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豊富なアイヌ民族資料の展示がある「アイヌ民族資料館」

弟子屈町屈斜路コタンにある「アイヌ民族資料館」に行ってきました!
阿寒湖温泉街からから車で約1時間ほどで気軽に行けます。

まず入り口で「???」が飛び交ったのが「民族」と「民俗」の表記の違い。

看板は「アイヌ<民族>資料館」になっていて...

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柱に刻まれた文字は「アイヌ<民俗>資料館」になっていました。

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どっちが正式なんだろうね〜って。
明らかに看板の方は変更した形跡があって、なんで変えたんだろうね〜って。入る前から謎解き気分になりました(笑)

あとで知ったのですが、受付に名称変更になった旨のお知らせがあったそうです。(友人が見つけてくれました)

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2019年5月より施行された「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」では、法律において初めて、アイヌ民族が北海道の先住民族であることが明記されました。
弟子屈町では、この法律の目的である「アイヌ民族が先住民族であることの認知度の向上」に努めるとともに、当資料館がアイヌ民族固有の文化に関する資料を展示している施設であることを明確に示すことで、より一層、本町のアイヌ文化施策を推進していくことを目的に、2020年6月4日より館名を変更しております。

アイヌの人々を尊重する行政法ができたのはつい最近のこと。
去年、このことを知った時はとても衝撃的でした。一言では片付けられない、いろんなことがあったんだろうなと。

今しか知らない私ですけど、先人がいるからこそ今があると思っています。
なので、先人のルーツは大事にしていきたい、そしてちゃんと学んでいきたいなと思っています。

「アイヌ民族資料館」の建物は世界的建築家・毛綱毅曠氏の作品

アイヌ民族資料館の建物は世界的建築家・毛綱毅曠氏の作品です。
毛綱毅曠氏は釧路出身の建築家で、彼が手がけた建築物は機能性より哲学的デザインを重視したと言われています。

入り口正面にある7本の柱は宇宙の時間を象徴する聖数七を表し、中にある31本の柱は天地玄黄(てんちげんごう)の構成因子を表しているそうです。
 (*天地玄黄(てんちげんごう)は、天は黒く、地は黄色い、の意味で、天地の色を表すこと。)
 (*構成因子は、何らかの物事や現象、または特定の事象などを構成している要素のことを幅広く指す表現。)

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今の生活に根付いているアイヌ文化を知ることができる映像資料

受付を済ませると、職員の方が「映像観ますか?これから上映しますけど」って声をかけてくれたので、せっかくならと鑑賞してきました。

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よく説明も見ずに行ってしまったんですけど、観る価値アリでした!
映像資料となっていますが、現代に生きるアイヌの方々の活躍が紹介されてるドキュメンタリーとなっています。

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ナビゲータとして登場したのは、俳優の宇梶剛士さん。
お母様がアイヌの出身の方なんだそうですよ。知らなかったー!

そして、アーティストの世界にもアイヌの方々がたくさんいることを知りました。

トンコリ奏者のOKIさん

デザイナーの貝澤珠美さん

伝統工芸師 貝澤竹子さんなどのインタビューもあり、伝統文化を伝える活動への情熱を感じられました。
その他にも北海道各地で行われている行事や活動のことが次々と紹介されていて、伝統文化に対する姿勢を見習わないとなといけないなと思いました。

私たちも大事にしていきたい伝統文化があります。
それをどう残すのか、伝えていくのか。
そういうことを考える時間にもなりました。

アイヌ文化を学ぶことは、日本の文化を学ぶことにもつながります。
共通することもあるし、類似している事柄もありますし。

その学びを今の時代にどう反映させていくのか。
そういうことを考えて実行していくことが、今の時代を生きる私たちがやらなきゃいけないんじゃないかな。

見応えある400点を越える展示物

こじんまりとしたワンフロアですが、テーマごとに分類されたアイヌ民族の衣装や生活用品などが400点以上展示されています。

<衣>

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アイヌ文化を代表する民族衣装。
アイヌ文化の衣装は刺繍に目を奪われがちですが、その生地素材にも特徴があります。
オヒョウの木の皮から作られる「アットウシ」、木綿を使った「カパラミプ」などが展示されています。

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<着る>
アッラッヌ・チュッz(4月)は、樹皮が和らぐ月とか、樹皮をはぐ月を意味し、衣類の主要な材料となるオヒョウダモ(ニレ科)の樹皮をとるのに忙しい季節です。コタンでは、このオヒョウダモの樹皮でアットウシ(厚司織)を織ります。この他、イラクサをたたいて繊維を柔らかくし、それを乾燥させて織った着物は体によくなじむので、重宝されました。文様は糸を用いて襟、袖、裾の部分に多く付けます。これには、身を守る魔除けの意味があるともいわれています。

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<住>
住居の解説を見ていると、自分の田舎の光景と似ている部分もありました。

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<住む>
コタンの住居は、カヤで葺いたチセ(家)です。チセは普通日当たりの良い平坦な場所に建てます。チセの中は。入口の土間と一段高い部屋とに分かれ、中央にアペオイを囲むようにそれぞれ家族の座る場所も決められ、ここで食事をとります。窓は入口を入って正面にはロルンプヤル(上座の窓)とイトムンプヤル(光を受ける窓)とがあります。特にロルンプヤルは祭事用の窓(神窓)として重要な意味を持ちます。また猟の期間には、クチャ(狩小屋)を使用することがあります。

土間があったり、座る場所が決められていたり。
ちょっと懐かしい気分になります。

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<働>

<働く>
コタンの仕事は、一般にピンネ(男)は猟をし、マッネ(女)は山菜などを採集をするのが日課でした。狩猟の名人と言われるように、コタンの人びとほど自然をよく観察し、理解し、そして自然と生活を共にしてきた民族は少ないでしょう。コタンの猟は、夏は湖と河川を中心に魚をとり、冬は山野を駆けて生活に必要な食料を確保しましたが、決して乱獲するようなことはありませんでした。また獲得した獲物はコタンの共有のものとして集落の中で分配されるのが習慣となっていました。

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生きるための基本、食べるために働く。
それが日常の基本となっていたようですね。

自分たちが食べる分だけ働く。権力とは無縁の暮らしだったからこそ成り立つ生活だったんでしょうね。

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<食>
食事はその文化の特徴を知りやすいですよね。
どんな食材をどう調理するかで、その土地の知恵がわかりやすいんです。

各家庭の調理法にも食の知恵というのってあるんですよね。でも、自分たちは、それが普通だと思って育っているので、他の家庭との違いに気づかないこともあります。
例えば、卵焼きの味付けの違いとか...ね(笑)

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<食べる>
イペ(我々が食うもの)
イペは「食事をする」意味と同時に魚などの食物も意味します。コタンの生活を支える食糧の確保は、自然の摂理に沿った日常生活の知恵から生み出されてきました。冬の貴重なたんぱく源として、チェプ(鮭)の生身を凍らせておいたルイベ(ル=解ける・イベ=魚)を食べ、雪が深くなる前には燻製にして貯蔵しました。獣肉は鹿を生で食べることはありましたが、クマは決して生では食べませんでした。山菜などは普通生のままかお粥にします。また祝祭などの特別の行事の時にはハマナスの実を入れた赤いご飯があります。

鮭のルイベや鮭トバ(鮭の燻製)は、北海道名物的なものですけど、元々は、食材がなくなる厳しい冬を乗り越えるために考えられたものだったということがわかりますね。

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<祭>
アイヌの人々は祭ることをとても大事にしています。
食べ物を与えてくれる自然に感謝する気持ちが祭るという行為につながっています。

本州の祭りもその土地の神様に感謝するものから始まっています。
やがて、食物以外の願いが起こるようになったから、いろんな祭りができていますよね。

アイヌの人々の祭りの形が変わらなかったり、祭る対象が増えないのは、欲の形が変わらない、増えなかったからなんでしょうね。

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<神々の森と動物たち>
コタンで最も尊い神様はシマフクロウです。コタン・コル・カムイと呼ばれるように「コタンを守る神」としてコタンに侵入するあらゆる魔物を追い払ってくれるからだといわれています。カッコン・カムイ(カッコウ)はマスの遡上する時季に鳴きはじめるので「マスが遡上しはじめたよ」と知らせてくれる神様であり、アイヌサチリ・カムイ(エゾヤマセミ)は魚をとることが上手なので漁の神様だといわれています。

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動物たちの行動で危険を察知したり、獲物の訪れを知ったりすることを、神様(自然)が動物たちを通じて教えてくれるものとしていたようですね。
自然を敬う気持ち、謙虚な姿勢が文化の根幹にあるように思います。

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植物の特性を活かしていろんなモノを作り上げる知恵もスゴいなと思うことばかりです。

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<言葉>


<コタンに生きる>
古い時代、コタンには文字はなかったといわれています。しかし言葉として、いたるところにアイヌ語の地名が残っています。この言葉の表現が実にすぐれていて適確に場所を表して知るため文字を必要としなかったのです。それは郷土の山河の名付け親といってもよいでしょう。今も、コタンの人びとははこのすばらしい精神文化を受けつぎ、後世にこれらを残してゆこうと努力しています。

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アイヌ文化にはその歴史を知る文献が残されていません。
文字を持たなかったのは必要がなかったからだと思います。

そもそも、人々はなぜ文字で残す必要があったのか?
その起源を追っていくことが、文字を持つ持たない文化の違いがわかります。

逆に言えば、2千年以上言葉の伝承だけで、その文化を続けていたことが凄い事だと思います。

その様を適確に表しているから、伝わりやすく、口承しやすい工夫もしてあるからなんだと思います。
思惑を入れずに純粋に物事を伝える。
単純な事ほど正確に伝えるのは難しいはずなのに、それができることが素晴らしいなと思います。

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本州からの介入が始まり、北海道の暮らしも変わりはじめます。
それまでんの暮らしには必要としなかった資源が次々と採掘されはじめ、それまでの自然形態が崩されていきます。

<新しい時代へ>
明治以降、北海道は開拓が進められ、コタンの人びとも次第に生活環境を変えることを余儀なくされました。明治9年に試掘され、明治10年から本格的に始められた硫黄山の採鉱や屈斜路湖畔の池の湯マッチ工場の軸木工場が出来る頃にかけ、大勢の開拓者にまじってコタンの人びともそこで働くようになりました。その後も大正年間から木材の流送がさかんになるなど環境はますます変化する一方でした。このようにしてコタンの昔ながらの狩猟、漁、採集という生活形態は、新しい時代へと姿を変えてゆきました。

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北海道が変わり始めて100年ちょっと。
この期間の変化は目まぐるしかったのではないかと思います。

変化の中で、残すというのはとても大変なことです。
それでも残すことを諦めない。

そういう姿勢がとても大切だなと思います。


<アイヌ文様刺繍体験>
弟子屈町屈斜路コタンアイヌ民族資料館では、アイヌ文様刺繍体験ができます。

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【アイヌ文様刺繍体験(コースター)】 料金:1回 500円(税込)
北海道の名付け親である松浦武四郎の生誕地、三重県松阪市の特産品「松阪木綿」の生地に刺繍を施して、コースターやしおりを制作できます。
ご希望のお客様は、係員にお気軽にお声をおかけください。
時間帯
午前の部 10時~11時
午後の部 14時~15時
所要時間: 60分程度
体験人数 : 一度に体験できる人数は、2人までとさせていただきます。

屋外展示物も貴重な資料

弟子屈町屈斜路コタンアイヌ民族資料館の屋外展示物。
実物を使って、どのような形で使われたのかがわかりやすくなっています。

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聞くと見るのが違うように、実際の雰囲気を知ると感じ方も違ってきます。
一回見ただけで全てが理解できるわけではないんですけど、いろんな出来事を突き詰めていきたいなと思いますし、なんとなく知っていたことをつなぎ合わせるきっかけにもなりました。

今後も見解を出しながら、また訪れてみようと思います。
冬季期間は休館しているようですので、雪が降る前に行っておかなきゃです。

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弟子屈町屈斜路コタンアイヌ民族資料館
開館時期
4月10日から11月30日まで (開館期間中無休)
休館期間
12月1日から4月9日まで 
開館時間
9時から17時まで
WEBサイト
https://www.town.teshikaga.hokkaido.jp/kurashi/kyoiku_bunka_sports/sports/2/1313.html

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アイヌ文化に関わらず、日本文化、西洋文化の成り立ちや歴史を知るのが好きです。
今の時代は「自分で考え行動する力」を育てることが大事だと思ってます。自分で考え行動するヒントが先人の知恵の中にある気がしてならないのです。

どんなことに着眼し、どんなことに想いを寄せればいいのかを学び、そして、生きる強さを学ぶ。

それらが豊さに繋がっていく。
そんな気がしてならないのです。

資料館のことを軽くご紹介するつもりが、思いの外長文になってしまいました。(2日も掛かっちゃった...)

ここまで読んでくださってありがとうございます。

知るって、面白いですね。





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