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『誰がために花は咲く』第十四話(第三章 地を這う星よ~グルーの物語~)

 闇の中の眼下の村には、人々の暮らしを示す灯りがちらちら、光っている。

「そろそろ、いいだろう、行くぞ」

 グルーがちいさな、だが鋭い声で言うと、仲間たちも静かに丘の下の村へと移動し始める。短剣をかざし、ひそやかに、だが素早く夜の丘を駆け下りる。やがて村の一番大きな家を囲むと、いきなり先頭の者が剣をふりかざしつつ、家の扉を蹴破った。

 震えて家の片隅に固まる住人を包囲すると、銀髪を揺らしながらグルーが夜風が舞い込む家の中に現れた。
 グルーは精悍な顔つきを崩さず、愛用の短剣を突き出しながら、家の主らしき男に静かに問いただす。

「この村に病の者はいるか?」
「……い、いる」
「では、その者たちがいる場所を教えろ」

 剣を首にかざされた男は、震えながら村の外れを指さす。その方向を見やると、みすぼらしい馬小屋とも見間違う家があった。

「よし、お前たち、確かめるんだ」

 グルーの声に、わっ、と仲間はその家に駆け出す。口々に叫びながら。

「病の者よ、恐れるな、我々はお前たちの仲間だ!」

 その声を背後に聞きながら、グルーは襲った家の主に畳みかける。

「……あの家に病の者を押し込んだのはお前の命か?」
「……そ、そうだ」
「なら生かしてはおけんな」

 グルーの声はどこまでも冷たい。外からは古びた家から助け出された患者たちの歓声が響いてくる。

「俺は恨んでいるんだ。この世をな。俺は13歳の時にこの病に罹った。そのときには家族全員が病持ちだったさ。だから、村の人々は俺の一家をそりゃあ、疎んじたものさ。そのうえ、旅商人に大金を払って偽の薬を掴まされたり……まぁ、とにかく世間は冷たかったよ」

 そして、グルーは青黒い膿のたまった眼で続ける。

「そして15の時だ。村人はついに俺の家に火を付けやがった。つまりは、俺ら一家は皆殺しさ。俺の5つ下の妹も焼かれ死んだ。平原に逃げ出せたのは俺だけだった」

 静かなグルーの口調が、村人には却って恐ろしかった。そしてその厳しい視線も。それは村人たちに向けられたものではなく、過去の憤怒の記憶に向けられたものと分かってはいても。

「……俺は、病の俺らを疎んじた奴らを赦さない。だから絶対、俺は病の者による、病の者のための国を作る」

 そしてきっぱりとこう続けた。

「これは俺の、この世への復讐だ」
「た、助けてくれ、仕方なかったんだ、村の者に感染うつさせるわけには……」

 その声は最後までグルーの耳には届かなかった。グルーがその言葉を聞き終わる間も与えず、表情を変えずに短剣を家の主の首に振り下ろしたからだ。
 血しぶきが広がり、家人たちから悲鳴があがる。しかしそれをものとせず、グルーは血で濡れた短剣を手にしたまま外に出、助け出した患者たちのほうに駆け寄る。そして、こう言い放った。

「俺たちはお前たちを解放しに来た! 病の者よ。我々が虐げられる時を終わらせるのだ、一緒に旅立とう、この惨めな暮らしから。そして、そして……我々の国を作るのだ! さぁ、一緒に来るんだ……!」

 病の者たちから一斉に歓声が上がる。
 主が死んだ家の中では子どもたちが転がるように殺された父親に駆け寄る。女たちは泣き崩れている。

 グルーが赤い花の平原を旅立ってから4年。
 「病の者の群れ」は、村々を襲い、患者たちを助け出し、ひいてはそのものどもを仲間に加え、一群をなすほどに大きくなっていた。
 もともと戦闘能力の高さと頭の鋭さを認められていたグルーはその中でも働きを認められ、いまではグルーはその頭領である。

 グルーは顔に付いた血をマントで拭うと、夜が明けようとしている空を見つめた。
 真っ赤な朝焼けが広がりつつある。その赤は、あの平原の花をグルーに思い出させ、懐かしさを呼び起こす。

 だが、あの平原で生きていたら、今頃は死んでいた自分であっただろう。
 そう思えば、現在の自らの生き方がどうあれ、それを否定するのはグルーにはできぬ算段であった。


 刻がまた少し経った。
 病の者たち、異形の群れはいつしか数百人に膨れ上がっていた。

 一行はグルーの故郷、赤い花の平原があるズームグを遥か後にし、ガザリアの地を踏んでいた。一団は村々を襲い、ズームグの地と同じように、村の片隅に追いやられている病の者たちを解放すると仲間に引き入れた。
 そして迫害していた者は、例外なく、グルーの短剣による一閃のもとに斬捨てられる。

 村の民は軍に助けを求めたが、しかし、兵士は疫病の者どもに触れるのを恐れるあまり、容易に手出しができず、よってグルーたちの勢いを止めることをできかねていた。こうして、ガザリア軍との小競り合いを繰り返しながらも、グルーたちは勢力を伸ばし、気が付けば、テセの国境近くにまでたどり着いていた。

「我々の国を作るのだ! 病の者たちの為の国を!」

 グルーが一団にそう叫ぶ。途端におおーっ、という歓声が異形の群れからあがる。

「我々の国を!」
「我々を虐げし者に死を!」

 地を埋める患者たちは、青黒い膿の体を、顔を陽の光にさらしながら、大声で呼応した。グルーの一団の勢いは収まる気配を見せなかった。

「グルーが来たぞ!」
「隻眼のグルー、死神が来たぞ!」

 対して、相対する者は、恐れをなしてそう叫ぶ。
 グルーは首領となりながらも、戦闘から身を引くことは無く、常に襲撃の先陣を切るのはやめなかった。
 それゆえ、いつしか、グルーは、病の者たちには熱狂的に英雄とあがめられ、そうでない人々には、死神と恐れられる存在になっていた。グルーを見た者は、その青黒い膿に覆われた右目を見ただけで死を連想したのだ。

 しかし、いつしか、やがてその一団にも深刻な影が落ちる。
 患者たちは集まれば集まるほど、そして時間が経てば経つほど、その途上で病によって命を落とす者も増加してきたのである。
 それは一団の存亡に関わる死活問題であった。

「我々には薬が必要だ」

 ある日の軍議で、グルーはそう口火を切った。

「それも一刻も早くだ。国を作る前に皆が命を落としては敵わん」
「だが、グルー、疫病の薬はそう容易には手に入らぬぞ。かつて薬草を保持していたテセの都が燃えてからもう20年。あれから薬を作る手段は失せ、テセもガザリアの属国に成り下がっておる」
「それは知っている」

 部下の言にすこし苛ついたように、グルーは銀髪を揺らした。しかし感情を必要以上に露わにするグルーでは無い。しばらくのち、彼は決断した。

「我々は国をこのガザリアに作るつもりであったが、ここを離れ、テセを目指そう。あそこには薬草の秘密が、いまだ、隠されている筈だ」

「だが、テセとの国境には、ガザリアの国境警備隊がいる。奴らはなかなか手強いと聞く」
「なら、戦うのみだ。勝てば武器も手に入る、悪いことは無い」

 グルーは不敵に笑いながら言った。
 それは、恐れを知らぬ、いつもの自信に満ちた精悍なグルーの笑みだった。

いろいろがんばって日々の濁流の中生きてます。その流れの只中で、ときに手を伸ばし摑まり、一息つける川辺の石にあなたがなってくれたら、これ以上嬉しいことはございません。