名勝
2024年2月22日。
2時過ぎに寝たにも関わらず、7時台に目が覚めた。
布団の中で少しゴロゴロして、着替えて朝食会場へ向かう。
自分は「朝はパン」派だが、出汁茶漬けがあったので和食を選んだ。
朝食でご飯を食べるのは、もう何年ぶりだろうか。
朝食を摂ること自体が減っている自分にとって、朝食でご飯を食べるのは、なんだか新鮮だった。
そして、石川県産米「ゆねみづほ」はとても美味しかった。
朝食を終えて部屋に戻り、コートを着て、部屋の鍵をフロントに預け、外に出る。
時間に余裕があるので、山代温泉を散歩することにした。
ホテルから歩いて数分の場所に、山代温泉の中心である「古総湯(こそうゆ)」と「総湯(そうゆ)」がある。
どちらも地元の共同浴場として利用されており、古総湯の建物は、明治時代の建物を復元したものだ。
「古総湯」の窓はステンドグラスで彩られており、湯に浸かって身体を癒す湯浴み(ゆあみ)ができる(古総湯には洗い場がない)。
古総湯の向かいには総湯があり、地元の方は、ここを銭湯として利用するようだ。
また、総湯の隣には足湯があり、源泉が湧いてくる様子と歴史を感じることができる。
加賀地方には、地産地消を目的とした「加賀パフェ」がある。
全3種類のうち1つが山代温泉で食べられるが、残念ながら連休前で店が休みだった。
しかし、もう1つの名物である「温玉ソフト」を総湯の売店で買って食べることができた。
微妙な組み合わせに見えるかもしれないが、ソフトクリームと温玉のクリーミーさに醤油の塩味が加わり、そこそこ美味しい。
湯上がりに食べると、より美味しいだろう。
ホテルに戻ってチェックアウトし、加賀温泉駅まで送迎バスで送ってもらった。
加賀温泉駅は、3月16日の北陸新幹線延伸に向け、新しい駅舎が門を構えている。
今回の旅は、在来線から新幹線への過渡期を垣間見ることができた。
昨日と同様に特急「サンダーバード」に乗り、金沢へ戻る。
午後の目的地は兼六園だが、駅から兼六園へ向かうバスを途中で降り、泉鏡花記念館を訪れた。
ここをなぜ訪れたかと言うと、自分が湯島で知り合ったメイド「鏡花」ちゃんが名前を泉鏡花から取っているからだ。
自分は文学に疎いが、彼女の名前の由来を知るべく、ここを訪れた。
泉鏡花は、明治中期から戦前に活躍した、金沢を代表する作家である。
彼は金沢の彫金師の息子として生まれ、小説家として成功した後、晩年を東京で過ごしている。
彼の作品である「婦系図」の舞台には湯島天神が登場しており、彼が執筆に用いた筆は湯島天神の境内で供養されている。
ほんの少しではあるが、鏡花ちゃんの名前の由来に触れることができた。
再びバスに乗り、兼六園を目指す。
兼六園のバス停でバスを降りたが、時計は14時前を指している。
そして、雨と共に気温が下がってきた。
自分は、ふと目に入ったカフェで一休みすることにした。
"VASE CAFE"は兼六園の目の前にあり、現代の洗練されたデザインを基調としたカフェである。
ハントンライスは、ケチャップで味付けされたバターライスを薄焼き卵で包み、そこへ白身魚のフライを乗せた金沢料理だ。
オムライスとは違う独特な深みのある味わいと、白身魚のフライが、スプーンを進めてくれた。
遅めの昼食を摂り、ようやく兼六園へ歩を進める。
兼六園は、偕楽園(茨城県水戸市)、岡山後楽園(岡山県岡山市)と並ぶ「日本三名園」として有名な日本庭園である。
2月は梅の開花時期で、梅園には国内外から多くの人が梅を見に訪れていた。
園内を1周した後、自分は「時雨亭」で抹茶を頂くことにした。
時雨亭は、加賀藩の6代目藩主である前田吉徳が建てた建物で、現在の時雨亭は2000年に復元されたものである。
抹茶を頂いた後、係の人に障子を開けてもらい、時雨亭の庭園を眺めた。
今年は暖冬で地面が見えているが、雪化粧した庭園は、より美しいだろう。
時雨亭で風情を楽しんだ後は、金沢城跡を歩き、バスでホテルへ向かった。
金沢城は、落雷と大火により天守閣と城の中心部が焼失している。
しかし、城内の圧倒的な広さは「加賀百万石」として栄えた当時の雰囲気を感じられるものだった。
長くなってきたので、続きは別の記事に書くことにする。
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