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『誰がために花は咲く』第十八話【最終話】(第三章 地を這う星よ~グルーの物語~)

  3日後、グルーが戻ったセヲォンの館は、様子がなにか違った。
 部屋という部屋に灯り、いつもはひっそりとしている館の入り口を忙しくガザリア兵らしき人間が出入りしている。

 グルーは表の門から館に入らず、勝手口からそっと馬を乗り入れた。途端にメリエラがグルーの姿を認めて小走りで駆けてくる。銀髪を翻し馬から下りたグルーも、思わず小声になりメリエラに声をかけた。

「何があった?」
「セヲォンさまが亡くなられたのよ」
「……えっ」

 グルーは絶句した。メリエラの顔も、いつになく緊迫している。

「父さんがあなたを呼んでいます。ここに長くいるとガザリア兵に見つかるわ、さっ、早く。」

 メリエラに急かされ、グルーは旅支度も解かぬまま、カロの待つ部屋に歩を早めた。
 グルーとメリエラが部屋に入ると、カロが沈痛な面持ちで下を向いているのが眼に入った。そしてグルーの顔を認めるや、こう静かな声で告げた。

「セヲォンさまは、自害された。3日前の夕刻のことだ。自室で毒をあおられていた」
「3日前の夕刻……」

 グルーは記憶を辿り、そして、あっ、と息を飲んだ。

「そうだ、お前がエスターの眠る堀にヴォーグの帳面を届けた時分だ、そうだろう?」
「……そのとおりだ」
「セヲォンさまは、思い残すことが無くなったのかも知れぬ。遺書はお遺しにならなかったので、これは私の想像にすぎぬが……だが、ご遺体の側にはこれがあった」

 カロは喪章を着けた服を探り、一通の文を取り出した。蝋で厳重に封がされている。

「グルー、お前への王位の譲位状だ」

 グルーはいつしか震えだしていた手で、カロから文を受け取ると、封を解いて、中の文を一字一句食い入るように読んだ。
 果たして、間違いなく、その内容はテセの王位をグルーに譲るという宣言であった。テセの王族だけが持つ王印が、手紙にははっきりと押されていた。 

 そして、それを認め、グルーが手紙を閉じようとしたその時のことであった。

 カツーン、となにかが床に落ち、鋭い金属音と共に転がった。見れば大理石の床の上に横たわっていたのは、1本の鍵であった。

「これは……」

 カロが拾い上げる。

「何の鍵だ? 私は見たことの無い鍵だ」

 しばらくして、あっ、とメリエラが声を上げた。

「もしかして、地下室の鍵?」
「メリエラ、どういうことだ?」
「もうずいぶん昔のことだけど、使用人たちが言っていたのよ。この館には地下室があるけど、そういえばあの鍵、見当たらないねえ……って」

 カロは顔色を変えて部屋から走り出た。
 グルーとメリエラが後を追う。廊下ですれ違う使用人たちが怪訝な顔で三人を見送る。やがてカロを先頭にした3人がたどり着いたのは、館の奥にある、今では誰も使っていない古びた石造りの螺旋階段だった。

 カロ、メリエア、グルーは顔を見合わすと、そのまま黙ったまま階下へ、焦る気持ちを抑えながら、用心深く一段一段足を進めていった。やがて、暗闇の中で3人の体は扉らしきものにぶつかった。カロが火打ち石を取り出し、灯をともす。すると朽ちかけてはいるが、木の重厚な扉が、灯の中に浮かびあがった。

「グルー、お前が開けろ、この鍵はお前に託されたものだ」

 カロが鍵をグルーに手渡し、促す。グルーは手に取った鍵を、ぐっと鍵穴に差し込んだ。微かに水の音が聞える。
 次の瞬間、くるりと鍵が回転し、扉がきしんだ音を立てわずかに動いた。グルーは扉を思い切り押した。

「……!」

 3人の目に入ったのは、さまざまな種の緑が生い茂る小部屋、いうなればちいさな薬草園であった。
 そして、その部屋の中心には、すっくと力強く伸びた茎に、花が一輪、咲き誇っている。
 カロが叫んだ。

「あの花は、あの薬草の!」
「……父さんと母さんが、絶やした薬草の……花? でも、でも……」

 メリエラは声を震わせて、言葉を続けた。

「でも、あの花は、白いわ……! 赤くない、穢れた血を必要としない花が……咲いている!」

 カロとメリエラは目に涙を浮かべている。

 あの平原の、赤い花の懐かしい匂いがする。グルーは思わず白い花に近寄り、その大きな美しい花弁を見上げた。グルーの体に茎が触れる。すると、不意に、パァーン、と音がして、勢いよく鞘が弾けた。
 そして3人の頭上に、何かがぱらぱらと降ってきた。

 種だった。

「白い花が……咲いた……」

 カロがささやいた。その頬には、止めどなく涙が流れている。
 花の種はそんなカロとメリエラ、そしてグルーの上に、いまだはらはらと、降り注いでいた。


第3章 完

『誰がために花は咲く』(了)

いろいろがんばって日々の濁流の中生きてます。その流れの只中で、ときに手を伸ばし摑まり、一息つける川辺の石にあなたがなってくれたら、これ以上嬉しいことはございません。