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スペイン語の再勉強はレシピ本で

友だちの多くがゲーム「どうぶつの森」の世界にこもってしまって、どう過ごそうか考えあぐねていた土曜日。
せっかく家にいる時間が長くなったのだから何か実用的なことを始めようと、スペイン語を再び勉強し始めた。

久しぶりに見るスペイン語。
cebolla (玉ねぎ)やaceituna(オリーブ)、ventana (窓)といった、ペルーやスペインで使いまくった単語の既視感に安堵したのもつかの間、授業の大半を占めていたはずの動詞の活用はもはや掘り起こせないほど記憶の深いところに埋もれてしまっていた。
曲がりなりにも4年間勉強していたはずなのになぁ。
必要に迫られないと記憶を留めておくことは難しい。
と、世界史のセンター試験を解いたときにも思ったけれど、まさか大学時代に学んだことまでもが急速に失われつつあるとは知らなかった。
早すぎる。そして馬鹿すぎる。

大学の頃も嫌々勉強していたわけでは決してなかったけれど、より身を入れて勉強するためにはもっと切実なテーマにした方がよさそうだ。
というわけで、以前ペルーで買った料理本『Cocina peruana』のレシピを気になった料理、食べたことのある料理から翻訳することにした。
異国の人物の冒険譚を読み解くよりも、他ならぬ自分が料理するために翻訳した方が、きっと本気度は増すだろう。
「翻訳」なんて格好つけて書いてみたものの、実際には単語調べに費やす時間が圧倒的に多い。レシピなので動詞は基本的に命令形だ。学生の時から少し怪しかった過去未来や接続法が登場しなさそうで、ほっと胸をなでおろした。

いつかホストファミリーに「日本でも作ってみたよ!」と写真入りで報告できたらどんなに素敵だろう。
またいつか彼女たちに会いに行って、一緒にご飯が作れたらいいな。

そんな野望を胸に秘め、いざ「Papa a la huancaína」のレシピへ。

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じゃがいもにチーズと唐辛子のソースをかけた、とってもおいしい料理。
のはずなのだけど。
材料の段階でいきなりつまずいてしまった。

・700 gramos de papa tumbay sancochada,

の「tumbay」とは⁈
「tumba(墓場)」「tumbar (倒す)」の変化球なのか?
ていうか「y」で終わってる時点で形容詞でも副詞でも、そもそもスペイン語でもないんじゃないか?
しかもこの「tumbay」、品詞がわからないため
「700gの“tumbay的に”下茹でされたじゃがいも」と動詞にかかっているのか、
「700gの下茹でされた“tumbayな”じゃがいも」と名詞にかかっているのかも不明なのだ。
なんとなく「墓場」とか「倒す」といった物騒な言葉から、じゃがいもをいびり倒せばよいというニュアンスは伝わってくるけれど!

とりあえず主役であるじゃがいもは徹底的に茹で抜くことに決め、さらに先へ進む。
Saltee a fuego bajo el ají, el ajo y la cebolla en aceite caliente.

「Saltee」はほぼ間違いなく、「Saltear(襲いかかる)」の命令形だろう。
またしても物騒な単語が出てきた……。

「襲いかかれ!」と勇ましく叫びながら、でも「a fuego bajo(弱火で)」と少し弱気なのもおかしい。
「ají(唐辛子)」「ajo(ニンニク)」「cebolla(玉ねぎ)」の味・香り強め三銃士を「en aceite caliente (熱い油の中で)」、じわじわと弱火でいたぶるなんて、そんなことが許されるのか。
なんだか恐ろしく残忍な調理法のような気がしてきた。釜茹での刑みたいなことしてすまねえ、唐辛子、ニンニク、玉ねぎ。

それにしても「Saltear」、文脈的にも響き的にも「ソテーする、炒める」ってことだよね…?とポケット辞書を開き直したら、「襲いかかる」「出し抜く」「間隔をあける」の次に小さく書かれた「(料)ソテーにする」を見つけた。
「炒める」って料理には必須の言葉なのに、他の意味、しかも主要な意味がこんなに物騒なのもなんだか気の毒な話だ。

ひとしきり訳して遊んだあとで、Google翻訳のカメラでレシピを撮ってみた。

Google翻訳のカメラは、看板など咄嗟に辞書を引けないときにカメラを構えるだけで翻訳してくれる、急場しのぎの頼もしい味方だった。
あまりにも直訳すぎて若干不思議な日本語になってしまうところもチャーミング。
そんなGoogle翻訳に希望を託して、パシャリ。
撮った翻訳写真を見ると、一番気になっていた「tumbay」はあっさりとスルーされていた。なんなんだ、いったい。

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