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『誰がために花は咲く』第九話(第二章 カレイドスコープ~カロの物語~)

 ようやくメリアは状況を理解した。自分がテセの神殿から逃げ出したこと。そして見知らぬ土地に迷い込み、ここでどうと疲れて倒れてしまったことも。
 
 ――それにしてもここはどこなんだろう。

「……あの……ここは……どこの村、いや、国……なんでしょう?」
「ガザリアだよ」

 カンテラの光のなか、目の前の少年が告げる。そういえばこの少年の装束もガザリア風だ。

「……まあ、なんと遠くまで来てしまったんでしょう……でも、生きている、私、生きているからそんなの全然問題ないわ!」

 なにやら興奮して、ぽんぽんと喜びを述べる少女にカロは呆れ果てて、もう言葉が出ない。
 だが、聞かねばならぬ。朝が来てしまう前にこの少女の正体を。

「えっと……いい加減、名乗れよ。で、なんでここに転がってたのか、いい加減、教えろ」
「あ、ごめんなさい、私は、メリア。逃げてきたの。テセから」
「テセの神殿から?」
「あら、あなた頭いい。なんでわかるの? それよりあなたは? あなたこそ誰なの?」
「その格好をみりゃ神官だって一目瞭然だろ。俺はカロ。お前がぶっ倒れてた畑の持ち主!」
「じゃあ、私、あなたに助けて貰ったのね! なんて素敵なの! ありがとうカロ!」

 カロは赤面した。やっとそれに気づいたか、と思った途端、メリアはカロに抱きついて礼を述べてきたのである。
 いきなり、やわらかな少女の体に包まれ、カロのほうが今度はぶっ倒れそうだった。

 とりあえずメリアを古ぼけた馬小屋に隠すと、どう、父にこのことを伝えるべきか悩みながら館に戻ったのは、明け方のことだった。

 ――朝食時にでも相談しよう。……ああ、それにしても腹、減ったな。

 そう思いながらカロはそっと玄関を開けた。カロの夕食はすべてメリアに与えてしまったのだ。自分の人の良さに可笑しくなりながら、目を上げれば、階段の先に立っていたのは父だった。

 重苦しい顔と、怒りの炎が目にちらちらしているのがカンテラ越しにも分かりカロの背筋は凍った。

「こんな夜明けに畑に女を連れ込んで……一体になにをしている? カロ!」
「違います、父上!」
「言い逃れするつもりか? 抱き合っていたのが窓から見えたぞ」

 誤解を解くために、カロは必死にこれまでのことを説明せざるを得なかった。明け方の階段にて父子は向かい合った。

 カロが話し終わった頃にはきらきらと、朝日が窓から姿を見せていた。

「わかった。その話を信じよう」

 カロはほっと胸をなで下ろした。

 こんなことを色恋沙汰と勘違いされては敵わない。
 だが父の次の言葉にカロの胸はえぐられた。

「そのメリアとやらは、今日、王宮に連れて行く。テセに引き渡すためにな」
「……えっ」
「何を驚く。逃亡者、しかもテセの神官だぞ。かくまっても、我がガザリアに益は無い。いや、それどころか、害になることすらあるだろう。お前は分かっていないのか? テセと我が国の国力の差を。そして、俺たちがテセ人だということを忘れたのか? あの家はテセ人だから、かくまった、そう言われたらどうなるか、想像もつかないのか?」

 カロの心と体が、硬く固まった。

 テセ。ガザリアの隣国である。小国ながら、いま近隣諸国でいちばん国力を充実させている国だ。かつてはガザリアに従属する立場であったが、それを逆転させたのは十数年前のことである。

 ここ数百年、この世界に蔓延している疫病。その特効薬の開発にテセが成功したのだ。その製法はテセの国家機密であり、よって、薬の生産と流通をテセが完全に掌握した。

 喉から手が出るほど各国がほしがる薬である。テセの言い値で輸出される薬に、諸国は飛びつき、当然、テセの経済は潤った。それと比例するようにガザリアの国力は凋落の一途である。テセは外交にその薬の存在をちらつかせ、いつしかガザリアとの立場を逆転させていった。

 それがいまのテセとガザリアの関係であった。

 そして。
 カロは父とテセから亡命してきた身であった。カロにはテセの記憶は無い。物心がついたときにはガザリアに生きていた。
 そのとき母はすでに亡く、そして父はなぜ自分たちがテセからガザリアに亡命する羽目になったのか、そのことは決して口を割ろうとしなかった。

 しかし人の噂は聞こえてくるものである。

「あの男はテセの軍人だったんだってさ、それも結構な地位の」
「テセで謀反を起こし、それに失敗して流れてきたとやら」
「いまではガザリアの王宮で、対テセの諜報部員だとさ。故郷を売って暮らしてるのさ、いい気なもんだね」

 カロは父に関する噂を直接的に、あるいは間接的に耳にして育った。それはときに幼いカロへの中傷でもあった。

 「恥知らずの子」。

 何度そう言われたか。自然とカロは身を隠すようにして学校生活を送るようになった。当然、友もできない。それでも父は亡命の理由をけっしてカロには明かさず、ただ噂を肯定も否定もせず、今は粛々とガザリアに尽くして生きている。
 
 それが生まれてことさら、隠されもしない、隠すこともできない、覆すことも叶わないカロの素性だった。


「メリア、ここは危険だ。逃げた方がいい」

 藁の上で、心地よく逃避行の疲れを癒やしていたところだ。目の前にはカロがいる。気が付けばもう朝が来ていた。カロの顔はすまなさにあふれている。

「……もう少しここでかくまってもらうことはできないのかしら……?」

 メリアは寝ぼけ眼をこすりながら、すがるように言った。

「ごめん、父上にばれたんだ。お前を今日にでも王宮に連れて行って、テセに突っ返すと言っている」
「テセに? いやよ!」

 カロはメリアの語気の強さに驚いた。見ればメリアの顔は青ざめ、手足は震えている。そんなに怖い目にあったのだろうか? 神官といえば、貴族以上に丁重に扱われる存在の筈だが。カロは訝しんだ。見たところ、ただの家出というわけではなさそうだ。カロはメリアがなぜ逃げてきたのか、理由が知りたくなった。
 だが事態はカロが思う以上に緊迫していた。複数の馬の嘶きが外から聞こえたのだ。

「お願い、助けて!」
「しっ……!」

 メリアの口を塞ぎ、カロは外の様子を伺った。軍の制服を着たふたりの男が馬から降りてきて、カロの館のドアを叩いた。ほどなく出てきた父と何かを話している。
 しばしののち、父はすっ、とカロとメリアのいる馬小屋を指さした。
 間違いない、あの軍人はメリアを捕らえに来たのだ。
 
 ――まずい!

 そう思う間もなく、軍人は足早に馬小屋のまえに足を運び、いとも簡単に馬小屋の扉を蹴破った。ガタン、と小屋の扉は外れ、メリアとカロの姿は探索者に丸見えになった。

「いたぞ!」
「捕まえろ」

 軍人たちの声にメリアの叫び声が重なった。

「いや! 私、生贄になんてならない! いやよ!」

 カロは思わずメリアの悲痛な顔を見た。

 ――生贄? 生贄になるのか? この少女が。こんな幼い子が?

 そう思う間もなく、軍人たちはメリアのか細い腕をつかみ、枷に手をはめようとしている。カロは思わず叫んだ。

「やめてください!」
「なんだ? この小僧は?」

「この家の息子だろう。なるほど、やはりお前、テセ人なだけはあるな」

 いちばん言われたくない事を言われて、カロは立ちすくんだ。

「親も親なら、子も子だ」

 さらに吐き捨てるようにもうひとりの軍人が言う。その蔑む目は、カロが今まで何度も経験してきた視線だった。

 ――またしても……!
 
 その思いがカロの何かを打ち破った。
 カロはいつもポケットに携えている帳面を取り出すと、軍人のひとりの顔をそれで殴りつけた。

「小僧……! なにを!」

 途端に馬小屋は乱闘の場となった。
 が、軍人ふたりがカロひとりを追い回し、捕まえて、地に這わせて殴りつけるのに時間はかからなかった。カロの血が馬小屋の土を汚す。カロはたまらず馬小屋の柱を蹴りつけた。

 その途端、誰も思いがけないことが起こった。古びた馬小屋の主柱が衝撃に耐えかね、勢いよく軍人のうえに倒れたのだ。
 そして主柱を失った小屋は、ゆっくりと崩れ始めた。
 手綱の外れた馬たちはけたたましく嘶き、外に飛び出す。屋根から梁が落ちてくる。
 
 数秒後、馬小屋は大音響と埃をまき散らし倒壊した。

いろいろがんばって日々の濁流の中生きてます。その流れの只中で、ときに手を伸ばし摑まり、一息つける川辺の石にあなたがなってくれたら、これ以上嬉しいことはございません。