10代は未来持ち、60代は履歴持ち
短尺化する未来
「未来」と言っても、どのくらい先を指すかは、人それぞれにさまざまだ。一瞬先や明日という直近の未来から、遙か遠く100年、1000年後の未来まで、その人その時の関心事によって、時間の長さはいかようにも変わる。
けれど、ここ最近の世の中は、未来をどんどん近くに引き寄せてきている。為替レートや株価など、世界経済の中核メカニズムの数値が、コンピュータによって瞬時にアップデートされていく中で、遠い未来への構えを持ちにくくなっている。
高校生との未来ソウゾウ
昨日6月30日の日曜日から、IEEE Computational Intelligence Society(CIS)と日本学術会議の主催で「第13回計算知能に関する国際会議(IEEE WCCI 2024)」が、横浜で開催されている。
そのイベントの一つとして、横浜市次世代育成事業という位置づけで、高校生を対象とした「人間、AI、自然の未来を想像する」という講演とワークショップの未来イベントが開催され、私は「未来をソウゾウするということ」という話しをさせてもらった。近い未来ばかりでなく、遠い未来も見据えて、次の豊かな未来に目を向けてほしいという願いを込めた登壇だった。
未来持ち vs 履歴持ち
目の前に座った高校生たちは10代半ばだ。彼ら彼女らは、日本の平均余命(2022年)からすれば、女性だとあと72年、男性で66年間の余命という未来を持っている。これから約70年近い人生の未来がある、たくさんの未来オプションの可能性を携えた、まさに「未来持ち」だ。
一方、講演者の私はと言えば、平均余命だと、あと19年だそうだ。既に、未来へのオプションは、ほぼ整理を終えた「出がらし」だ。未来持ちに対して「履歴持ち」とでも言えばよいだろうか。こんな自分が、未来持ちに何を語れるだろう?持てる履歴の功罪両方を心得て、未来持ちが自由に未来ソウゾウできる場の用意に、少しでも貢献したいものだ。
世の中の変化と未来への関心
そんな思いを抱きつつ話し始めた。今回の講演のために調べてみたのだが、グラフのとおり、マスメディア上の「未来」は、ここ最近で急速に増加している。
日本経済新聞紙上に使われた「未来」の頻度は、バブル景気で未来を夢見た80年代後半に上がったものの、バブル崩壊から始まる失われた20年の中で停滞、ようやく2010年代に入ってから再び増加を始めたところだ。
再び増加を始めたタイミングで何が世界に起こっていたのだろう?そう思って調べてみると、ポジティブな要素、ネガティブな要素、両者が浮かび上がる。
ポジティブな点では、言うまでもなく「テクノロジーの進化・発展・普及」が挙げられる。スマホアプリ、AI、ロボット、ビッグデータ、宇宙開発、いわゆるGAFAMの台頭が世界の未来を呼び覚ましたと言えるだろう。
また、シェアリング・エコノミー、サブスクリプションモデル、フィンテックなど、新しいビジネスモデルが、未来の経済や消費行動が関心を高めたこともある。
一方、ネガティブな面からも未来は煽られたと思われる。気候変動、人口減少、世界秩序の綻びなど、未来に暗雲立ち込めるような兆しやエポックメイキングな出来事が続いたのもこの時期にあたる。
未来が気になる「最適化社会」
このことは、SINIC理論でも裏打ちできる。「未来」がマスメディアに再度増え始めた時期は「最適化社会」の到来時期に重なるのだ。
SINIC理論では、2005年~2024年を「最適化社会」と位置づけて予測している。新旧の価値観がぶつかる潮目の「混乱」や「葛藤」、ポジネガのトレンドが混在する「渾沌」、激動の時代なのだ。それが現実世界で繰り広げられている。
それを受けたかのように、世の中の「未来」への期待と不安も増大している時代なのだ。まさに、「未来への大転換を完了させる時代」なのだ。
最適化社会生まれ、最適化社会育ち
「未来を想像する」というテーマに集まってきた高校生たちは、じつは最適化社会の始まりと共に生まれた。世の中の未来期待、未来不安が高まっていく中で育った。
そういう意味で、過去の履歴世代のイナーシャも無く、あたりまえのようにカオスをくぐり抜けようともがいている世代の勇士たちに見えてくる。なんとか支えたくなる。彼らこそ、今、未来をつくりゆく未来持ちたちだ。
未来持ちだからこそ未来ソウゾウ
講演直前にそう確信した私は、話しを始めるや否や、途端に彼らへの熱い想いがこみあげてきて、やや前のめりになって話し始めてしまった。
一方、彼ら彼女らは、本当に澄んだ真っ直ぐな素直な眼差しを私に向け続けてくる。この眼差しから目をそらせてはならない。受けとめなければならない。「未来は、君たちが担ってくれ!」なんて、責任放棄みたいなことは口が裂けても言ってはいけないんだという自覚が増し上がる。
負のクリーニングは履歴持ちで
ここまでの文明社会の発展は、確かに豊かさをもたらせた。しかし、同時に負の遺産も積み増してきてしまっている。これまでの価値観のイナーシャも、年長者であるほどに大きく、変容を遅らせている。
これらの解決は、本来、これまでの履歴持ち世代で片付けなくてはならないことだ。若い「未来持ち世代」に投げ渡してはならないはずだ。SDGsの目標の多くも、負の遺産の解消でもある。それらの解消は、それらを遺してしまった今を生きる当事者、すなわち大人で片付けるものだろう。
未来持ちたちが描いた未来像
このイベントプログラムは、冒頭にドイツの大学教授であり、実業家の女性が最先端の未来技術事例を紹介し、次に私が未来の見方を話した上で、参加者の高校生らによる未来シナリオづくりのワークショップという流れで進んだ。
高校生達は、マジメに考えて遠い未来をセットし、そこからのバックキャストと現在からのフォーキャストを結びつけるディスカッションを進めてくれた。
最後に議論の結果を報告してくれたのを聞き、再び胸を打たれた。一つのグループは、世界の平和を生成するためのコンピュータテクノロジーを掲げ、どこの誰もが、そのためのAIをはじめとする先端テクノロジーを自由に活用できる世界を、バックキャストとフォーキャストで語ってくれた。
もう一つのグループは、理想と現実のギャップが最小化される未来像を描き、そのための今からのアプローチを発表してくれた。素晴らしい。
履歴持ちから未来持ちへのプレゼントを
しかし、両者共に今の世界の問題解決を彼らに負わせていることに気付いてしまう。世界平和、経済格差、理想と現実、建前と本音、自己実現に偏った利己主義など、どれもここまでの文明社会が、豊かさの獲得をする裏側に隠してきた問題なのだ。
10代の未来、未来持ちの未来、最適化社会生まれの未来は、やはり、ポジティブな自律社会、自然社会をソウゾウする未来であってほしい。彼らが安心してそういう未来ソウゾウに向かうために、60代、履歴持ち、工業社会生まれのボクらは残っている未来を使いたいものだ。それがボクらの未来ソウゾウ。そして、出がらしの私たちも、カウントダウンの余生を、よりよい未来「待ち」の好々爺として、不良老人にならないように生きたい。
ヒューマンルネッサンス研究所
エグゼクティブ・フェロー 中間 真一