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プーチンのプライド


大国は、当然のこと、世界の国々に大きな影響を及ぼす現実的な力を持っているわけであるから、「プライド」を持っている。

古代においてはローマ帝国、近代史になると大英帝国、現代史ではアメリカ。この三つは分かりやすい例だ。隆盛を極めた時代とそれ以降の時代において、これら大国は過去の栄光を失っても、「プライド」だけは残っている。

もう一つの流れで見ると、「全ての道はローマに通ず」と言われるように、イタリア半島の「ローマ」(第一のローマ)が一つのキーワードであるが、ローマ帝国は東西に分かれ、コンスタンティヌス大帝によって、東ローマが首都をコンスタンティノポリス(現在のイスタンブール)に移し、「第二のローマ」として自らを誇った。

コンスタンティノポリスはその後ビザンティウムに名前を変えるが、ビザンティウムのギリシア正教が、東欧のスラヴ諸族に広がっていく中で、モスクワ大公国のイヴァン三世が十五世紀にロシアの統合を果たし、モスクワを「第三のローマ」として、世界帝国(古代ローマ帝国)の継承者たる「プライド」を示す。

ソ連が崩壊したものの、帝政ロシアが復活する形で登場した現在のプーチン政権は、執拗に米国と対峙して、大国の誇りを取り戻そうとしているが、その姿の背景には、モスクワを「第三のローマ」(世界帝国の首都)としたイヴァン三世のプライドが、プーチンの魂の中に蘇っているのではないかと感じられるのだ。

中国もまた、かつての唐、明、清などの大帝国の栄光を取り戻すという命題を至上のものとし、「米国何する者ぞ」という意気込みで、大国意識を露わにし、一歩も譲らない。

このように、「プライド」を中心に現在の世界情勢を見ると、大国の為政者、特に、最高指導者のプライドは、おそらく、好むと好まざるとにかかわらず、歴史的な背景を背負っており、自分でもどうしていいか分からない強力な精神的作用として、心の中に沸き起こってくるものと考えられる。

現在の国際情勢は、主として、「米国のプライド」「ロシアのプライド」「中国のプライド」が激しくぶつかり合っているものとして見るならば、まさに、これは「プライド合戦」である。

そのロシアのプライドが、プーチンによって、2月24日、ついに、ウクライナへの侵攻というかたちで現実のものとなった。

ウクライナの軍事施設や空港など118か所の重要場所をまずミサイル攻撃で破壊し、制空権を抑えて、陸上の戦闘部隊を地上戦で展開するなど、ロシア軍のウクライナ制圧は用意周到なオペレーションに従っており、考え抜かれた攻撃の前に、ウクライナ軍の防衛戦は善戦とは言え、苦戦している。

プーチンの短期決戦の意図は明らかである。3月4日からパラリンピックが北京で開催されるから、それまでの間に戦闘を終わらせ、首都のキエフ陥落まで達成して、ゼレンスキーとの停戦対話へ持ち込み、ウクライナの「非武装」「中立国」を受諾させたいということであろう。

ウクライナ東部のルガンスク州、ドネツク州を完全な自治州とするのみならず、ロシアに合併させる目的を持った戦いであれば、戦闘は東部での局部的なものになる。

しかし、首都のキエフ陥落の流れで現在の戦闘が進んでいるから、ウクライナの政権を親欧米のゼレンスキー政権から親ロシアの政権に入れ替えるという根本的なウクライナ改造を狙っていることも間違いない。

ウクライナを非武装中立国にしなければ安心できない。これがプーチンの気持ちであるならば、ウクライナがNATOに加盟し、ロシアを脅かす状態になるのは絶対に阻止しなければならないということだ。NATOの東方拡大をプーチンは許さない。

プーチンの強気の戦略は、EU各国および米国の結束力の弱さ、またそれぞれの国の思惑や抱える事情の違いなどで一枚岩でないことを見透かしていることから生まれている。

EUも、米国も、反撃はできないだろうと、プーチンによって完全に足元を見られている。プーチンが一枚も二枚も上手であると言える。

EUに関して言えば、消費されるEUでの天然ガスの40%、石油の20%をロシアに依存しているから、ロシアに対して強く出ることができない。しかし、今回は、ドイツが大量の武器援助に踏み切ったから、ロシアの誤算が見られる。

NATO軍は、直接、ウクライナに入り込んで戦うということもできない。それで、ウクライナは自前でロシアと戦うしかないので、強国ロシアの前に非常な苦戦を強いられることは間違いないだろう。

もっと、決定的なことは、アメリカのバイデン政権のだらしなさである。口先だけで何もできないバイデンを、プーチンはせせら笑っているはずだ。

ただし、プーチンの足元のロシアで反プーチン、戦争反対の声が巻き起こった場合、これはプーチンには応えるはずである。ウクライナとロシアの間では、夫婦、あるいは親戚が、両国にまたがっているケースが多く、「なぜ戦争をするのだ、止めろ」、という声が少なからず上がってくる。

そして国際社会のどの国もロシアの侵略を激しく糾弾しているから、国際世論という立場から見ると、ロシアは大きくイメージを落とすことになってしまっている。

一方、北京パラリンピック(3月4日~13日)が終わるや否や、「今日のウクライナは、明日の台湾」という連動性が、ロシアのウクライナ侵略にはあるということである。世界がロシアのウクライナ侵略を糾弾する中、ロシアをかばっているのが中国である。

根本的に考えれば、アメリカが世界の紛争を抑える力を失っているというのが最も大きく、トランプのような強権を発動できるアメリカでなければ、世界に平和を築くことはできないということである。これが世界の真実であり事実であることに目覚めなければならないだろう。

ウクライナ侵攻のような戦いを見ると、つくづく考えざるを得ない。人類社会の不安と恐怖と混乱は、その主たる原因を、人間相互、国家間相互の不信と妬みと憎しみに帰することができるのではないか。

政治や経済や軍事などの外的要因がいつも論じられることになるのであるが、根本を突き詰めていけば、心の中に不信や嫉妬や憎悪があることから、人間社会に対立と葛藤がもたらされるという心理的要因があることを認めざるを得ない。

「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである」(箴言4:23)

この旧約聖書の言葉とは反対の状態、すなわち、ざわつく心を制御できず、絶えず不信の思いや妬みの心や憎悪の心に振り回されて、本当の自分の在り方、すなわち、「心安らかにして平和あり」という状態を失ってしまうのである。

「自分の心を守る」ことができずに、「命の泉」(生命の躍動)も涸れ果てて、孤独で疲れ果てた現代人の姿が至る所に広がっている。一言で言えば、人間関係におけるあらゆる躓き、不平不満といったものにより、本来の自己の在り方が分からなくなり、生命の躍動感(生きていることの喜び)も失われるということになる。

こういう疲労感と喪失感の多い現代社会において、人は如何に生きるべきかを考えると、やはり、「愛」という言葉の意味が持つ深さの中に、最終的な答えを求めていかざるを得ない。

「憎しみは争いを起こし、愛はすべてのとがをおおう」(箴言10:12)という聖書の言葉は、非常に意味深いものである。

「とが」(罪)の中に生きる人間たちが、お互いに裁き合っても、解決の道がない。疲れるだけである。お互いに不完全な罪びとなのだから。

究極的な言い方をすれば、「愛はすべてのとがをおおう」という言葉は、神の愛が、人類の「とが」を許し、溶かし、帳消しにしてくれるという意味に捉えていいのではないか。

我々のとがをおおって下さる途轍もない愛のゆえに、「許されたわたしの中にも人を愛する愛が芽生えました」ということになるのである。この許しの愛がなければ、人類は生きていけない。この愛を獲得した心の世界に平和が宿り、平和が宿る故に、心を安らかにすることができるというわけである。

兄弟のような関係のウクライナとロシアが戦い合う理由など、ないはずだ。あまりにもナンセンスである。兄はロシアに住み、弟はウクライナに住んでいる。夫はロシア人であり、妻はウクライナ人である。どうして戦うことが出来ようか。戦争はしてはならないのである!!

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