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『誰がために花は咲く』第三話(第一章 名も無き花~エスターの物語~)

「父さん……ごめんなさい」

 エスターは、もう駄目だ、死ぬ、と思うたびに心の中で父に詫びる。

 ――ごめん、父さん。あなたに貰った命なのに。

 自責の念で頭がいっぱいになり、いつしか意識が暗転する。だが、気が付けばエスターは生きている。それを一体、あの日、村を出てから何度繰り返しただろう。そんなことを思いながら身を起こし、またエスターは歩き出す。いつも、いつもその繰り返し。思わず乾いた笑いがエスターの口を刻む。今回もそうだった。だが、いつもとはどこか勝手が違う。

 エスターは慌てて、ぼんやりとした意識をこじあけるように、周りを見回した。そこは薄暗い牢の中だった。塔の中らしい。その証にぼんやりとした日の光は遥か彼方の上方から弱々しくしか注いでこない。手足は枷がはめられていて動かせない。これは何事だ、と起き上がろうとして鋭い痛みが体に走る。そこで、エスターは背中の傷を突かれたことをようやく思い出した。
 そんなエスターの視界を衛兵らしい影が横切り、自分が目覚めたことを何者かに告げている。

 エスターは目前の相手を見て全てを悟った。自分の背中を剣でえぐった男と最初に剣を合わせた男、そのふたりがそこにいた。自分はガザリアに囚われの身となったのか。だが目をこらしてみればなにかが違う。男ふたりの装束は、テセ人のものだ。するとここはテセ、そして自分はこのテセ人ふたりに、まんまと計られたのだ……。
 先ほどよりはっきりと、エスターの唇から乾いた笑いが漏れ出た。

「女、何が可笑しい」

 ヴォーグはランタンの光をエスターの方に向け、そう尋ねた。エスターは近づいてくる黒髪の大男を眩しげに見つめ、次いで吐き出すように言った。

「……してやられたから。あんたたちふたりはテセ人だろう。ガザリア人の格好をして私をおびき寄せたんだな、やられたよ」
「よく理解しているじゃ無いか。なかなか頭の良い女だ」

 そう言いながらもうひとりの金髪の男が近づいてきて、エスターの顔をのぞき込んだ。

「俺たちのことが分かってるなら、そろそろ、自分についても語ってもよかろう。女、お前は何者だ?」

 エスターはセヲォンから目をそらし、名乗る代わりに、ふてくされたように呟いた。

「女、女言うな。私にだって名はある」
「じゃあ名乗るがよい」
「……エスター。大陸の東、ズームグより流れてきた者だ」
「ズームグ! それはまた遠くから……」

 ヴォーグが目を見張る。国境警備の要職に就いていただけに、その頭の中には、人が知りうる限りの地理の知識が詰まっている。だが、その土地の名はあまりにも有名だった。それを示すようにセヲォンが言った。

「ズームグ。あの呪いの地か……だがとっくに国は滅びたはず、そうじゃないか、ヴォーグ?」
「あぁ、もう十数年前にズームグは国家としては滅びたと聞く。でも民は死に絶えたわけじゃ無いからな。ということで、お前はズームグの生き残りか? 女……いやエスターとやら」
「……国の事なんて知らない。私は、首都なんか、見たこともない。ただそう呼ばれていた土地の出身だと言っているだけだ」
「それはよしとしよう。それより」

 セヲォンが身を乗り出して眼光鋭くエスターを睨み付ける。

「ズームグの民、エスター、お前の狙いは何だ……?」

 そう言いながら静かにセヲォンは剣を鞘から抜きエスターの首に近づけた。

「セヲォン!」
「ヴォーグ、こいつは罪人だ。我が国の罪なき民を多数殺している。余罪だってあるかも知れぬ。それを質すのは王族たる俺の仕事だ。力ずくでもな。なんだったら、お前の背中のあの膿んだ傷口をもう一回切りつけても良いのだぞ……? エスターとやら」

 しばしの沈黙ののち、エスターは観念した。屈するのは恥だが、わたしはなんとか生き抜かねばならぬ。その一念が、固く閉ざしていた唇をほどいた。エスターは自身の過去をゆっくりと語り始めた。

 塔の中に差し込む光がいつしか赤く染まり始めた頃、エスターの身の上話は終わりを告げた。

「それで……お前は薬草を追い求めているのだな、病を癒やす薬草を」

 セヲォンがしばしの沈黙を破りエスターを問い質すかのように言った。エスターは話疲れたかのように、静かに頷きつつこう答えた。

「そう。それで、旅の途中でガザリア人が薬草のありかをいち早く嗅ぎつけた、との噂を耳にした。それでガザリア人の動きを追ったのだ。彼らの行先には薬草にたどり着く秘密が落ちているに違いないと……だから」
「気に食わないな」

 黙りこくって話を聞いていたヴォーグがエスターの話の腰を折った。その茶色い目の奥にはちらちらと炎が揺れている。

「そんなことで、村の長やらをぶった斬り、ガザリア人たちを毒殺したのか」
「……そんなこと、だと?!」

 エスターは思わずヴォーグを睨み付け、叫んだ。

「生きるためにしたことだ、お前に何が分かる!」
「分からんさ!」

 セヲォンはヴォーグの剣幕に驚いた。

 ――こいつがこんな大声を出すのは、長い付き合いのなかでもそうそうないぞ。冷静沈着で知られるお前が、どうした?

 そんなセヲォンの胸中を知ってか知らずか、ヴォーグの声は更に激しくエスターを撃つ。

「お前は確かに悲惨な運命の持ち主だ。だがな、だからといって、罪の無い人々を殺めてどうする! 生きたい、生きたい、と言う気持ちは分かる、が! 罪を重ねに重ねての、何のための命か! 殺戮の理由を父親に押しつけて、それで生きていると言えるのか!」
「うるさい! うるさい!」

 エスターも怒りのあまり大声で、ヴォーグに向き直った。が、体は枷にはめられ自由に動かない。背中の傷もうずく。エスターは自分の無力さに改めて気づき、大きく肩で息を吐いた。さすがに体力の限界が近づいていた。

「ヴォーグ、そこまでにしておけ」
「セヲォン! だが気に食わぬのだ! 俺は、こいつが」
「尋問の機会はいくらでもある。今日はこのくらいにしておけ、見ろ、こいつ、倒れる寸前じゃ無いか。衛兵! 水を囚人に持て!」

 扉の向こうの衛兵が水差しを手に現れる。すれ違うように、ヴォーグは、エスターにくるりと背を向け大きな体を牢の外に滑り出した。

「お前の処遇は考えておく、エスター、せいぜいそれまで、おとなしくしているが良い」

 セヲォンはそう早口で言うと、ヴォーグの後を追って牢から出ていった。
 エスターは、ふたりの後ろ姿を力無く睨み付けるしかなかった。

「どうした? 冷静沈着なお前があそこまで怒鳴るのは珍しい」

 セヲォンは廊下を足早に歩くヴォーグに漸く追いつくと、そう声をかけた。ヴォーグは足を止め、肩で大きく息をしセヲォンに顔を向ける。

「俺としたことが、つい、だがな、我慢できなかったのだ、すまぬ」
「謝ることは無い。あの女の罪は重大だからな……わからぬことはない」
「いや……いや……それ以前に哀れで、いや……いや俺も変らぬ……」

 先ほどの怒気はどこへやら、ヴォーグの言葉の末尾は消え入らんばかりであった。セヲォンは思わず聞き返した。

「……変らない?」

 ヴォーグは何も答えず、再び足早に大股で廊下を歩いていく。カツン、カツンと石壁にこだましては遠ざかっていく靴音を聞きながら、セヲォンは意外な面持ちで友の背を見送った。

 テセの女王、セシリアは弟からの報告を聞き、思わず長く息を吐いた。

「まさか、賊の正体はそんな人物だったとは」
「はい、わたしも意外でした」

 セヲォンは真顔になってセシリアに問う。

「どうします? 姉上。無辜の民もエスターに殺されています。ましてやガザリア人の被害者も半端ない。このままでは民も納得しないでしょうし、何よりガザリアから引き渡せと要求されたら、拒否できません」

 わかっている、とばかりにセシリアは頷く。

「大国ガザリアに勝てる我々ではありません……これ以上弱みは見せられませぬ。これを口実に戦に持ち込まれたら、テセはひとたまりもないわ……」
「どうします、姉上。反対に、こちらから先にガザリアに引き渡すという手もございます。そうすればいくらか、貸しを作ることもできましょうぞ」

 少しの間のあと、セシリアはあることに思いついたように呟いた。

「……そのエスターとやらは、たしか、ズームグの民だと言ったわね」
「はい、たしかにそう申しております」

 セシリアの瞳が閃いた。

「連れてらっしゃい、エスターを私の前に。少し考えがあるの」


「出ろ!」

 衛兵がそう言い、いきなりエスターの手足の枷を外したのは、それから数日経った夜半のことだった。

 ――やけに早いな、釈放か? いいや、処刑かも知れぬ。

 エスターの心の中には様々な思いが去来する。
 だが、思うのだ。

 ――こんな、最期だとしたら、父さんに申し訳が立たないな。

 エスターの心が最後に行き着くのはやはりそこだった。なんのために戦ってきたのか、殺してきたのか。そこまで思って、先日、自分を怒鳴りつけた黒髪の大男のことを思い出した。……たしかヴォーグといったか。

 気が付けば、そうこうするうちに、エスターは王宮の一室の前に、引きずられるように連れてこられていた。扉が開く。室内にいたのは、果たしてそのヴォーグ、そしてセヲォン、そしてそのふたりの間に、すっ、と立っている位の高そうな女性だった。衛兵が一礼して去り、扉が閉まる。

「姉上、連れて参りました」
「お前がエスターですか、わたしはテセの女王、セシリアです」

 その会話から、目の前にいる女性はこの国の統治者、そしてセヲォンはその弟とエスターは知る。では、ヴォーグは腹心の部下と言ったところだろうか……。そう思いながらヴォーグに目を向けると、途端にエスターに向かってヴォーグは声を押し殺し告げる。

「おい、何を突っ立ってるんだ……!」

 エスターは背中の痛みに耐えながら、セシリアの前に跪いた。その上に降ってきたセシリアの声は厳しいものだった。

「お前を無辜の民を殺害した罪で、死罪に処す」
「……! セシリアさま、裁判にもかけずにですか! それは……」

 ヴォーグが慌ててセシリアの顔を見る。するとセヲォンがヴォーグに向き直って言った。

「ヴォーグ、姉上の話を最後まで聞け」

 ヴォーグは表情を固くしたまま引き下がった。それを見やりながら、セシリアの話は続く。セシリアはエスターの瞳をまっすぐに見つめるとこう告げた。

「と申しても、お前もこのままここで死ぬのも心残りでしょう。助けてもよい。ただ、条件がある」
「……条件?」

 エスターは意外な話の展開に戸惑いながら上を向いた。ふたりの視線がかち合う。

「エスター、お前はズームグの民というのは本当ですか」
「……はい」

 そこでセヲォンが姉の語を継ぐ。

「頼みがある。我々をズームグに導く道案内をしてほしい」
「……?」
 
 エスターは降って湧いた話に驚いた。ヴォーグは固唾をのんで、事の成り行きを見つめている。その視線の先で、セシリアが再び口を開いた。

「薬師と探索の者から、先日最終的な報告がありました。この世に満ちる疫病を治癒する薬草は、疫病発症の地、ズームグにあるのではと」

 たまらずヴォーグは不躾と承知と思いつつ、口を挟んだ。

「ズームグの王都? ですが、あの国はとっくに滅び、都は廃墟になったと聞きますが」

 セシリアは頷き、ヴォーグの無礼をとがめること無く話を続ける。

「その廃墟の中に薬草があるのではないかと、もう我々は考えるしかないのです。未だ探索の手が伸びてないのは、この世のそこしかないのです。ですが彼の地は疫病発症の地。土地に沈んだ死人の毒も濃く、それ故恐れられ、疫病発生以来ズームグに向かった者は皆無。よって我々には土地勘が全くありません。ですが、災いの地にこそ、真の希望が隠されているかもしれない。これは、確証もなく、賭けです。ですが我々はその希望に賭けざるを得ない所まで来ています。そこでエスター、お前の力が要るのです。長い旅の果て、この西の大地の縁の小国までたどり着いたお前です。その道を逆に辿ることも、エスター、お前ならできるのではないですか」

 一気にセシリアは話しきると、きっ、とエスターを見つめた。さあどうする? と促す視線だった。しばしの沈黙ののち、エスターはちいさな声で尋ねた。

「断ったら?」
「その時はお前を裁判にかけ処刑するか、ガザリアに引き渡すか。それだけです」

 物腰は柔らかいが、話の内容に容赦は無い。エスターは確かめるようにもう一回セシリアに尋ねた。

「……もし、私が申し出を受け、故郷で無事薬草を手に入れて帰還してきたら、罪は問わないということですか」
「統治者の威にかけてそれは保障します。薬が完成した暁には、それを一番に与えることも」

 そこまで聞いて、エスターは漸く答えを口にした。我ながらもったいぶっているな、と思いながら。

「……断る理由がございません……」

 エスターは薄く口に笑いを浮かべて答え、一礼した。

「よろしい。ただ、薬草を持って逃げられては敵わぬ。よって、ヴォーグを監視役としてお前につけます。ヴォーグ、よいですね」
「……はっ!」

 ヴォーグは自分に任が廻ってきたことに多少驚きながらも、瞬時に返事を返した。ヴォーグにとって目の前の姉弟の命令は絶対だった。黒い髪をばさりと揺らし、頭を垂れる。

「話はこれで終わりです。ではふたりとも、旅の支度をしなさい。準備は下男に申しつけてありますので、庭へまわるように」

「……よろしかったのですか? 姉上」

 暗闇の中、庭で支度をするエスターとヴォーグを窓から見下ろしながら、セヲォンはセシリアに尋ねた。

「何がです」
「ヴォーグを任に当てて良かったのかと」

 セシリアは振り向かぬまま弟の問いに答える。

「ヴォーグは地理に長けています。剣の腕も立つうえ、国への忠誠心も篤い。適任ではありませんか。違って?」
「そういうことでなく。心配では無いのですか」

 セシリアは身動きひとつしない。

「任を必ずや全うして還ってくることでしょう。あれほどの腕なら、どんな危険に遭っても」
「危険なのはあの女ですよ」

 ぴく、と姉の瞼が動くのをセヲォンは見た。いや、そう見えただけかもしれぬが。

「ヴォーグはあの女に妙に感情的になっている。あのときの話をしましたよね」
「……もう、お前も寝なさい」

 セヲォンは微笑みを崩さぬまま肩をすくめて、一礼すると、姉の部屋を辞した。
 セシリアは窓の外を見ようともしなかったな、と思いながら。

いろいろがんばって日々の濁流の中生きてます。その流れの只中で、ときに手を伸ばし摑まり、一息つける川辺の石にあなたがなってくれたら、これ以上嬉しいことはございません。