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冬の関西、山陽を行く。1日目 ~大雪の米原越え~

まえがき

記事をお読みいただきありがとうございます。ツルミノです。
2021年の年の瀬に関西と山陽に行ったときの話を記事にしていきます。
この年の年末は近年まれに見る大雪だったと記憶しております。当時の私は、雪が降ることは予報で知っていましたが、こんなに雪が降るとは予想していませんでした。結果的に波乱の連続になり、旅行中の私は気が気ではありませんでしたが、今となってはこの旅は良い経験となり、一生笑い話にできると思います。
前置きが長くなりましたが最後まで読んでいただければ幸いです。


2021年12月 横浜駅ー。

某感染症が落ち着いたので関西方面に泊まりがけで行ってきました。
朝の7時半頃、横浜駅からスタートです。これより東海道本線を行きます。
もちろん、使用切符は青春18きっぷです。

まずは熱海行きに乗りますがグリーン車で行きます。静岡区間を在来線で行くのは初めてでしたので、あの区間の評判を鑑みて、体力を温存しておこうという魂胆です。

熱海で乗り換え、富士行に乗りまして函南で下車。ちょっと撮影をする。

こっちが本命の列車です。島田行。
先ほどの富士行に乗っても結局これに乗ります。

あとこの時は313系8000番台はいませんでしたのでオールロング確定です。
救いはありません。

函南を出発して10時くらいですが、この日の静岡は日差しが十分にありまして真冬にしては結構暖かかったので眠気に襲われ、この区間あまり写真がありません。ですから次の写真は六合になります。

六合でも少々撮影。次はこの浜松行に乗ります。

浜松で豊橋行に乗り換えるのですが、乗り換え時間が少なく写真を撮る暇がありませんでした。
当時この話を記事にするとは全く考えていませんでしたので、フォルダを見返してみれば写真や映像が極端に少なく、写真を撮らなかったこと、睡魔に負けたことが悔やまれます。


ちなみに乗車率はどの列車も結構高かったです。時期からしてみれば、妥当だとは思いますが。

ようやっと静岡を抜けて豊橋に到着しました。時刻は13時頃。
ここから快速大垣行に乗ります。快速運転で通過駅もあるので気持ち的には楽になるはず。
しっかりと座席を確保し、いざ。

刈谷で赤い電車に遭遇。
特急しなのと併走。まもなく名古屋。

名古屋に到着しました。大垣までは直通ですが名古屋では4分ほど停車します。ホームには「きしめん」の店があり、食べようとは思いましたが、4分で食べるのは不可能かつ先を急ぎたいのでここはパスしました。いつかは食べてみたいものです。

名古屋を出て、そろそろ岐阜県に入る木曽川手前の辺りなのですが、養老山地や伊吹山がある方角を見ると雲行きが怪しくなってまいりました。先ほどまでの天気は良好だったのですがね…。事前に多少の雪は降るという予報は把握してましたが、この時はそんなには降らないだろうと思っていました。
今、この写真を振り返ると明らかに大雪を降らせる雲だったなと、普通の雪雲ではないと分かります。


恐怖!米原豪雪

大垣に到着しました。時刻は14時半。
これより米原行で関ヶ原越えしたいところなんですが…。

遂に雪が降り始めました。
しかも次の列車には遅れが発生しているとのこと。
気温も氷点下に近くなり、雪のせいか体感温度はそれよりも低く感じていました。これまでの暖かな陽気が嘘のよう。

ホームで耐え忍んでいるうちに15分程度遅れて到着しました。
帰省シーズンとこの遅延が相まって、ホーム上は多くの人であふれていました。列車に乗り込めば、もはやラッシュ帯の列車と相違ありません。さすがにカメラは回せませんので、米原まで沿線の様子などは撮れませんでした。

米原に近づくにつれて雪が深くなり、隣の垂井から積雪が見られ、関ヶ原辺りでは吹雪き始めました。列車が止まらないか心配になってきましたがなんとか米原に到着しました。

時刻はだいたい15時半。JR西日本管内まで到達しました。
ここから安定の新快速に乗っていきたいと思うのですが…。

米原の方が悲惨な状況でした。既に10cm以上は積もっていると思います。加えて、列車も結構遅れが発生しているとのこと。

私が乗ろうとしている新快速もまだホームに来ていません。
このまま米原で待っていても良いのですが、この極寒の中で待っているとさすがに厳しいので、先に出発する快速姫路行に乗って、距離を稼ぎつつ暖を取ろうと決めました。

なぜ新幹線を使わない? 当時の私よ。

予定より20分~30分ほど遅れて米原駅を出発しました。
これ以上のトラブルはないかと思った矢先、列車は不可解に止まりました。
もしかしてと思い、前方を見ると何やら信号が赤くくるくると点滅しているのが目に入ります。

そう、特発ですね。
放送によると、先の踏切で異常があったそう。

天は我々を見放した。

列車には人より多く乗ってきた自覚はありますが、目の前で特発を見るというのは初めての経験です。

車がもしかしたら踏切内で脱輪やスタックで立ち往生しているのでは…、最悪の状況も考えられますが、ひとまず列車は踏切の直前まで進行し、安全確認を行うとのこと。

ちなみに電車でGOでしか見たことないです。

列車は踏切の直前まで行き、乗務員が安全確認を行います。
私は前の状況を見ようとしましたが、もはや吹雪の状況では前の様子を見ることはできませんでした。

しばらくすると乗務員が戻り、安全確認が取れたとの放送が入ります。
車内には安堵の空気が広がります。

列車は通常の走行に戻り、私は能登川で下車。先行列車との差を詰めた後続の、新快速播州赤穂行に乗り換えます。

ここで予定より1時間強遅れています。
これ以上のトラブルがないことを祈るばかりです。



関西圏、古の車輌たち


予定より約1時間遅れで京都に到着。既に日は落ちております。
それでも米原以南はトラブルもなく、京都では雪は降っていません。

ここでは奈良線ホームに移動し、103系を狙います。

待つこと20分
103系入線して参りました。

1時間くらい待つ覚悟はあったんですが、そこまで待たずに会うことができました。

103系と205系の並び

調べましたところ、この車両はNS407編成というらしく、編成両端のクハは1973年に池袋に配置されていたとか。
車齢およそ50年、三世代前の山手線の車両が未だにしっかりと大都市圏を走っていることに驚きを隠せません。

京都駅を発車していきました。
なおこの車両は、この旅行からおよそ3ヶ月後に引退し、2022年7月28日付けで廃車されたそうです。
引退間近に一目見られたことは幸運といえるでしょう。

京都駅での用事は済みましたので、急ぎ新快速で新大阪へ向かいます。

時刻は18時半ごろ。新大阪駅に到着。
今度は、おおさか東線で201系を狙います。

やってまいりました201系。
当時、おおさか東線の車両のほとんどは201系でしたので、容易に撮ることができました。
こちらはおよそ40年選手。その車両が真新しいホームに入っていく光景は非常に興味深いですね。

なおこの車両は三ヶ月後におおさか東線から撤退。2024年7月現在では、まだ関西本線(大和路線)では走ってはいますが編成数は大きく減っています。完全引退も時間の問題でしょう。

続いて、JR線の改札を出場し、御堂筋線のりばへ。

ホームへ近づくとあのメロディが聞こえてきます。個人的に大阪を代名詞とするメロディ、大阪に来た実感が増します。

ホームに出たら目当ての10系が丁度発車していきました。ニアミスです。
しっかりと撮りたいのでもう少し粘ります。

待つこと20分、10系が入線して参ります。

大阪市営といったらこの10系。ですが、この時には既に数は少なく、この7ヶ月後に引退しました。

では、このなかもず行に乗車します。時刻は19時半過ぎです。

御堂筋線動物園前駅で下車。新世界がすぐそこにありますが、スルーし新今宮駅で乗り換えます。
新今宮駅からは大阪環状線で弁天町へ、弁天町からは大阪メトロ中央線に乗り換えです。

今度は20系を収めようと思いましたがすぐに来ました。

米原の悲惨な状況から驚くほど順調にくることができました。
この生駒行に乗り阿波座へ。

この車両は2024年3月に引退をしました。
記事を執筆中、旅行から3年もの間、様々な車両が引退したんだなと、改めて実感しました。やはり日頃からの記録が何よりも重要ですね。

阿波座からは千日前線に乗り換え、玉川まで行きます。

玉川から野田で乗り換え、今日のホテルがある福島へ向かいます。


そして福島に到着しました。時刻は21時ごろ。
途中トラブル等ありましたが、無事につけてなによりです。
次の日は、広島まで行き、折り返しサンライズで帰る予定です。
ちなみに、泊まったホテルは阪神高速が貫いているビルの隣にあります。


拙い文章でしたが、最後までお読み頂きありがとうございました。
次回作もお楽しみに。

ルート
横浜ー熱海ー函南ー六合ー浜松ー豊橋ー大垣ー米原ー京都ー新大阪ー動物園前・・新今宮ー弁天町ー阿波座ー玉川・・野田ー福島


※この記事は2021年12月の話ですので、現在と状況が異なることがあります。

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