見出し画像

フラットな視点を持った演劇とは

楽団員の佐久間泉真です。2021年最初の投稿になります。

年が明けてもう二週間が経ちました。早い!

今年の弦巻楽団は例年よりスローペースにはなりますが、コツコツと活動を続けてまいります。

稽古場では既に演技講座三学期が始まっています!残念ながら劇場公演は行いませんが、講座生それぞれ気持ちを新たに取り組んでいます。今年の弦巻楽団もどうぞよろしくお願いいたします。

『インヴィジブル・タッチ』の振り返り

1月15日、北海道大学CoSTEPの種村剛さんより、劇団代表の弦巻が、昨年のコラボレーション企画『インヴィジブル・タッチ』の振り返りインタビューを受けました。

作品のテーマは、感染の疑いが強い人間と濃厚接触したかどうかを確認するアプリ「COCOA」。集合住宅内での導入をめぐって対立する人間模様を描き、TGR 札幌劇場祭2020で優秀賞を受賞しました。

インタビューでは、日々情勢が変わる中「現在」を題材に劇作する難しさ、研究機関とのコラボレーションによってどのような効果が得られたか、演劇を教育・研究のための道具のように扱うことの是非などについて話し合われました。

画像3

僕もインタビューに同行しましたが、とっても面白かった!演劇家ではない種村さんの視点によって、あらためて演劇を考え直すことができました。

インタビューの中で僕が特に興味深かった話題を1つご紹介します。

「作者の恣意性」と「フラットな視点」

種村さんから次のような質問がありました。

科学技術の社会実装を議論するための演劇を作るにあたって、弦巻さんは「フラットな視点」を持つことをすごく重視しているなと感じました。こういった演劇には、フラットな視点が必要だと思いますか。

『インヴィジブル・タッチ』では、COCOAの導入を検討する集合住宅の住人による議論が描かれています。

作品は、劇を通して、観客が「自分だったらどういう意見を持つか」を考えられるように作られています。劇場公演ではかないませんでしたが、リモート公演では幕間に観客間での意見交流の時間がありました。

お客さんが自由に議論できるように、作品には作者(弦巻)の主張は明確には描かれていません。「COCOAを導入すべき」とも「導入してはいけない」とも結論付けていません。

「自分の知らない視点があるかもしれないのに、一方的に決めつけてしまうのは思慮に欠ける。恥ずかしい。偏らないようにギリギリまで考えた」と弦巻は答えます。

しかし、一部のお客さんからは「作者の恣意性が強かった」という感想も届いたそうです。うーん、難しい。たしかに演劇はどうしてもメッセージ性を含んでしまうものです。『インヴィジブル・タッチ』も例外ではなく、作者の恣意性を完全に排除できてはいませんでした。

登場人物にはそれぞれの立場がありますし、物語は決着しますから、完全に「フラットな視点」を持った演劇を作ることは不可能なのかもしれません。

だからと言って、議論や対話のためには、偏った考え方は避けたいと僕は思います。偏った考え方は、他者を理解しようとする心を失い、本人も気づかないうちに独善的で暴力的になってしまう可能性があるからです。誹謗中傷じゃない「批判」をするためには、自分とは異なる考えを持つ他者を理解しようと努力することが重要だと考えます。

できあがった作品はどうしても恣意的になってしまう。そのことを自覚し、完全な「フラットな視点」は存在し得ないことをわかった上で、それでも作中の偏った考え方をできる限り少なくするためにはどうしたら良いか、常に考え続けなければいけないのだと思います。

画像3

僕が通う大学のはなし

「フラットな視点」って何だろうと考えたとき、大学でのある出来事を思い出しました。

僕は現在大学4年生です。国際基督教大学(ICU=International Christian University)という、「国際性」とか「多様性」とか「対話」とかを謳うキリスト教系ポリシーを持った大学に通っています。

ある日、学生から大学に対しこのような批判がありました。

多様性を謳っているのにもかかわらず、大学はキリスト教に偏っている。特定の宗教に偏った見方をしては、真の多様性は完成しないんじゃないか。

たしかに、ICUは何かとキリスト教色が強い。毎春に「キリスト教週間」というイベントがあり、その週は授業が短縮される代わりにランチタイムが延び、キリスト教にまつわるイベントが盛んに行われます。決して宗教的にフラットではありません。

大学はこの批判に対し、「フラットではないからこそ、他者を尊重することができ、対話をすることができる」と答えました。

宗教においても、完全な「フラットな視点」は存在しません。みんな何かを信じている。このことを有耶無耶にするのではなく、むしろ何かの思想を基盤にすることで初めて、自分自身を見つめ直すことができ、他者との対話が成立すると言います。

大学ホームページには、このように書かれています。

高等教育の場であるICUは、キリスト教信徒をつくることを目的とはしていません。しかし学生一人ひとりは、学園生活を通じて個々の人生や社会生活の中における神の存在とその力に目を開くよう呼びかけられています。この呼びかけは、学生が自ら真理を求め、それぞれが見出した真理に身を捧げることを願う、大学から学生への挑戦です。

僕は妙に納得しました。対話において大切なことは、何にも属さないことや偏らないことじゃない。むしろ、「自分はどう考えるか」という問いに対し、答え続けられるだけの明確な基盤を持つことで、自分自身を客観視でき、逆説的に他者を理解しようと努力できるようになれるのかもしれない。

大学の例はたまたま宗教でしたが、「どっち派?」という問いは日常の至るところで目にします。「私はフラットです」という答えは、自分を客観視する機会や対話の可能性を潰してしまいかねないのかもしれません。

『インヴィジブル・タッチ』に話を戻すと、COCOAの導入を議論するためには、「自分はどう考えるか」あるいは「自分はどっちに偏っているか」を自覚する必要があるのだと思います。そして、何故自分は導入に賛成(反対)なのかを自問自答し、「もし自分が逆の立場だったら」と考えることで、対話が成立するのだと思います。

「どちらでもない立場」は争いを生まなさそうだし、どちらの立場も理解していて、知的で、冷静に見えるかもしれません。でも、完全な「フラットな視点」はあり得ないのですから、それは「自分がどう考えているか」をわかっていないだけなのかもしれません。

・・・うまくまとまりませんが、そんなことを考えたりしました。

インタビューの様子は、種村さんの論文としてまとめられる予定です(2019年『私たちが機械だった頃』の論文はこちら)。

2021年の「×CoSTEP」

その日は、2021年のコラボレーション企画についての打ち合わせもありました。

詳しいことはまだ発表できませんが、今年も面白い企画になりそうです。ご期待ください!

『インヴィジブル・タッチ』は、北海道文化財団の「令和3年度アートシアター鑑賞事業」の推薦プログラムです。上演を希望される道内自治体・学校・施設の方はぜひお申し込みください(詳細はこちら)。


画像3

上の写真は、TGR 札幌劇場際2020優秀賞の賞状と一緒に。代表、もう少し笑えばいいのに……。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?