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『誰がために花は咲く』第十三話(第三章 地を這う星よ~グルーの物語~)

 昨日も今日も、赤い花の上でグルーは暮らしている。
 呪われた草原と周りのひとは言う、かつてズームグと呼ばれた国の王都跡を望む赤い花の平原だ。病の人の呪いに満ち、彼らの亡霊が、健康な者を妬み、泥の中に引き込むことで知られる泥地である。

 だが、そんな恐ろしい沼地でありながら、そこはどんな季節も赤い花の絨毯で埋め尽くされ、この世のものと思えぬ美しさであった。だが、その絨毯の上だけがグルーの生活の場であり、昼は青空を見上げ、夜となれば遠い星空に照らされる場だった。

 グルーがこの平原に来たばかりの頃は、同じような病の仲間がこの平原には住んでいた。だが、病が進み、患者はまたひとり、またひとりとグルーの前で亡くなっていった。気が付けばグルーはひとりぼっちになっていた。

 だが、グルーはこの赤い花の平原の生活が気に入っていた。ひとりはたしかに孤独であったけれど、その時は、同じ病で命を落とし地中に眠る亡霊たちの歌と戯れた。怖くはなかった。なぜなら、いつか自分もそこに行き、彼らの仲間になるのが自分の運命と知っていたから。

 食物は近くの村の者が定期的に、平原の外れに置いていく。それは食べ物はやるから、どうか近づいてくれるな、という村人たちからの物言わぬ伝言であった。遠い国には疫病の薬があるらしい。だが、こんな世界の外れまでそれは届かなかったから、この世を数百年と恐怖に陥れている疫病は、ここでは完治しないも当然であった。死の病も当然であった。だからグルーはここに来たし、村人たちもグルーを恐れた。その赤い花の平原で、病で死ぬまで暮らせと言われているわけである。グルーはそれもよく理解していたので、ことさらグルーも村人たちに近づこうとはしなかった。

 彼らは自分とは違う人間だ、と分かっていた。そして村人たちからすれば、赤い花の平原で暮らすグルーは、人間以下の存在であった。

 だからその日もグルーは、花の上に体を横たえ、膿んだ右目を陽にさらしながら、ただ流れる雲を見ていた。うららかな雲の流れも、自由な鳥のさえずりも、グルーには別にうらやましいものでは無く、ただそこの在るだけのものだった。花の香りがむせかえる。グルーは自然で唯一好きなものが在るとすれば、この花の妖艶な香りであった。その香りに包まれている時だけが、自らの生を感じる瞬間だった。
 
 いい匂いだ。だがこの匂いもいつしか感じなくなり、やがて自分は平原に沈む。

 ――しかたない、自分の人生はそういう定めなのだ。

 赤い花が風に、ざわわ、と揺れる。
 ところが、その日は様子が何か違った。花がざわめく。亡霊たちが戸惑い、うろたえる。なぜなら、この平原を数人の見知らぬ男の群れが渡ってきたのであったから。

「ナカマダ……コイツハナカマダ……」
「トオセ……コイツラハナカマダ……」

 亡霊たちの声に耳を澄ますと、そんな戸惑った囁きが聞える。
 仲間? ということは、このものどもも、グルーと同じ病のものなのか。その証に、亡霊たちは手出しをしない。健康なものなら、即座に泥の中に引き込んでしまうのに。

「小僧がいたぞ!」

 グルーは何が起こったのか分からないままであったが、反射的に身を翻して起き上がると、胸元を探る。
 あった。彼は素早く、胸に潜ませていた愛用の短剣を引き抜いた。

「へえ、これは意外だ。こいつ武器を持ってやがる」
「なかなか立派な短剣じゃないか」

 そこでグルーはようやく言葉を男たちに発した。

「お前たち何者だ? この平原には病の者しか入れぬはずなのに……なぜ?」
「それは俺たちも、お前の仲間だからだ」

 いつしかグルーは男たちに取り囲まれていた。赤い花の平原の上で。

 ――なんということだ。

 グルーは身の危険を感じて、短剣を構えた。
 その時だ。一団の長らしい男が周りを制し、口を開いた。

「お前、俺たちと一緒に行かないか」
「……えっ!?」

 思わぬ言葉にグルーは絶句した。

「俺たちはいかにも、病の者どもだ。我々は疫病神と罵られて生きている。お前もそうだな。だが、俺はそれを終わらせたい。我々の国を作るのだ」

 グルーは意外な展開に思考がついて行けず言葉が出ない。

 ――病の者が、国を作るだと?

「お前も仲間になれ。俺たちの仲間にな。そのほうが、ここでただひとり死を待つよりかは、大分良かろう」

 困惑しているグルーに、男はたたみかけるように言う。

「このままここで死を待つ為に、お前は産まれてきたのか?ただ世界から疎んじられる為に、産まれてきたのか? そうではなかろう」

 その一言にグルーは言葉にならぬ衝撃を受けた。自分がこの運命から逃れられるなんて、思っても見なかったことだ。

 ――だが、逃れられる……? 逃れられるかも知れぬのか?

 思いもしない自分の未来を、この男は自分に示している。グルーは、ごくり、と唾を飲んだ。そして、自分の口からも思わぬ声が漏れ出たのを、聞いた。

「わかった。あんたたちについていくよ」
「……よし! いいか皆の衆! これからこの小僧は仲間だ! 無碍に扱うなよ!」

 こうしてグルーは慣れ親しんだ赤い花の平原を後にしたのだった。自分の運命が急転し始めたことに戸惑いながら。
 だが、同時に気づいてしまったのだ。自分のなかに埋もれていた渇望する思いに。
 「生きたい!」という心の奥に秘めていた叫びに。
 そして、この世に対する深い怒りに。

いろいろがんばって日々の濁流の中生きてます。その流れの只中で、ときに手を伸ばし摑まり、一息つける川辺の石にあなたがなってくれたら、これ以上嬉しいことはございません。