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「羨ましい」って自分が不在だ。
以前、人を羨ましいと思う時ってこんな時だな、と記事を書きました。
今日はその延長で、気づいたことについて書いていきます
例えばもし、あなたが誰かを羨ましいと思って、うつうつとしてしまったとします
誰かの生活や、状態や、その人自身に「羨ましい」と思ってしまう時って、例えば、人の家を覗いて、どうにかしてそこに入ろうとしている状態だな、と思ったのです。
「何!?なんていい生活してるの!わたしも入りたい!入れて!ここに入れて!!」と。
そんな時、あなたの家は当然不在。
あなた(の家)がガランガランになっている。
「あ、誰かにベクトルを向けている時って、自分が不在だ。自分の人生が不在になってる!」
と思った。
一生懸命人の家に入ろうとしたところで、
もし例え家主を追い出して、そこに入れたとしても、その生活をしていた人はその人であって、あなたではないから、同じになんてなれない。
人の家で、人の物で、人の居場所。
そんなことをしている間に、自分の家に泥棒が入って何かを取られたり、荒らされているかも。
とうの自分の家(人生)を空っぽにして、人の家(人生)に入りたい(人の人生を生きたい)と思うことに近いのではないかと、そう思った。
それは、自分の家を大切に思っていないし、家の価値を価値のない物と過小評価してしまっていやしないかと。
いや、まず自分の家(自分のこと、自分の人生)を認知して、そこに住む生活を快適にしようよ。と。
誰かのような生活(生き方)がしたい(羨ましい)なら、自分の家(人生)を同じように整理したり、インテリアを揃えたり、人の家を見て研究して同じようにしてみるしかない。
そのはあなたの居場所であって、あなたの家なんだから、だれにも明け渡さないで(誰かの方ばかり向いて、空っぽの時間を過ごすのではなくて。誰かのせいにして生きるのではなくて)、快適に暮らすためにベクトルを自分の方に向けようよ。と。
他の人の生き方やライフスタイルを、本人に会ったりして知るのは、例えばちょっと出かけて人の家にお邪魔するかんじ。
雑誌や本で情報を仕入れるのは、買い物やウインドウショッピングに出かけるかんじ。
へー、こんな素敵なものがあるのか、
ほぅ、こんな生き方もあるのか、と、
参考にして、自分の家に持ち帰る。
そうしてお家に置くものや、何に囲まれて暮らすのか、お家時間を心地よいものへカスタマイズしていく。
荒れていく家にするのか、心地いい家にするのか、自分の家は自分次第。だって、自分が家主であり、住人なのだから。
現実世界の不動産は、賃貸とか引越しとか持ち家とかいろいろですが、ふと思ったことであります
自分の人生は貸せないし、売り払えもしないよね
羨ましい誰かの人生も、その人を追い出してその人として生きることはできない。それが出来た時点で、それはあなたではなくその人になるから、あなたではなくなる。できた時点であなたは消える。でもあなたがそこにいるなら、それはあなたの人生を生きてるってことだよね。
なんだか難しい話になってしまった...
哲学のような、スピリチュアルのような、なんかよくわからん話になってごめんなさい🙏
なんとなくわかるって思ってもらえると嬉しい限りです。
じゅんぐり回していきます☺️ 忘れた頃に、大きく育ってあなたのもとにも還りますように🙌🏼