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「ブルガリアより愛をこめて」その4【最終回】

ドブリの行方不明事件は、手掛かりがないまま、マスコミの方の騒ぎ方も、落ち着いてきたのであるが、ドブリの行方不明にかかわらず、日本ブルガリア経済戦略に関わる双方の事務方の設置ならびに定期会合の開催などは、着々と進められていた。

ドブリ・ナイデノフの失踪事件は、ブルガリア国内で警察の取り調べが始まり、いろいろと関係筋を徹底的に調査するという基本方針が掲げられて、ドブリが日本で失踪するに至った根本原因は、やはりブルガリア国内にあるという推測のもとに、警察の手がいろいろなところへ伸びていった。

しかし、日本にも何か手掛かりがあるかもしれないという可能性も排除すべきでないという意見もあって、ブルガリア警察の方から、ブルガリア大使館へ数名が派遣される事態が展開され、日本側に何か失踪の手掛かりがないかを探る動きまで出てきた。

こうして、ドブリ失踪事件は、重大な何かが背景にあると見たブルガリア警察の本格的な調査を呼び込む結果となったが、それと同時に、ブルガリアの検察の方も動きが始まっていた。これは警察の調査だけで済む問題ではなく、検察の出番、すなわち、裁判にまで持ち込まなければならない犯罪性を想定したのである。

このドブリの事件は、どうも大きな犯罪の匂いがするという検察の勘が働き、犯罪が確定すれば、裁判の執行を求めざるを得ないだろうと、すでに、法廷闘争の覚悟まで決めているのであった。

ブルガリアの警察および検察が本格捜査に乗り出した以上、事件は何らかの形で明るみに出て、事件の全貌が解明されるのは時間の問題だろうと報道関係者たちは考えた。

まず、問題になったのは、ドブリが失踪する前に、日本の渋谷にあるブルガリア大使館に提出した「日本ブルガリア経済戦略会議」の報告書である。

すでに述べた通り、ドブリ・ナイデノフは、ブルガリアの国内産業開発を担当する部署の責任者であったが、ツヴェタン・ストイチコフは、日本の大使として任命される前、ドブリの下で働いていたという関係性を、ブルガリア警察は掴んだ。二人はよく知り合っていた。

ブルガリアから派遣された警察が、ツヴェタン・ストイチコフに訊ねた。

「ドブリに何か変わったことは見られませんでしたか。」

「いや、特別にこれといった様子は見られませんでしたが、今となって、考えると、わたしのことをしきりに羨ましがり、冗談のつもりでしょうが、わたしと代わって、ドブリ様が日本の大使になるっていうのはどうだい、と言ったのを思い出しました。日本は平和で安全でいいと、大体の外国人が言うようなことを、実感を込めて、口にしたのをはっきり覚えています。」

「と言うことは、ブルガリアにいると、平和で安全とは言えない状況が、ドブリにあるということですか。」

「そこまでは言わないですが、ドブリが日本で失踪したことを考えると、彼は身を隠したということも考えられます。安全な日本のどこかに身を潜めているということですね。ブルガリアにいたら、身が危なくなるような何かを、ドブリは仕出かしていると考えることもできます。」

「それについて、何か手掛かりのようなものはありますか。」

「私はドブリの下で働いていましたから、分かるのですが、ブルガリアの国内産業開発を担当する部署の責任者はドブリでしたが、ゲオルギー・ババゾフが、その国内産業開発の担当部署の責任者の座を巡って、ドブリと争い、敗れたことがありました。ババゾフはそのことを相当、深く根に持っていたようです。」

「えっ、それは聞き捨てならない話ですね。ドブリとババゾフは政敵のような関係にあったのですか。ドブリがババゾフに何か弱みを握られていたといったことが考えられますか。」

「さあ、それは分かりません。何かあったのでしょうかね。あ、そうそう、これはお伝えしておかなければなりませんが、重大なことを忘れていました。ババゾフはマフィアと繋がりを持っているという噂もあり、裏で何をやっているか分からないところがあるということを話す者もいました。」

「そうですか。何か重大な手掛かりとなる人物がババゾフであることは、ほぼ見当がつきました。お忙しいところ、ご協力ありがとうございました。」

このようなやりとりをしたことを、ツヴェタン・ストイチコフから聞いたわたし原田は、事件の核心部分に、いち早く、ブルガリア警察は切り込んだと確信した。

ツヴェタンとのやりとりの中で多くのヒントを与えられたブルガリアの警察官は、直ちに、本国に電話を入れ、一部始終を上司に伝えた。

ブルガリア国内産業開発を担当する部署の一人一人に対する聞き取り調査が、早速始まった。警察の打つ手は早かった。

フリスト・ヴァルタンという人物を警察が聞き取り調査したとき、彼は、マフィアがよく国内産業開発の部署へ出入りするのを見たと言った。副部長室のババゾフの部屋へと消えていく姿がしばしば見られたとのことである。

ある日のこと、フリストは産業開発のビルディングを出たところのレストランで食事を取っていたが、そこへ、例のよくババゾフの部屋に出入りするマフィアが入ってきて、フリストの横へ座った。そして、声を落とし、得意げに言った。

「おい、お前にも少し分け前をやろう。ババゾフ様から頂いた分け前だ。ほれ、取って置け。100ドルをお前にも上げよう。これは誰にも言うなよ。言わなければ、ババゾフ様からお礼を頂いたときには、お前にも少し分けてやるよ。

これはだな。ドブリ・ナイデノフがEUからの補助金を不正に横領したお金の半分をわれわれが巻き上げたものだ。ドブリのEUの補助金横領の事実をババゾフ様が掴んで、それをわれわれに暴露してくれたお陰で、ドブリをゆすったってことよ。しっ、これは誰にも言うなよ。絶対、秘密だぞ。分かったな。」

洗いざらいの聞き取り調査の結果、早くも、相当な間抜けが一人いて、フリストへ話してくれた一部始終により、犯罪の全貌があっけなく曝け出される羽目になった。

その間抜けなマフィアは、直ちに、警察へ呼び出され、徹底的な聞き取り調査を食らった。その結果、味を占めたマフィアは、適当な名目で、二回に亘り、さらにEUからの補助金をドブリに出させ、その金を脅し取った事実も発覚した。

これらの犯行の事実を警察から受け取った検察は法廷へと場を移し、ババゾフ以下、犯罪に関わったマフィアの組員たち全員に、懲役刑が言い渡された。

都合三回に亘る補助金横領罪のお金は、EUとの信用関係もあり、一旦、ブルガリア政府がEUに返却するという形が取られた。事件の再発がない限りにおいて、補助金を再開するかどうかがEUにおいて検討されることとなった。

事件の解決を知ったドブリは、日本からブルガリアへと帰路の飛行機の中にあった。キャビン・アテンダントが持ってきてくれた新聞を広げて読んだのであったが、「ドブリ失踪事件、スピード解決」という大見出しのもと、「ババゾフとマフィアの共謀発覚」という小見出しも付いていた。

 記事の中、「ドブリが失踪していた期間は、わずか10日間に過ぎなかったが、どこに隠れていたのかの質問に対して、それは言えませんという答えを記者団に与えて、記者会見室をあとにした」と、事件の結末を締めくくっていた。

振り返り見れば、ひとりの間抜けなマフィアのお陰で、事件はスピード解決の方向へと向かった。あっけないほどの幕切れであった。EUとブルガリアの関係も、まあまあ、大事に至らずに済んだと言えよう。陰険な策士、ゲオルギー・ババゾフは、刑務所の中で、歯ぎしりをしていることだろう。

ドブリは、三回に亘る横領事件に関与した罪を認め、くすめたお金は、全部、政府の方へ返却した。20日間の拘留刑という最も軽微な刑で済んだドブリは、今後一切、公金に手を出すようなことはしないと心に誓い、元の仕事に復帰した。

 経済戦略会議の示す方向性、すなわち、日本とブルガリアの経済協力が今後、半導体国家ブルガリアの創建へ向かって一歩を踏み出した重みを感じながら、ドブリは大きな責任を感じていた。

事件解決から一か月のち、わたし原田周三は、再び、ブルガリアの地を踏んだ。今度こそは、黒海沿岸の街ヴァルナで本当のブルガリアを満喫するつもりである。ヴァルナのホテルで待ち受けていたのは、ボリスラフ・フィンツィとドブリ・ナイデノフであった。三人は、それぞれお互いに固く抱き合った。そして、私は言った。

「今度こそは、本当のブルガリアへのわたしの愛を満喫するときだ。ブルガリから愛を込めて、日本人の原田周三を迎えてくれたことに深く感謝する!」


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