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『誰がために花は咲く』第十二話(第二章 カレイドスコープ~カロの物語~)

「久しぶりだな」
「……王弟殿下……いや、いまは陛下ですな、お久しゅうございます」

 テセの王宮の薄暗い部屋にて、セヲォンは懐かしい顔を見た。
 拷問によってその顔は赤黒くなってはいたが、カロの父は、ぼんやりとした意識から覚めて、はっきりとした声でセヲォンの声に応えた。

「余の副官だったお前が、ヴォーグを殺した真の理由は、分かっている。国境の村、フィードでの国境警備隊による虐殺事件。あの事件の、敵討ちだな」
「さすが賢明な陛下ですな……お見通しですか」

「そのために余の副官まで上り詰め、目的を果たし、ガザリアに亡命した。しかもその国では我が国に対する諜報機関にいたというではないか。どこまでもできた男だよ、お前は」

 セヲォンは白くなり始めた顎髭をさわりながら、感心するような口調でそう言うと、視線をふっと遠くに投げるように見やった。

「死んだ姉は、ヴォーグを殺したお前を、ずいぶん憎んでいたからな。お前はテセを去って正解だった」

 そして、セヲォンの視線の先に、遠い昔に殺された旧友の姿が浮かべ、言った。

「……ヴォーグはあの事件をだいぶん、悔いていたが……」
「……殺された者には、そんな悔い、糞でしかありませぬ……」
「そうだろうな」

 セヲォンは大きく肩をすくめて、薄く笑った。そしてカロの父に向かい合うと笑いを崩さぬまま言った。

「面白いことを教えてやろう。貴様の息子が、お前を助けにこのテセの王宮に向かっているという情報が入っている。しかもこともあろうに、我が国から逃げ出した神官を伴ってだ」
「……」
「余としてはこの状況を、我が国を更に富ませるべく、最大限に上手く使わせて貰う。それには、お前も一枚噛んで貰うこともあるだろうよ。まあ、その時はよろしくやってくれ」

 セヲォンは笑いながらそう言うと、足早に部屋を出て行った。
 後に残されたカロの父は、何も答えることはなかった。ただ唇をかみしめ、石造りの天井を睨むばかりであった。

 カロとメリアは拍子抜けしていた。
 なるべく人目の無い道を選んでいるとはいえ、追っ手にも、検問にあうこともなく、テセの都までたどり着いてしまったのだ。
 しかし、考えている暇は無かった。そんな、初めて見るテセの都は、カロが見たことの無い賑わいと人の多さであった。それも多彩な髪の、瞳の色の人々の群れである。そして活発に様々な語の声が響き渡る。

 カロは圧倒されていた。

 ――これが世界一の都か……。疫病の、唯一の治癒薬を生み出す国の……。

 カロはそれまでの自分の世界の狭さに恥じ入らんばかりであった。
 しかし、のんびりと都見物にいそしんでいるわけにもいかない。ふたりはひとまず夜を待ち、王宮から漏れる光できらきらと煌めく城の堀を、闇に紛れてそっと渡った。テセの王室への反逆者が沈められているともいう、その堀の水面はただ、静かに揺れている。
 そこからはメリアが道に詳しい。しかし、どこへ向かうべきか。そのとき、メリアは牢があるといわれている西の塔のことを思い出した。

「神殿からね、見えたの。あの塔には重罪人がたくさん入っているのよ、って、姉様が言っていた……」

 果たして、黒い茂みの先にある、その塔には、灯りがいくつも点っている。父が幽閉されているとしたらそこだろうか。カロとメリアは迷いつつもそこを目指すことにした。
 カンテラの明かりだけで、見知らぬ城の中をゆくのは、恐ろしくもあったが、対して、カロの胸の中では冒険心が漲っているように思え、言葉にならない高揚感に囚われる自分がカロには不思議でもあった。夜の城の茂みの中を、数日前に出逢ったばかりの少女とふたり歩くのは、奇妙な体験としかいいようが無い。

 カロはふと疑念を口にした。

「ここに茂っている草は何だい?」
「……わからないわ。たしかに神殿からもこの緑は見えたのだけど、陛下が休暇をお過ごしになる王室の庭園としか聞いてないわ…」

 そのとき、唐突に、カロの耳を聴き慣れた声が打った。

「ここは薬草園だ。あの病を癒やす花が生い茂る、テセの秘密の園だ」
「……父上!」

 振り向けば、何本もの松明の明かりが目に刺さった。カロの父は綱に縛られてその明かりの中心にいる。そして何人もの衛兵。そして父の傍らにいるのは、豪奢な格好の金髪の壮年の男性だ。

「国王陛下!」
「ほぅ……逃げた女官とはそなたか。よく余の顔を知っておったな」

 セヲォンはふたりを一瞥した。
 
 ――罠だったか!

 カロとメリアは青ざめた。途端に衛兵が、ふたりを切り捨てんとばかりににじり寄る。しかし、セヲォンは手でそれを制すると、カロの父に向かってゆっくりと言い放った。

「お前は我が国を長く窺っていたんだ、この薬草園の歴史を知っておろう。自分の息子に説明してみろ。どれくらいその知識が正しいか、国王自ら試験してやる」

 カロの父はしばらく黙っていたが、固く結んだ口を開け、静かに語り始めた。

「……穢れた血は、穢れた血でしか治せないのだ」
「……穢れた血……?」
「この薬草園に育つ薬草は、特別な栄養分を欲して初めて花開く。その栄養分とは……皮肉なことだが、あの疫病患者の血液だ。それに薬師たちが気づいた時分、テセにはその薬草から作られた薬が出回りはじめ、急速に疫病患者は減少していた。だが、薬はテセの強力な輸出品として国力を支えつつあった。テセはもう薬草を手放せない。しかし、その薬草を育てるのには、患者の血がいる。この矛盾に、テセの上層部は頭を抱えた。……そのとき、ある神官が申し出た。御国のためなら、我らの神殿が役に立ちましょうぞ、と」

「……あ……っ」

 メリアの体が小刻みに震えた。

「そのときから、神殿の女官の禊ぎの水には、密かに疫病患者から摂取した膿が混ぜられた。そして発症した女官を生贄と称して、殺し、その血を薬草園の薬草に投与した。この循環で、テセの王宮の薬草園にて薬草は枯れることなく育ち続け、国力をも支えている……」
「……良くできた。満点だな」

 セヲォンは満足げに笑った。カロはいよいよ顔を青くして、父親が露わにした恐ろしいテセの秘密に足を震わせた。松明の火がカロたちを赤く照らす。

 メリアが叫んだ。

「そんな! そんなことで私たちを生贄に!」

 その言葉に、セヲォンが鋭く言い放つ。

「そんなこと? そんなことではないぞ……! そのおかげで、どれだけの患者が助かり、また、どれだけの富をテセに与えているのか、お前どもには想像もつかないことだろうよ」

 ちらちら、きらきら、松明の火が4人を照らす。
 おのおのの顔をあぶり出し、跳ね返り、反射しては躍る光たち。

「悪魔だ……僕にはあなたが悪魔にしか見えない」

 カロは震える唇でようやくそう言った。だが、セヲォンは揺るがない。揺るぐどころか、より語気を強くしてカロに迫った。

「……悪魔か。悪魔の仕組み、そう言われても仕方は無いな。だが、この世には、光があり影があるように、人がいれば悪魔も棲んでいるのだよ、必ずな」

 そして、やや自嘲気味の口調でこう続けた。

「カロよ、お前は人だったかも知れぬ、だが余は悪魔であった。それだけだ。だが、それがいつ反転するとも知れないのも、人の世なのだよ」

 カロはセヲォンの言葉に感情を揺さぶられた。

 ――いったい、何が正しいんだ? 僕には分からない! 

 そう叫びたい衝動を堪え切られなくなった、その時。

「私がこの循環を支えていたというなら……!」

 メリアが大声で叫んで、カンテラを一番近くにいた衛兵に投げつけた。衛兵は避けきれず、たまらずよろけて、松明が薬草園の床に転がった。メリアはためらわず、松明を素手で掴むと薬草園の薬草の茂みに投げつけた。

「それを断つのもこの私よ!」

 とたんに茂みに火の手が上がった。

「薬草が!」

 衛兵たちが動揺して叫んだ。薬草園が赤く照らされた。赤い炎に、禍々しい赤い花の影か重なり、それがゆらゆらと陽炎のように揺れている。鞘が、パーン、と炎の中で弾ける音が響く。種がパラパラと落ちて、灰になっていく。皆が呆然としていくうちに、薬草園は炎に包まれた。禍々しい赤い花がどんどん激しく、だが、美しく炎の中で燃え上がっていく。

「早く、早く、水を!」

 衛兵は散り散りになり水を求めて、薬草園の外に駆け出した。
 炎の中の薬草園には、カロの父とセヲォン、カロとメリアが残された。赤い炎に映し出された顔は、皆、煤だらけである。

「いやもう遅い……この薬草は人の血が混入してる分、油分が多い……。そうでは無いですか、陛下?」
「そうなのか……本当に良く貴様は調べている……お前たち、好きにするがよい」

 顔と服を煤で汚しつつも、セヲォンは慌てず騒がず、一国の王らしく威風堂々とカロの父を見やった。そしてくるりと背を向けると、火の手が廻りつつある王宮へと肩をすくめながら、歩き去って行った。

 セヲォンの去り際の潔さに驚きつつ、カロは父に駆け寄り縄をほどいた。自由になった父はセヲォンの去った方向を見つめてしばらく黙っていたが、やがて、ぼそっと呟いた。

「テセは終わりだ。薬草の無いテセなど、ただの小国に元通りだ。王はよくそのことを分かっている……」

 そして燃える薬草を見つめながら、メリアが独り言のようにささやいた。

「これで私も助からなくなったわ……」
「……メリア」
「カロ」

 意外なことに、メリアは微笑んでいた。そして一気に感情を押し流すかのように呟いた。

「私はいいの。ただ、私のおかげで、自分を含めたたくさんの人が、助からなくなったわ。後世の人は私を悪魔と呼ぶのでしょうね……薬草を絶やした悪魔と」

 カロはメリアの心中を思うと、嗚咽が漏れそうだった。それを堪えながらカロは叫んだ。

「いや! メリア! 僕は君と生きたい……悪魔と呼ばれてもいいから……後世の人たちが、僕らをなんと呼ぼうか知ったことか! これでいい、これでいいんだ!」
 
 メリアは微笑みを満開の笑みに変えた。ぱっと見た目は華やかな、だが、なぜか哀しそうに見える不思議な笑みだった。

「カロ。ありがとう。短い時間になるけど、それじゃあ、よろしくね」
「……短く咲く花こそ、綺麗なんだよ……」
「あら、カロ、あなた、詩人ね」

 カロは赤くなった。そして心に哀しみが満ちてきた。メリアの笑みに、散っていく花の美しさを見たのだ。

 ――そういえばここ数日、てっきり詩を書いてないな。よし、僕は、この子の命ある限り、この子のために詩を詠もう……!

 そう思ったとき、父がカロの心を、見透かしたように言った。

「城を脱出するぞ。詩はそれからだ。ここは俺の古巣だ、ついてこい……!」

 カロとメリアは慌てて、父のあとについて歩き出す。そして、カロは気が付いたのだ、あれ、父さんが詩のことで僕を怒らないのは、はじめてだな、と。

 やがて、3人がたどり着いた城の堀は、今度は王宮からの炎を乱反射し、その奥底からきらきらときらめいていたまるで水の底に引きずり込まれてしまうかのように。

 先ほどと同じ水面なのに、それは、また違う妖しい美しさであった。

 とこしえの人の世を映す、万華鏡カレイドスコープの如く。

 【第2章 完】

いろいろがんばって日々の濁流の中生きてます。その流れの只中で、ときに手を伸ばし摑まり、一息つける川辺の石にあなたがなってくれたら、これ以上嬉しいことはございません。