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初投稿

ここ最近、人生が動いているのを実感する。

社会人になってもう2年が経とうとしている。

12年前、小学校である先生と出会い、自分も「こんな人」になるんだと自らの夢を「教員」と決めた。そこからの人生選択は楽だった。楽しかった小学校を卒業し、とりあえず地元の中学校に進学。中学では成績優秀だったため、高校の選択肢は多かった。「国立」という響きと「偏差値70」という聞こえの良さ、そして我が夢である「教育系」ということから高校を選び、無事進学した。ここまでの自分は挫折という挫折を味わったことはなかった。が、高校での勉強をなめすぎていた自分は徐々に周りの優秀な友達から置いていかれ、大学受験は失敗した。人生で初めての大きな挫折だった。第一志望には受からなかったものの、当時の自分には決り文句のような言い訳があった。

「そもそもおれがなりたいのは学校の先生やからさ。先生って他の企業とかみたいに学歴は関係ないやん?やから別に教育系であればどこの大学でもええねん。」

言い訳ではあるものの、当時の自分はこれを信じ切っていたため、浪人なんて選択肢は眼中になかった。そして中期日程で受けられるという理由だけで受けた名前も知らない大学に進学した。地元を飛び出て、初めての一人暮らし。挫折の傷や、迷惑をかけた両親への後ろめたさは新生活へのワクワクで誤魔化した。

自分の夢について久しぶりに考えるようになったのは大学4年になる頃だった。まだまだ部活にどっぷりな自分に対し、企業に就職する人たちはみんな就活を始めている。

「いやいや、まぁそんなに焦るなって、おれ。お前は先生になるんだろう?教員採用試験はまだ先だし、教育実習の手続きだってちゃんとしてるじゃねぇか。順調だよ、順調。」

そうやって言い聞かせてたかな。でもこの頃には気づいていた。自分はもう「教員になる」しか選ぶ道が残されてないと。それはいいことなはずだった。子供の頃からずっと「夢は学校の先生です」なんて言ってきた。そしてそうやって教育系の道に進んできた。素晴らしいことだ。子供が大好きで、教員になりたくて仕方ない人にとってはまさに理想的なレールを辿ってきた。でもどうだ。

「おれって本当に先生になりたいのかな…。」

そんな言葉が頭をよぎった瞬間、終わったと思った。取り返しのつかないミスをした。自分が別に「先生」になりたくないなんて思いもしなかった。そもそも自分は子供を好きなんだろうか。いや絶対イライラしてしまう。むしろ嫌いかも。

その1ヶ月後、教育実習に行ってきた。

結果から言うと、意外にも結構楽しかった。そりゃあ毎日帰りたくて帰りたくて仕方がなかったけど、大好きだった小学校で過ごす毎日は悪くなかった。そして何より救いだったのは、子供を可愛いと思えたことだ。向いてないなんてことない。「教員」という仕事を「絶対にやりたい仕事」とまではいかなくとも、「やってもいい仕事」だと思えた。

そして時は経ち、現在。2年前、可愛いと思わせてくれたあの子たちと毎日会っている。仕事にも慣れた。世間的にももう正真正銘の「先生」だ。このまま続けていけば、若手から中堅、中堅からベテランへとステップアップしていくんだろう。ある程度見えてきた。年収の増え方も、業務内容も、不自由な拘束時間もそれ以外の自由な時間も、やりがいも安定も。生意気だが予想はできる。もう人生が決まりきっているんだ。でもふと思う。

「これでいいのか?」

自分で自分に問い続けるのには根気と熱量がいる。この2年間、日々の仕事に追われ、自分の人生と本気で向き合うことから逃げてきた。そんなつもりはなくてもそんな余裕がなかったんだ。でも今、私はこうして向き合い、自分に問う。

「これでいいのか?」

「自分にできた少しの余裕+支えになってくれる周りの人間+秘めていた野望」が今、少しずつ人生を動かし始めた。

テストを早々に終え、読書を始める児童に私はいつも言う。

「100点の自信はある?絶っ対に100点やって自信持って言えるまで見直ししぃや。」

このまま普通に生きていけば70点、いや80点。もしかしたら90点の人生が送れるかもしれない。でもそれでいいんだろうか。一度きりの人生、残り時間ボーッと過ごすのか。伏せて寝て過ごすのか。落書きでもして過ごすのか。私はこう思う。

「目指していこうじゃねぇの。100点の人生。」

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