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『誰がために花は咲く』第八話(第二章 カレイドスコープ~カロの物語~)

 学院の塔の鐘が勢いよく鳴った。
 生徒たちは待ちわびていた終業の時刻を迎え、わっと騒々しく連れだって家路に向かう。そのいつもの風景を、いつものように、カロはただひとり、教室の窓から見下ろしていた。

「カロ、まだ帰らないのか」

 そんなカロを見て教師はそう声をかけた。

「はい、図書館に行ってから……帰ろうと思います」

 カロは教師の方を見ようともせず応える。こいつはいつもそうだな。態度も、返事も。教師はそう思いながらカロをからかう。

「毎日、放課後に図書館に籠もっているわりには成績が振るわんな。お父上も心配しているぞ」
「……」

 カロは黙りこくっている。教師はやれやれとばかりに首を振ると、教室にカロを残して出て行った。カロは散り散りになっていく級友たちの姿がようやく門の外に消えたころ、ようやく窓から離れ、図書館に向かい廊下をただひとり歩く。やがて図書館の重い扉を開け、中に体を滑り込ませると、いつもの自分の席に座った。書架の死角にある仄暗い隅っこの席。図書館中でいちばん目立ない席だ。
 それは人目を避けるようにと生きてきたそれまでの16年のカロの人生に重なり合うような場所だった。だからこそ、カロはそこが好きだった。
 
 椅子に座るとカロはさっそく帳面をひらいた。それはなんの教科の教則本でもなく、ただカロの字が躍る帳面であり、カロの世界そのものもであった。カロは閉館の時間まで夢中になって、ペンを帳面に走らせた。

 カロが家に着いたのは夕暮れの時を廻り、もうあたりは真っ暗だった。カロの持つカンテラの光だけが、集落の外れの館の窓に、ちらちらと鏡に映るが如く、反射する。
 そして息を整え、玄関の扉を開けた。

「遅いぞ、カロ」
「ただいま帰りました、父上」
「挨拶だけはいいな、お前は。はやく飯を食え。俺はもう済ましたぞ」
「はい、父上」

 カロは無表情でそう答えると、自分の部屋に荷物を置きに向かった。
 その背中に父の声が飛ぶ。

「また図書館に行って、詩を書いていたのか」

 カロは、びくり、として足を止めた。

「それでは、学業の成績が上がるはずも無いな。言わずもがなだ」
「父上……次の試験では頑張ります」
「俺が言いたいのはそこじゃない!」

 急に声音を甲高くして、父は怒鳴った。カロの想像通りだった。

「詩など書くなといっておろう!」

 父の目の色は変っていた。夕餉にたしなんだワインのせいではない。酔いもせず、ただ純粋に父は怒っている。カロにはそれが分かった。しかしその父の怒りもカロには馴染みのことだ。カロは一礼すると、そのまま階段を上ると、姿を自分の部屋に消した。
 父はその姿を、苦虫をかみつぶしたような顔で見送り叫んだ。

「詩など、書く男は……ろくな奴にはならんと、何度言ったらわかる…!」

 父のその声は部屋に入ったカロの耳にも届いた。
 
 ――もう何度このやりとりをしたかな、父と。

「数え切れないな……」

 カロは真っ暗な部屋の中でベッドに寝っ転がると、ぼそっと呟いた。
 そしてまた思うのだ。父はなぜあそこまでカロが詩を書くのを嫌うのだろうかと。


 カロは目を覚ました。
 夕食も摂らず、ベッドに横になったまま、寝込んでしまったようだった。途端に空腹を覚え、カロはもう父も寝静まったであろう階下に足を運ぶことにした。冷えたスープにチーズくらいはあるだろう。

 そのとき、ちら、とカロの目をなにかが横切った。窓の外に、ちらりと、赤い灯が走った、よう、な気がした。いや気のせいでは無かった。

 たしかに館の外の畑の中に、ちいさな灯りがちらり、ちらりと見え隠れする。

 ――泥棒? それとも? 

 恐怖もあったが、それよりも、カロの中では少年らしい好奇心が勝った。カロもカンテラを持つと、館の外に出る。
 見間違えでは無かった。ちら、ちら。灯りが揺れている。
 
 ――あの光もカンテラだろうか。だとしたら、人数は、ひとり?

 なら、そんなに恐れることも無い。とはいえ一応、短剣は手にしてはいたが。やがてちらちらとしていた光が動かなくなった。
 カロは畑の後ろから回り込むような格好で、その光に向かって忍び寄った。
 そして背後から一気に駆け寄ると、ぼんやりと見える人影に向かって叫んだ。

「誰だ!?」

 返事は無い。それもそのはずだった。カロのカンテラの光が照らしたのは、異国の服を着た少女、それも目を閉じて土に伏した少女だった。足は裸足、茨の棘が刺さって傷だらけだ。

 苦しそうな呼吸が夜の空気を通して伝わってくる。髪は長く、腰に届かんばかり。歳は13.4といったところだろうか。
 そして服は、隣国テセのものだ。長いローブはあちこちすり切れているが、いつか宮殿で見たことのある神官のものによく似ている。

「ということは、神官? こんな女の子が? しかもテセの……」

 なぜこんなところに。
 意外すぎる侵入者の正体に、カロはしばし呆然と立ち尽くした。

 ――とにかく何か食べ物と、水だ。

 カロはカンテラを置くと館に向かって走る。その影を夜空から、ガザリアの星座が密やかに照らしていた。

 横たわる自分の首の上に、刃が降りそそぐ。しかもその刃を手にするのは、日頃から良く見知った、母のように親しんだ女官だ。
 彼女は刃を振り下ろしながら、こうささやく。

「さあ、メリア。お前に刻が来ました。刻が来たのです、さあ目を瞑って!」
「……助けて!」

 思わずメリアはばたばたと手足を動かした。恐怖に震えながら暴れ、相手の手足を蹴飛ばす。手応えがあった!

 ――やった! 私、殺されずにすむ!

 そう思いながらさらに手を振り回し、足をばたつかせると、女官で無く、若い男の声の悲鳴が聞こえた。
 驚いて目を開けると、見たこともない少年が、真っ赤になった腕をかかえて畑に転がっている。

「……! 何するんだ、お前!」
「え?」

 どうやらメリアが思いっきり足で蹴っ飛ばしたのは、この少年の腕のようであった。

 ――夢だったんだ、あれは。ということは、やった!

「私、生きている!」

 カロは腕の痛みも一瞬忘れて目を丸くして、さんざ暴れた挙句、目覚めた少女の第一声に聞き入ってしまった。そして呆れて言った。

「……生きているよ、お前。ってか、元気すぎるよ! どんだけ僕の腕を蹴ったら気が済むんだよ!」
「ええっ?」
「てか、てっか、お前は誰なんだよ!? なんで他人様ひとさまの畑に転がってるのさ!? こんな夜中に!」

いろいろがんばって日々の濁流の中生きてます。その流れの只中で、ときに手を伸ばし摑まり、一息つける川辺の石にあなたがなってくれたら、これ以上嬉しいことはございません。