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遠・中・近、三種の未来でGO !

望遠鏡、双眼鏡、虫眼鏡

 未来の見方について、オムロンの創業者であり、ビジョナリーでもあった立石一真の教えの一つに「三つの未来」の大切さがあります。
1.遠くの未来
2.中くらいの未来
3.近い未来
 以上のとおり、眼鏡みたいな三種ですが、遠・中・近の未来をセットにして描き出すということです。
 はるか遠く先を見るには「望遠鏡」、なんとなく見えているけれど、よりはっきり見たい先は「双眼鏡」、近くを微細に見るためには「虫眼鏡」か「顕微鏡」、それぞれに、道具も見方も変える必要があるわけです。

遠・中・近の未来とは?

 未来予測も同様です。遠い未来を見るには、「ありたい未来(意志)」、「あるべき未来(規範)」、「ありそうな未来(想像)」という自らのソウゾウ(想像と創造)力を全開にする見方が必要になります。そのため、自分だけが見たいスコープに偏る懸念もあるので、なるべく多くの人たちが共感を寄せられる納得できる未来にスコープのセットを、多くの人たちと語り合って共創することが大切になります。
 一方、近い未来は「確からしい未来(蓋然)」、「測れる未来(計測)」が大事であり、遠い未来に較べると確実性や合理性の高い分析となるでしょう。そのため、現状や過去からの延長線上に制約されて、非連続な新しい景色や、周辺の大切な景色を見忘れがちになることに注意が必要です。
 そして、遠近それぞれの未来が見えてきたとしても、時間は連続なので、両者はつながるものとなってこそ未来の見方になるはずです。遠近をつなげる道筋を引く必要があるわけです。それが中くらいの未来になるわけです。

遠い未来に夢を馳せると

 あたりまえのことをクドクド言っているように聞こえるかもしれません。しかし、特にビジネスやイノベーションを興そうという界わいでは、これら3つの未来をセットにして見ることを忘れがちです。
 周囲を見回すと、あまりにも遠い未来だけを目がけて盲進したがため、ビジネスとしてのタイミングを誤り、素晴らしいアイディアとその実現への開発努力が水泡に帰す事例には事欠かないのが実状です。
 じつは、私たちヒューマンルネッサンス研究所が90年代に手がけていた、美味しいトマトの栽培工場、マルチハビテーション(多拠点居住)、テレワーク、未利用資源活用、地方コミュニティ創生など、数多のプランは、どれも黒字化に時間がかかって消滅していきました。その理由は、社会の未来と市場の未来のタイミングのミスマッチという点が大きかったと振り返ることができます。どうしても未来価値創造にたずさわる私たちは「遠い未来」の価値を高く見てしまいがちなのです。そして、それらの多くが30年を経た今となってメインストリームに出てきている姿に、臍をかんで悔しい思いをしています。

近い未来が低リスクとは限らない

 一方、足下から数歩先くらいの近い未来ばかりを見たプランは、「確からしさ」と「測れる」未来の範囲内なので、一見、確度の高いイノベーション、リスクは低いように感じられます。しかし、そうではありません。そのような未来プランの分析ロジックは、誰もが同様の絵姿に辿り着いてしまうことが少なくないからです。正しい未来の計算問題かのようです。
 その結果、せっかくの新規事業のプランであっても、さほどの新しさや開発チャレンジのワクワク感、熱いビジョンを感じることなく、激しい競争や急速なコモディティ化の波に飲まれてしまうリスクが大きくなり、弱肉強食の世界の中で最後の一つになるための過酷な努力の中に入っていくことも多いわけです。匙加減が難しいです。

三つの未来で"理路"をつくる

 だからこその遠中近の三つの未来をセットで観ることが大切だと感じます。立石一真さんは、それをしていた人だろうと確信しています。自動券売機、キャッシュディスペンサー、家庭用血圧計、どれも1960年代からのものですが、たとえば銀行のATM(キャッシュディスペンサー)を例にとると、それ自体でも充分に未来だったはずです。
 しかし、この開発における一真さんのソウゾウした「遠い未来」は、「キャッシュレス社会が到来する」というものでした。この遠い未来を、今でいうPayPayのコンセプトそのもののようなアイディアも加えて描いていたのです。「人類は、オムロンカード1枚だけ持って、遊牧の民として生きる」というシーンを描いているのです。
 60年代の世の中で、いきなりPayPayもオムロンカードも現実にはならなかったでしょう。実装に必要な技術も無ければ、市場も無かったわけですから。そこで、一真さんは「しかし、そこに辿り着く前に、現金を自動ハンドリングする時代が来る」という、すぐそこの近い未来、あるいは中くらいの未来を開発テーマとして取り上げたのです。いきなり「キャッシュレス社会」に向かうドンキホーテにはならなかったのです。ここが、未来派経営者としての凄さではないでしょうか。

近眼用の眼鏡で遠くは見えない

 銀行用のATMは、当時の納入先の一つの頭取から「中に誰か入っているんだろう」といぶかしがられたという話しも伝え聞くくらい、未来感あふれるものだったようです。そこから、ATMの普及は急激に進み、オムロンの大きな事業となりました。
 しかし、その市場の飽和を迎えた二〇年前には自社単独事業としては撤退しました。同じ時期に競合他社でも同じような事業統合があったのです。近い未来の終わりだったのでしょう。
 そこで、再び「遠い未来」の「キャッシュレス社会の到来」を思い返し、ATMをゴールとせずに、次の未来にゴールをセットし直せば、一真さんの言う「経営とは未来を考えること」の実践だったのかもしれません。それに至らず、一つの事業の寿命と扱ってしまったのは、思い返すととても残念です。
 その段階をゴールとせず、近い未来という通過点から、その先に行こうと真正面から取り組めば、今でこそ当たり前となってきているスマホを使った電子決済という、中くらいの未来に向かい、さらにはブロックチェーンやWEB3.0の世界などへと、遠い未来に向かうための次のシナリオ展開もあったかもしれないのですから。けれど、戻れない過去を悔やんでも意味ありません。

よりよい未来の道筋を未来世代に残すための三種の未来

 たとえば、キャッシュレス社会の到来の「オムロンカード一枚持っているだけで、世界中で暮らせる遊牧する人類」という、SINIC理論で言えば「自律社会」や「自然社会」の景色は、いまから遠中近の未来セットづくりを始めても、まだ間に合う可能性はあるでしょう。それが、よりよい未来社会をつくる導線になるからです。
 未来は、自分たちのものというよりも、次世代のためのものです。だからこそ、今を生きる私たちが、次の未来を担う人たちに、豊かなよりよい未来社会を描き出し、そこへの道筋とドライブを進めることが大事なのだと感じます。
 最近の短期志向、近視眼的、効率優先が際立つ社会、今を生きるわたしたちが、今のためだけに生きていないかと心配になります。遠い先を、幅広に眺め、みちくさとしてのチャレンジを楽しみながら、経済力は定常化するけれど、より豊かな未来に向かいたいものです。

ヒューマンルネッサンス研究所
エグゼクティブ・フェロー 中間 真一


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