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新潟と津軽三味線③

体調を崩したにも関わらず、医者から外出許可をもらい、新潟トリップを決行しまして、現在は疲れが出たのか急に動いてびっくりしたのか夏風邪のような症状に悩まされながら新しく始まった『十三の砂山(とさのすなやま)』という曲を家に籠って頭に叩き込んでいます。あまり記憶力が良い方ではないので、結構キャパオーバーかもしれません。(笑)まだ津軽五大民謡を習っていませんから、きちんと整理して詰め込む先を作っておかなければなりません。

今日はショートトリップで得られた事、というお話しをひとつ。ただ、あまり整理がつかなかったというのが事実でして、だいぶ散文ですがご容赦ください。

振り返り

散文とはいえ、過去のお話を読んでいただければ、あるいは伝わるやも知れません。よろしければぜひ。

知りたいという衝動

瞽女さんは生きるために旅し、生きるために芸を磨いたという事は本で読み、知っていました。ボサマもまた、同じですね、生きるための旅をされておりました。今は、それをご本人から口伝していただく事はなかなか叶いません。①で前述した通り、すでにほぼどこの地域も瞽女さんを廃業されてしまっているからです。厳密にいうと『瞽女唄』は継承されていて、口伝されていますが、実際に巡業に出たのかというと、どうやらそうではなく、唄が途切れぬよう継承されたようです(今日時点の私調べ)。もちろんこちらも大切ですが、『イズム』まで継承されているか?というのは、継承されたご本人にお話を聞かなければ『わからない』というところでしょうか。現時点では宿題とさせてください。

とは言え、たとえ又聞きでもいい、書籍では得られない『瞽女さん』とは何か?を求めて上越高田へ行きました。動画は残っていたものの、昭和47年頃(晩年)のものでした。

同じ『竹山流の演奏』は過去に高橋竹音先生の演奏で知りました。私欲は出るもので、師匠とはまた違う解釈の竹山先生の音色を求めて『もっと竹山流を知りたい』と、新潟高橋竹山会の演奏会を見るために新潟へ行きました。

足を運ぶこと自体は『情熱』と言えば聞こえはいいかもしれません。しかし、まだ三味線歴丸2年の私に何がわかるというのでしょう。正直、今回の旅で得られた経験は、他人からすればほんの些細なことかもしれません。でも私は、それを知らずにいるのは、罪だと感じたのです。せっかくチャンスがあるのなら、恥をかく程飛び込むべきだと、何事にも失敗はなく、『失敗という経験』を得るのだと、きっと旅立つ前には思ったのでしょう。

一人称『私』の違い

生きるために旅をする瞽女さん、世界中で活躍されている史佳先生、生きるための活動と考えれば同じことかもしれません。私は職を持っています。実際、本職をお持ちになりつつ三味線奏者である方もきっと多いことでしょう。いま私がやっていることは誤りではないですが、間違いなく『覚悟』は違うな、と感じたのは上越高田、新潟、そして私の師匠を見て痛感しました。

うまく文章で説明できるかわかりませんが、私の演奏は『趣味』の域をまだ出ることが叶いません。なんとか、この大きな囲いから飛び出したいとは考えている反面、三味線のために他を犠牲にできるか?(今乗っているレールから外れることができるのか?)と言われると、う〜ん、という回答しか出ません。当然ながら、経験が浅いですから見えている世界も狭いですし、まだまだ知らないことだらけ、そんな私が『覚悟』を語るのは滑稽なことかもしれません。しかし三味線人生において、何をゴールとして見据えるか?によって生活や練習量、三味線との向き合い方も大きく変わります。広義な意味で言えば、音楽に対する向き合い方が変わるはずなのです。

瞽女さんや坊様には、『生きるためには三味線を弾く』しか道がなかったわけですからその覚悟は、ぬるま湯につかっている私にはなかなか理解しがたいものがあります。ただ、それを知ろうとするか、知らずに終えるかは私が決めることができるはずです。私の場合は前者を選び、足を運んだ訳ですが、決して正解だとは思っていません。人それぞれ、三味線、民謡、音楽にどう向き合うかが自由です。それが、現在の音楽、現在の三味線のある姿なんだ、ということを今回の旅で知ることができたのだと思います。

三味線プレイヤーである史佳先生は、世界中で演奏をされています。私の師匠も海外公演をされています。幼少期から三味線を演奏され、三味線で生きている先生、先輩方の生き方は、形は違えど瞽女さん、ボサマに近いのではないでしょうか?理解してもらえるかもわからない異国の地で、日本魂を心から演奏する姿を思うと、行動は普遍なのだなと感じます。

私はどこへ向かいたいのか?

落語の中にも古典が好きな方、新作が好きな方、それぞれいらっしゃると思います。私は元々、『日本のソウルミュージックとは?』から三味線にたどり着いた通り、民謡、特に津軽民謡が弾きたくて、今ここにいます、津軽人でもないのに。ただ、外側にいるからこそ見える『津軽』もありますし、『魂(ソウル)』は日本ですから、いつか繋がる日が来ると信じています。

いつまでも聴く側ではなく、弾く側、『三味線奏者』として前に進まなければと思わせてくれる旅でした。
ありがとうございました。🙇‍♂️

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