鶴屋かしこ

今は準定期的に記事をあげています。いずれ趣の違う記事などもあげたいとも思っています。 …

鶴屋かしこ

今は準定期的に記事をあげています。いずれ趣の違う記事などもあげたいとも思っています。 私のことは、固定している記事の「あなたは何者ですか?(https://note.com/tsuruya_cashico/n/n129706e46917)」をお読みください。 書くことだいすき。

最近の記事

  • 固定された記事

あなたは何者ですか?

 私は、「鶴屋かしこ」です。本名ではありません。  この度は、ご観覧ありがとうございます。何事もまずは自己紹介が大事だと思うので、簡単に「”鶴屋かしこ”とは何者か」といった部分を最初に書いておこう、と思った次第です。  まず初めに、「note」を開設した経緯について、です。  ある日、ある方から、「エッセイを書いてみない?」と提案され、「無理ならそれでいいし、やってみっかあ」程度の認識で、身内限定公開の形を取って始めたエッセイは、なんと一年も継続! その一年の間に、公開して

    • 明日、死んでしまえば。

       昔ほど、死に対する憧れのような、興味のような物はなくなってきた。それでも、落ち込んだ日や、心がすり減った日は、「あー、死んじゃおっかなー」と、考える事もある。  酷い時は、5階の自宅にあるベランダの手すりに胸骨あたりをつけて「このまま……」とか、いつの間にか窒息する締め方あったよな、とか、窓から落ちれば、とか考えている事もあった。追い詰められて飛び降りる夢を見た事もあったが、最近はそれらもなくなった。  明日、死んでしまえば、どうなるだろうか。  葬儀代はいくらかかるだろ

      • 人の話

         私は人が話しているのを聞いているのが好きだ。  なんでもいい。自分が興味を持てれば、相手のその熱を感じて、聞いていられる。  例えば、人の昔の話とか、好物だ。 よく母親の幼少期やら、学校の事やら、当時の流行などを聞き倒して、「もうおぼえてないよ」と言われるまで喋らせていた。  他にも、街中や病院の待ち時間に、人の会話に聞き耳たてて、ふんふんと聞いてるのも好きだ。これは趣味が悪いだろうか。  人の話というものは、魅力的で、自分が経験し得なかった事が次々に出てくる。  この、経

        • 映画の帰り道

           珍しく母と2人で映画を見に行った。  母も私も気になっていた映画で、見終わった後にエレベーターも待っている時も「あそこよかったね」「ここ、そうだったのね」と二人で話しながら帰ろうとしていた。  出口に繋がる下りエレベーターの隣、上りのエレベーターには、同じ様に映画を見終えたらしいカップルが仲良く喋っていた。  私達が乗ろうとしている下りのエレベーターの所に、スーツ姿の眼鏡を掛けた、髪の毛を後ろで団子みたいに結んでいる、仕事ができそうなお姉さんが立った。  お姉さんは、ぎりぎ

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        あなたは何者ですか?

          時代についていく

           ネットショッピングは利用しない。 何か特別な物を購入する時はあれど、基本的に、利用しない。  その、特別何かを購入する時、驚いた。 なんとポチーで買えてしまう……これは恐ろしい。 「趣味はネットショッピングです」なんて言う人を信じられなかったが、なるほど。これほど軽く買えてしまうのだから、趣味にしてしまうのもよくわかる。  別の機会、一次創作物をネットで買った。 それは昔から応援している人だったが、商品的なものは今回が初だった。  どうしても欲しくてポチーしたのだが、こちら

          時代についていく

           ほんのちょっとだけ、「世の中」を考えてみない?

           私のような凡人一人の力では世の中に蔓延る地球とか人権と貧困とか性差別等々のとても難しい問題の数々を解決できるわけがなく、「どうか凡人ではない皆さん頑張ってください」と念じて祈る。などという応援的発言すら「ちょっと恥ずかしい」とか「生半可な気持ちで踏み入れると怒られそう」とか「私ごときの考えは既に熟考済みだから今更私が参加しても意味がなさそう」とか、"まだなんもしてないのに"勝手に想像して「やめとこ」と、なってしまうのは、一つの圧力だろうか。「こっち側に入ろうとしているのなら

           ほんのちょっとだけ、「世の中」を考えてみない?

           そんな当たり前のことを

           私が文章を書くにあたって、「これはやめといた方が良いな」と、書いた後に捨てることは何度もあった。そして、何度も書いて何度も捨てた一つのテーマがある。いつ書いても、何度書いても、「これはやめておいた方が良いな」と捨ててきた。それなのに何度も書いているのは、私の中で、「書きたい」と思うからである。私の中で、ある種のタブーとなっているテーマとは、「多様性」である。  多様性をテーマにした文章は、あっさり書いてしまうとうまく伝わらない気がして、塗り重ねるように書き潰すとむしろ薄っぺ

           そんな当たり前のことを

          雪の日のバス

           1月の中旬、誕生日間近の日、大雪が降った。  帰宅に使う駅前のバスロータリーや、その周りの歩道は、店や駅の明かりが点いていても普段よりも暗く、地面は土が混じった薄黒い雪で埋め尽くされ、雪と氷の間の状態。踏みしめるとシャクシャクと音は鳴るが、滑るまではいかない程度だった。  ロータリーのバス停では、時刻通りに来ないバスに、時間が経つに連れて、不安が増していた。  私が差しているビニール傘には、氷を削った様なゆるい雪が積もり、少しずつ重くなってくるので、たまにバスロータリーの道

          雪の日のバス

          価値観の違い 2

           ドラマやアニメ、ゲームや小説などの、自分が好きな物を他人がどう思っているか。など、自分からすれば関係のない話だ。  自分が好きならば、他の人が酷評していても、それは他の人の評価。その人が嫌いなだけであって、自分が好きな事には変わらない。  たとえ、100人が酷評していても、「自分は好きだけどな」を崩す必要はない。 と、思ってはいるけど、やはり他人の評価は気になる。どこかで、「これ、面白いって思うよね?」と、確認したい。  話は少し変わるが、人は「共感」から距離が縮まると、

          価値観の違い 2

          将来の方の夢

           私は、夢らしい夢を持ってこなかった。 保育園の頃は「ヒーローになりたい」だとか、小学校の頃は「エアコンが効いた職員室が羨ましいから教師がいい」だとか、邪な欲望じみた願望はあったものの、心からこれになりたい、「将来の夢」を持ってこなかった。 持ってこなかったからこそ、今なのだろう。  思えば、何かに打ち込む情熱や、夢に向かう活力などもなかった。 今も昔も、ダラダラと時間を消費しながら生きているだけだ。  では、夢を探したかと言われれば、探しもしなかった。  夢を持たなかった。

          将来の方の夢

          寝る方の夢

           寝てる時の夢。今でも覚えてる、過去に見た悪夢の話。  いつ頃だったろうか。とても幼い頃だった。  それは夢。我が家がある団地の5階から、踊り場のある階段を降りる。  突如、下の階からコウモリの大群に追いかけられ、今降りてきた階段を駆け上がり、登り続ける。登ってる時に見えた外は、真っ黒(真っ暗ではなく「黒」)で、怖いと思った。  明らかに5階以上登り続けて、どれくらいかで、目が覚めた。  家には母親も姉もおらず、1人で寝ていて、後に、いつの間にか1人で寝ていて、「誰もいない不

          人を感じる

           ときより、人を感じる。  何も怪しい話ではなく、「ネットを介していても、向こう側は人」とか「このデザインはひどい。けど、これも誰かが、人が考えて生み出された物」など、何かには必ず人が関わっていて、その何かを批判や否定する事は、その考えた人々も否定する事になる。 そう感じた瞬間を自分なりに表現したのが、「人を感じる」  ある時に人を感じてから、安易に「ひどい」とか、「悪い」などの、自分から発する否定的意見が少なくなった。 「確かに評判は良くないし、私もそんな好きじゃないけど、

          まともな人間なのでは?

           タバコを吸いながら片手で自転車を漕いでるおじさんが横を通って行った。「なんてやろうだ」と思って、前を見ると、おじさんは既に角を曲がった後だった。  それでは、横断歩道の信号を車1台通ってないのに待っていたり、対向歩行者が来た時はかわしやすい様にどっちかに寄るなどしている私は、意外とまともな人間なのでは? そう思うと、自己肯定感が増した。

          まともな人間なのでは?

          コバエとハエトリグモ

           夏の時期はどうしてもコバエが出る。と、同時に、ハエトリグモも出る。  "蠅捕蜘蛛"と和名を持っている割には、ハエを食しているところを見た事ないし、なんならコバエは毎年出るし、さほど減っている感じもしない。 よっぽど、ネットで見た「ミリン+水+一滴の洗剤」を混ぜた"コバエトラップ"の方が捕獲率は高い。  ハエトリグモは害虫どころか、かわいいまであり、叩いて潰すなんて、そんな事はできない。"益"もあまり無いが、"害"も無い、「害無し虫」だ。  ハエトリグモの寿命はおよそ1~2年

          コバエとハエトリグモ

          綺麗に噛み合った瞬間の目撃

           バスの車内、2車線の道路で信号待ち。外を見ていると、縦に並ぶ形で隣に2台のバイクが止まった。  先頭にいるバイクは小ぶりで、いわゆる"原チャリ"。顔を覆えるフェイスシールドがついている、少し大きめのオレンジ色のヘルメットを被っている。その後ろで止まったバイクは、それよりも少し大きくて、座席が後ろに1つある、中型のスクーター、「乗せてるだけです」みたいな、ドングリの頭のような小さめのシルバーのヘルメットを被っている。  その日はひどく大雨であった。大雨の中、2台の小・中のバ

          綺麗に噛み合った瞬間の目撃

          書く

           PCのメモ帳に文章を書き、違うなと思った部分を修正しながら、完成したら2~3日の間で何度か見直して、それでも大丈夫ならノートに書く。  これ自体はなんともないのだけれど、ノートに書いた文章を後から見返すと妙に恥ずかしくなる。  なぜだろう。自分の文字の不甲斐ないからだろうか? 自信のなさからだろうか? 文章が恥ずかしいのか。文字が恥ずかしいのか。人に見られるかもしれないが恥ずかしいのか。 「ノート」というのは、紙媒体のノートのことです。