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ほぼ1週間、夫婦ドライブ旅〜9/3-9/4 草ちゃんと魚津水族館の巻〜

昨晩ぶじ東京に戻りました。つるうちはなです。

我が家からの景色もやっぱり愛おしい

夫の勤める会社は大変ホワイト企業のため、年一で丸々1週間休みを取らなくてはいけない規則があります。今回はその休みをフル活用して、「マイカーで行く北陸ツアー〜下呂温泉もあるよ〜」旅を実行!それはそれは濃密な旅で、一生モノのような時間だったので、この記憶をアツいうちに記録しておきます。

9/3-9/4 東京〜魚津

魚津漁業組合シブい、カッコよすぎ!

まず向かったのは富山県の魚津。香港日本人小学校の同級生で魚津水族館で働く「草ちゃん」に会う&魚津水族館に行く&うまい魚を喰う、を目的としました。全部叶いました。

ふわっふわの白エビ唐揚げ
富山のすごく美味しい地酒(買って帰った)
食べかけですが旨味の奥行きやばすぎプリプリ刺身たち
奢ろうとする草ちゃんとの押し問答(ご馳走様です!)

この草ちゃんとの再会は私にとってすごく意味のあることでした。

香港から帰国してしばらく、私は草ちゃんと文通をしていたそうです。まだSNSが発達してない時代。それがある時から途切れて、音信不通になったと。日本の教育や空気に全く馴染めずハミだし叩かれ完全に不登校になった私は、本当に精神状態が泥沼のようだったので、正直このあたりの記憶が全くありません。

20歳の同窓会の時には「つるうち居ないと始まらねえだろ!」とみんなで探してくれたらしいんだけど私はその頃新たな怒涛の人生真っ最中で芸名は「はなちん」で色々な恋人のおうちに移り住んだりしていてプライベートSNSもやってなくて誰も私を見つけられず、「なんかはなちゃん帰国してから中学で不登校になって引っ越したり大変だったらしい、探して欲しくないのかもしれない」などと話がされていたということも聞いた。

そう、小学校の同級生たちは、私のことをちゃんと覚えていてくれた。あの頃の私は大変わがままでジャイアンのような気質だったから、中学の記憶とごちゃまぜになって、「さぞかし嫌われていただろうし誰も私のことなど覚えていないだろう」と思い込んでいたのだけど、その記憶とだいぶ違う話を草ちゃんから聞いた。

「つるうちは本当に明るくて学級委員もやっててクラスの中心人物だったからさー」と草ちゃんに言われた時、私は中学があまりにしんどかったこと&それは自分の性格に問題があるからだと認識していたところから、小学校の頃の記憶まで捻じ曲げていたんだなあと気づいたんですよ。草ちゃんのなにげない思い出話で、そのねじれた記憶がパーン!と壊れて、香港日本人小学校がどれだけのびのび楽しくて、面白い同級生たちに恵まれていたのか、思い出せました。呪いが解けたような感覚でした。

まだ再会できてない同級生もたくさんいるし、やはりどう考えても私は非常に乱暴な子供だった(不登校になってしっかり自省できて良かったと思うくらいには)と思うので、全員にとっていい思い出ばかりではないかもしれないけど、あのときの私と楽しく遊んでくれて、その後も覚えててくれた同級生、本当にありがとう。(そういえばメジャーデビュー後のワンマンにも同級生の美女二人が来てくれたなあ…)

翌日は草ちゃんが働く、日本で最も歴史のある水族館「魚津水族館」を草ちゃん解説で隅々まで案内してもらいました。

4日の朝ごはん、押し寿司、能登のだしまきなど
「歓迎!魚津水族館」の看板に時代感じすぎて感動
夫と草ちゃんは話が合いまくりとても仲良しに。
古い建物好きは発狂すると思う
現役で稼働する西魚津駅。うっとり…

そしてめちゃくちゃローカルかつ楽しすぎる魚津水族館!!草ちゃんの説明がわかりやすくて面白くて本当に楽しかった。そらさかなクンのテレビにも出るわ。草ちゃんは小学校のときから本当に変わらず目がキラキラで探究心の塊。ひとつも汚れてなくてピカピカの魂のまんまだった。

彼は今ホタルイカの研究では第一人者というくらいホタルイカに詳しいのだが、夫も「俺はいつか富山にホタルイカを食べに行く」と言い続けるくらいにはホタルイカ好きなので、私がぼんやりしてる間ふたりはホタルイカや海洋生物の話などで大変盛り上がっていた。

私はこの子に一目惚れ
夫の様子がおかしい
草ちゃんも私も小6で成長が止まったタイプ
お土産屋の真珠館はレトロ宝庫。全国からマニアが来る。

本当に素晴らしい、隅々まで愛の溢れる水族館です。思わずペン立て買うぐらいには良すぎるので、富山に行く際は是非お立ち寄りください。

古い旅館にあるタイプのペン立て

そして草ちゃんと惜別の別れをし、我々が向かったのは富山県「和倉温泉」。ここでも奇縁やおでんに恵まれます。次回、寝て待て。

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