「このセントラル・パークの香りだよ。ロンドンのハイド・パークに比べると、二倍以上の面積は確実にあるセントラル・パークは、人も多く、雑然とした感じだが、ハイド・パークはいかにもガーデンと言った細やかで小奇麗に行き届いた感じがある。

ニューヨークは雑然として、パワフルな感じがあるという意味がそのまま君に当て嵌まるという意味だ。」

「ゴダイの言った雑然としてパワフルというのがニューヨークであるなら、その通りの仕事を毎日しているのが僕の日課だ。雑然と、そして、パワフルに仕事をしているのさ。」

このような取り留めのない話を、懐かしさの中で、二人は楽しんでいましたが、本論に入って、ずばり、アメリカの現状を聞き出す段階になると、デビッドの眼差しは真剣そのものという表情に変わりました。

CNNに対して、「フェイク!」を連発する新大統領を見てもわかる通り、リベラル系メディアとトランプ政権は戦争状態に入っているのが現在のアメリカであると、デビッドははっきりと語りました。

デビッドによれば、ここ二十年から三十年の間にアメリカは大きく変わってしまったということです。

それはソ連崩壊後、米国一極時代の到来を主導する絶好のチャンスを生かし、世界に並び立つ者のないアメリカとなるはずであったが、米国は何回も躓いたということです。

まず、九・一一テロ、次に、イラク戦争、そして、リーマンショックといった相次ぐ大事件の中で、アメリカの力は次第に削がれていったという見方を、デビッドは大雑把に語りました。

何かが狂い始めたとしか言いようがないアメリカ衰退の原因を明確にすることが重要であるにもかかわらず、メディアはそれを正しく語ることができなかったとし、デビッドは彼なりの一つの見方を示しました。

彼はソ連が崩壊して以後のポスト冷戦時代における米国の国際戦略に大きな過ちがあったと言いました。一つ目は、対ロシア戦略、二つ目は対中国戦略、この二つがうまくいかなかったという分析です。

まず、一つ目の対ロシア戦略において、折角、ソ連崩壊という歴史的大事件を米国にとっての、さらには人類全体にとっての一大好機として、生かすことができなかったことです。

これはどういうことかと言えば、西側陣営にロシアを温かく迎え入れることができなかったことであるとし、ロシアの富(石油、天然ガス)を一方的に収奪するようなロシア新興財閥(オルガルヒ)のやり方に英米が加担することにより、ロシアは西側資本主義のやり方に対して、懐疑的になり、固く心を閉ざして、プーチンの登場とともに、冷戦時代の構図に舞い戻ってしまったという見方を示しました。

これには、五代さんも少々驚きました。徹底的にロシア(ソ連)を叩きのめすという冷戦時代の対ソ戦略から一歩も出ないような敵視政策は効果のないものであり、冷戦後の米国とロシアはもっとうまくパートナーシップを築くべきだったと断言したデビッドの表情には真剣さが溢れていました。

「おい、おい。大丈夫か、デビッド。オックスニュースのデスクに座る者として、相応しくないような発言に聞こえるよ。反ソ連、反ロシアの風潮が圧倒的に強いアメリカでそんな見方をしていいのかね。」

「もう少し、聞いてくれ、説明するよ。ソ連を潰すために、アメリカは中国の毛沢東と手を組んで、対ソ連包囲網を形成した。

ソ連には徹底的に厳しく、中国には甘い態度で、とにかく、ソ連を崩壊に追い込むことしか頭にない分、中国に対する警戒心を怠ったと言っていい。

それが冷戦時代、特に、ニクソン政権以降、一九九〇年代のポスト冷戦期にかけてのアメリカの態度だった。

その間、中国は猫をかぶり、着々と経済を成長させ、軍事力を養った。そして、気が付けば、かつてのソ連のように、米国の世界覇権に対して中国は挑戦する態度まで見せるようになった。

その結果、ロシアと中国の二国を同時に敵に回す状況に置かれる羽目になってしまったのが現在のアメリカの姿であることがよく分かる。」

「アメリカがもっと賢かったら、ポスト冷戦時代はロシアと手を組んで、中国包囲網を形成し、ソ連を滅ぼしたのと逆のパターン、すなわち、ロシアと組んで、生き残っている共産主義国家の中国と北朝鮮を抑え込むことだってできたじゃないかと言いたいんだね。それが九十年代以降のアメリカのシナリオでなければならなかったと。

ロシアを敵に回すのではなく、正しく助け、温かく西側陣営に迎え入れなければならなかったが、アメリカはそのことに失敗して、反対に、ロシアを怒らせ、冷戦構図をそのまま残すことになった。

これがアメリカの外交的失敗だと言いたい君の気持が、ぼくには手に取るようにわかるよ。そうだろう。違うかね。昨日までの敵を今日の味方とすることができなかった失策だとね。」

「全くその通りだ。中国の狡猾さにアメリカは気付くべきだった。それに気づくのに、遅すぎたと思う。中国は危険な国ではない、これがアメリカの経済界、政界の指導者たちに一貫した共通の見解だった。

しかし、残念なことに、中国という国に対する見方を、アメリカは大きく間違った。中国が順調に経済発展を遂げるならば、中国は平和的な国になるという幻想を抱いてしまっていたのだ。

中国はやがて、自由主義、民主主義の価値観を受け入れていくだろうと勝手に思い込んでしまった。そういった予想は完全に外れたと言わなければならない。

中国の本質をどう見るか。いざとなったら、人権無視の統制や政策はいくらでもやる中国だ。

簡単に、民主主義を学ぶような国柄ではないと見るべきだよ。近代的な法治主義が進まず、独裁的な人治主義がその上にあって、司法が吹き飛んでしまうような統制を簡単に行う慣習を持っている国家だ。

そうだとすると、人間のうぬぼれと傲慢の罠に落ちて、中国の統治者は自らの国民に対して無慈悲な独裁を行っているように、世界に対しても恐ろしい独裁的な統治を行うのだ。

覇権的な野望を潜在的に隠し持って、勝算があれば、いつでも牙を剝いてくるような危ない軍事暴力的な性格があると、ぼくは中国に対する悲観的結論を下しているところだ。

ここまで説明すると、アメリカはロシアを追い込んで、わざわざ敵対するような関係を作るべきではなかったという意味が理解できるだろう。」

「デビッド、君が語った論理に従えば確かにそうなる。しかし、そのロシアもまた、中国と同じで、どんなに信じてあげても、西側の英米型民主主義を本当に学ぶようなお国柄ではない、したたかな国なのだとしたら、どうなるかな。

独裁的傾向や専制主義的特性を歴史的に持っている国、ほんの一握りの人間が密室的に政治を決める国、それがロシアであり、中国であるとなると厄介な問題だよ。

民主主義に程遠くなるからね。そこまで考えると、中国問題、ロシア問題、この二つは、実に難しい問題だね。アメリカはこの二つの問題に直面していることになる。」

あれこれ、三時間に及ぶデビッドと五代さんのセントラル・パーク会談は続きました。二人は相当に本音を出して話し合ったと五代さんが報告してくれました。

それにしても、デビッドの中国警戒は並々ならぬものであると、五代さんは改めて思ったそうです。

次に、ダニエル・バレットと五代さんは、ロングアイランドでのヒラメ釣りをボートで楽しみながら会談するということになりました。

これは、ダニエルからの強い願いでそうなったということですが、ダニエルは釣りを極上のレジャーであると考え、時間を見つけては釣り三昧に耽っている「釣りキチ」であるということです。

ダニエルはメルガン・スタンレーで働いており、多忙な業務を遂行しながら、釣りによく出て、釣りの中で雑念を払いながら「無」になり、そこからいろいろな仕事上のインスピレーションが湧き出てきて、また仕事に戻るということをやっていると言います。

それを聞いて、五代さんは、ダニエルにとって釣りは単なるレジャーではなく、天啓を受ける聖なる場であるということが分かりました。

さて、ボートに乗って、釣り糸を垂れながら、二人はどういう話をしたかと言えば、まさに、世界に冠たる金融覇権を握っているアメリカが、その王国としての覇権を維持するのに苦心している様が窺えました。

ダニエルはあまり深いところまでは語りませんでしたが、とにかく、金融業界はひと時も気が抜けない過酷な戦場であると述べ、大変なことは分かっていたが、ここまで大変とは思わなかったとその実感を語りました。

もし、アメリカが経済的に後退し、沈没したりすれば、その瞬間、集権的独裁の中国が隙を狙って米国の座を脅かすであろうと言いました。

アメリカは絶対に覇権の王座をどこにも渡すわけにはいかないのだと、強い信念が凛凛と伝わってくる語調で自らの考えを述べました。

アメリカは多くの欠点や問題を抱えているにもかかわらず、今のところ、アメリカ以上に世界をよく平和的に維持することのできる国はないと言い、だからこそ、政治、経済、軍事において強いアメリカが必要であると言い放ちました。

「ダニエル、君はイギリス人であるはずだが、その君が米国への深い信頼と愛を語るとは不思議な気もするが、どうしてそのように語ることができるんだい。」

「おい、おい、ゴダイ、魚が引いているぞ。5秒ぐらい待ってから、リールを巻け。すぐ上げると、逃げられる場合がある。餌を完全に飲み込ませてから上げるのだ。そうだ、そうだ。大きいヒラメが上がってきたぞ。体長五十センチはあるな。いいのが上がってきた。」

五代さんは、リールを巻く時のその手ごたえに得も言われぬ興奮を覚え、上がってきたヒラメの大きさにも吃驚して、すっかり感動しました。

五代さんと話し込みながらも、ダニエルはリール竿のしなりや釣り糸の動きに神経を集中していたのだと知った時、彼の「釣り魂」に敬服せざるを得ませんでした。神経を張り巡らすダニエルの性格こそが、とりわけ、金融世界には必要なのだと、五代さんは納得した次第です。

ボートの中で五代さんがダニエルとあれこれ話した内容を要約すると、以下のようになります。

金融グローバリズムを主導したアメリカは、ある意味では、その行き過ぎによって、自ら躓いてしまったという見方もあるだろうが、収益至上主義を掲げる金融の性格上、致し方なかったという自己弁明も許されるだろうと、ダニエルは冷静な見方をしました。

問題は、アメリカのグローバリズムで最も大きな受益国となったのは中国であり、アメリカから中国へとドルの流出は止まらず、その富で中国は軍事力を養い、ついにアメリカに牙を剝き出すような米国への挑戦を見せるようになったと語りました。

このような険悪な結果を招くシナリオは、さすがに、アメリカの金融界も想定していなかったと述べ、今後の戦略的な見直しが必要であると語りました。

共和、民主を問わず、中国警戒論が支配的になったアメリカは、その意味で完全に目覚めたと言ってよいと、現在のアメリカの状況を述べたのです。

オックスニュースのデビッドに続き、メルガン・スタンレーのダニエルもまた、中国について深刻な思いを抱いていることが分かり、現在のアメリカが、全体として、中国問題を深刻に受け止めていることが歴然としたと、五代さんは納得しました。

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