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「ブルガリアより愛を込めて」その1

 私は、ブルガリアの友人から是非とも黒海沿岸の街ヴァルナに来てほしいという連絡を受け取って、すぐさまブルガリアに飛んだ。その友人とは、アメリカのコロンビア大学で一緒に学んだボリスラフ・フィンツィのことで、私とボリスラフは無二の親友である。一体、何の用事で私を呼んだのか、皆目見当が付かない。会ってからゆっくり話したほうがよいというボリスラフの気持ちなのであろうが、気になって仕方がない。何か重大なことであろうか。

黒海に臨むヴァルナはブルガリアでも有数の街で、歴史的な香りが大いに漂っている。ホテルに着いた私を迎えてくれたボリスラフは、相変わらず元気な様子だった。十年前のコロンビア大学時代と少しも変わっていなかった。192センチの長身の体躯を持つボリスラフが、両手を広げて、172センチしかない私をすっぽりと包むようにハグしてくる親愛の情に満ちた表現は、正直に言って嬉しくもあり、懐かしくもあり、会った途端に、私の日本からの飛行機の旅の疲れは吹き飛んだ。彼はベストウェスタンパークホテルヴァルナというとても綺麗なホテルを準備していてくれたが、私を呼んだ肝心の用件には触れず、ブルガリアの自慢話をホテルの部屋でひとしきりした。

「ブルガリアは食べ物がおいしい。ぼくは世界で一番おいしい食事を毎日取っている。だから、こんなに大きいのさ。日本で、相撲レスラーとして頑張っている琴欧洲も二メートルを超えているはずだ。」

「君の大きな体は、ブルガリアヨーグルトのお蔭かい。ブルガリアに何があると言うんだ。ぼくはヨーグルトしか知らないね。」

「悲しいな、ヨーグルトしか知らないとは。ケバプチェの美味しさを知ってもらいたいね。スープのタラトールだって美味しいさ。土鍋料理のカヴァルマもいけるぜ。原田、君はもっとブルガリアをよく知るべきだ。ブルガリア、イコール、ヨーグルトというのはちょっとさびしいな。神様が恵んでくれたブルガリアの肥沃な大地は色々なものを産出するのさ。

きれいな水、豊かな農産物、豊かな果物、湧き出る温泉、豊富な家畜、食べるには困らない豊かな国が我が国だ。貧しい国ではあるが、大地の産物は豊かで、食うには困らない。そういう意味では、案外、豊かな国だと思うよ。そして、数ある修道院で祈りを捧げてきた信仰の国がブルガリアだ。多くの教会が、今では世界遺産となっているがね。」

「うーん、特徴と言えば特徴のようであるが、ブルガリアのブルガリアたるところが、もう一歩、分からないなあ。」

「よく考えてみろよ、ブルガリアの地理的な位置を。まさに、それこそがブルガリアのブルガリアたるゆえんと言ってもいい。セルビア、マケドニア、などに接し、バルカン半島に連なる。そしてアドリア海からイタリア半島へと出ることができる。

またギリシアに接し、黒海に接してトルコへと連なる。ブルガリアの北方にはルーマニア、ウクライナ、ロシア、また黒海を挟んで、東の方にはグルジア(ジョージア)、アルメニア、アゼルバイジャンなどのコーカサス諸国、これだけ言えば、分かるだろう。ブルガリアはそういう国々と歴史的に関係しながら、複雑な時代、時代を生き抜いてきたんだよ。」

「何を言いたいんだ。ブルガリアの地理は君の説明の通りに理解できるが、今回、ぼくを呼び出したこととそれが関係のあることかね。つまり、ブルガリアの地政学的な絡みが影響する何らかの国際政治の問題で、ぼくに頼み事があるとでも言うのかね。」

「何と君は勘がいいんだ。ずばり、そういうことだ。さすがは読みが早いね、周三は。知っての通り、ぼくは今、政府機関で働いている。冷戦時代はソ連の衛星国家だったが、冷戦が終わって、東ヨーロッパは次第に西側世界の影響下に入って行くようになり、ついに、ブルガリアもEUへの加盟を果たした。」

「いいことじゃないか。EUの一員になったってことは。EUに加盟したことで何か不都合なことでも生じたと言うのかい。」

「いいこともあり、課題もある。そういうところだ。詳しいことは言えないが、大まかに言うと、冷戦後も、欧米西側諸国とロシアの水面下の綱引き合戦の駆け引きは続いており、ブルガリアも決してその影響を免れているわけではない。その影響をまだ大きく受けていると言わざるを得ない状況だね。」

「少しブルガリアの状況を説明した方がいいみたいだね。冷戦後、すなわち、1990年以降、ブルガリアは経済的に冷戦時代よりも貧しい状態となり、苦境に陥った。東からも西からも積極的に支援を受けられないような中途半端な状態で、混迷の経済状況が続いた。」

「EUに加盟したことで、その経済苦境を切り抜けていける目処がついたかね。EU諸国からの投資が増えているのではないのか。」

「もちろん、投資はいろいろと増えている。ドイツ、オランダ、オーストリアなどが積極的だ。お隣のギリシアからも投資がある。EUは補助金なども考え、協力してくれているが、恥ずかしいことに、われわれブルガリアの政府機関と言うものはどうも、汚職体質があり、公金の横領事件も多い。そこに深くマフィアが絡んでいることも君に言っておく必要がある。」

「なんだか聞き捨てならない話のようだね。君はまさか横領事件など起こしてはいないだろうね。」

「僕はやっちゃいない。しかし、僕の友人が引っかかってしまった。しかも、マフィア絡みだ。その友人が助けを求めてきているのだ。」

「やばいなあ。非常にやばいぞ。その友人の事件にぼくをどう関わらせようと言うのかね。一体、君はその友人にどんなことを頼まれたんだい。」

「彼はEUからの補助金を不正に横領してしまった。どこからどう漏れたのか知らないが、とにかく、その事実をマフィアに掴まれてしまい、恐喝された。半分をよこせと言ってきたのだ。よこさないとばらすぞと脅かしてきたので仕方なくその通りにした。ここで話が終われば、まだいいのだが、次第にマフィアは彼に執拗に絡みつくようになり、いろいろと要求を突きつけてきた。」

「ややこしいなあ。これは非常にやばいぞ。ぼくに何をせよと言うんだ。もう、日本にすぐ引き返したくなったよ。ボリスラフ、君と僕とは、いくら友人とは言え、君の頼み事が不条理なものであれば、君に協力するのは御免だよ。僕まで、マフィアに追い回される羽目にならないとも限らない。」

「もう少し聞いてくれ。君に迷惑はかからないようにする。マフィアが友人に要求してきたことは、EUからの補助金を適当な名目で引き出し、さらにネコババするようにと言うものだった。それを山分けしようと脅してきた。その要求を聞かないと、インターネットでEUの補助金を横領したことを国民にばらすと言ってきた。

そうすると、ブルガリア国内どころか、EU諸国まで知れ渡ってしまうことになる。何しろ、インターネットは世界のどこからでも、クリック一本で情報が掴まれてしまう代物だからね。ぼくの友人の最初の不正横領がずっと尾を引いているわけだ。それを餌にされて、マフィアからゆすり続けられていると言う始末だ。」

「それで彼はマフィアの要求をのんだのか。」

「残念ながら、のんだ。これまでマフィアの言うとおりにやって、二度ほど横領した。彼自身の最初の横領を含めると、三度やったことになる。今また、要求されているのだが、もうしたくないと断ろうとしたら、やらなければ殺すぞと脅かされるところまできた。ついに耐えきれなくなって、これまでのことをすべてぼくに知らせてきたというわけだ。助けてくれと言っている。何とかしてあげたい。」

「何ともならないよ。言うことを聞かなければ、彼はそのうち殺されるだろう。言うことを聞いても、最後は、マフィアが、彼らの秘密を知った厄介者として彼を闇に葬るだろう。やるにせよ、やらないにせよ、どっちに転んだって、彼は葬られる運命を背負ったようなものだ。」

「おい、そんな薄情な言い方はよしてくれ。周三、君は僕の友人じゃないか。何とか力を貸してくれよ。」

「君に何か考えがあるのかね。犯罪人をかばい、助けると言うのは、気の重いことなんだよ。犯罪をかばうことによって、自分も同罪に落ちるようなものさ。幇助の罪だよ。」

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