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追悼、未来研究の恩師 加藤秀俊先生。 渋谷駅伝言板調査の想い出。

「見物」の精神 加藤秀俊 著

未来をスコープする考現学者

 私が一方的に、師の一人とさせていただいている方の訃報に新聞紙上で接した。「中間文化論」をはじめ、独特かつ深い社会洞察を展開されてきた加藤秀俊先生が亡くなった。つい最近まで、facebookの投稿にご自身でコメントを上げたりされていて、いつまでも文明社会のフロンティアに立って、お元気に過ごされているなと感心していたが、93歳の大往生だったようだ。現代都市文明に眼差しを注ぎ、遙かな歴史を探訪し、来たる未来を見ていた、「見物」の精神を体現した考現学者だ。

転機に背中を押してもらった書

 学生時代に読んだ梅棹忠夫先生の著作「知的生産の技術」を入口に、次第にそのお仲間だったSF作家小松左京さんなど、大阪万博の仕掛け人のみなさんの著作へと私の興味は拡がった。そのお一人として加藤先生の著書にも出会った。特に、『「見物」の精神』は、1990年に現在の仕事へと転じるか否かを迷っていた時に読み、背中を押してもらった書として思い出深い。

町人的学者としての未来洞察

 加藤先生の学者としての研究アプローチは、縦割りの学問領域では割り切れない。たぶん、ご自身もそのことによるご苦労があったのかもしれない。社会学であるが、民俗学、民族学でもある。文化人類学とも言い切れないし、科学史や技術史かと思うが文明論とも言い切れない。ことほどさように領域を越境していく。だから、とてもおもしろい。
 そして、考察が広く奥深い。当時、疑問を感じていた薄っぺらなアンケート調査や、その結果を統計的にこねくり回して科学的分析と言ったりするのとは訳が違う、本質を見抜く深い「洞察」なのだと当時の私は感じていた。街場から未来をみる、好奇心旺盛な町人型学者のような風情なのだ。

ヒューマンルネッサンス研究所 草創期のセンセイたち

 ひょんなことから、創設メンバーの一人として誘われたヒューマンルネッサンス研究所には魅力を感じつつも、不安は大きく、決断をしきれないでいた。そういう中で、加藤先生からも助言を得られると聞かされて、それならばと踏ん切りをつける契機となった。
 シンクタンクの右も左もわからぬまま、いきなり即戦力を求められた研究所スタート時期、「こりゃ、まんまと騙されたか!」と不安がよぎることもあったが、素晴らしい先生たちとの研究会は、知的刺激、知的生産性あふれる場で楽しかった。思えば、当時の加藤先生は、今の私と同年齢の頃だったはずだ。いやはや、自分の未発達が悔やまれるが、大御所先生たちのラウンドテーブルの場で自由奔放にご意見をいただいていた。
 先生方の着想力、発想力、展開力たるや、驚きだった。ちなみに、そういう散らかった大御所の言葉を、もう少し整理してくださっていたのが、当時の気鋭のミドル世代、鷲田清一先生、奥野卓司先生、井上俊先生、高田公理先生、長谷川文雄先生たちだった。

ターミナル研究の想い出

アムステルダム中央駅 2023.10.27

 当時の私が興味津々で取り組んでいたテーマの一つに「ターミナル原論研究」があった。オムロンのビジネス舞台の一つである「駅」に注目しつつ、駅にとどまらずに「ターミナル」として未来を考えるという趣旨だった。
 世の中には、じつに様々なターミナルがあった。終着駅、人生の終末期、情報機器の端末デバイス、さらに、よくよく観察していくと、じつは「駅」はターミナル性を急速に失う時期でもあった。ヨーロッパの中央駅に見られるような、石川さゆりさんの津軽海峡冬景色から感じられるような、哀愁や希望、別れ、旅立ち、終末のターミナル、は、上野駅の東北本線、常磐本線のホームに観られる程度となっていて、その他の多くの駅は「ターミナル」ではなく、乗換駅としての結節点「ノード」と変わっていっていた。

駅の伝言板調査

駅の伝言板

 その研究テーマで実施した、今でも鮮やかに思い出せるフィールドリサーチがある。渋谷駅の改札口付近に設置されていた「伝言板」を取り巻く人間行動を一週間にわたり定点行動観測したものだ。これは、ほんとうにおもしろかった。
 携帯電話が普及する前は、一旦、外に出てしまった人同士は連絡をとる術がなくなっていた。スマホを持ってLINEで常時つながっている今では考えられないことだが、たかだか30年前の現実なのだ。
 そして、結節点として駅改札口というのは、社会における最大の待ち合わせ場所だった。人の出入りの多さでは都内有数の渋谷駅改札口であっても、近くには、白いチョークで誰もが書き込める黒板の「伝言板」があった。
 私の調査は、その伝言板の前に、どのような人たちが来ては去り、何を書き記しては消しているのかを、一週間続けて観察して記録したという、とてもおもしろい(と思える人が、このコラムを読んでいると信じている)フィールド調査だった。ただただ、日がな一日、改札口付近で伝言板を観察していたのだ。「見物」し続けていたのだ。こんなにおもしろい見物はなかった。いい時代だ。

動と動の間をつなぐ静の場

 この調査に助言していただいたのも加藤先生だった。じつは、その数年前に、先生の研究室で渋谷ハチ公前の人間行動観察をしていた。待ち合わせする人たちの平均待ち時間は13分間。待ち合わせ場所には、人それぞれの想いを抱えてやってくる。「動」の世界は、一旦そこで「静」に転じる。
 そこで再び意を決して、ある時は人を増やして「動」の世界に戻っていく。駅前広場とは、人々の動をつなぐ、束の間の静の結節点だった。私たちの伝言板調査からの気づきも、ほんとうにいろいろあっておもしろかった。

駅改札前には神様がいる?

 一つだけ、最も意外な観察と考察の例を紹介しておこう。駅の伝言板の黒板の大きさは、さほど大きいものではない。用件はたかだ10文字程度だろう。書き手と読み手、それぞれの表情の変化もおもしろい。
 たいてい、書く人は「30分待った。来ないので先に行く」とか、「待ちくたびれた、もう帰る」とか。読む人は、がっくり肩を落とす人、丁寧に消してからお詫びを書いて帰る人もいた。
 通常は、そういう待ち合わせ関連の記述だが、時には安否確認のメッセージもあった。さらに、けっこう目立つ記述に若い女子学生による「相合い傘」があった。

るるぶウェブサイトより引用

 恋人と自分の名前を伝言板に書いてニンマリしながら帰る。これを目撃した私は、寺社仏閣の絵馬を下げ手を合わせて帰る人を想起した。その場が駅改札口前の伝言板と重なった。
 駅という大勢の人々が毎日集まっては散っていく場は「神様」が守ってくれているという気持ちにさせるものがあるのではないか。こういう気づきがフィールドワークの醍醐味だ。

誰もがわかってる未来では意味がない

 もちろん、こういう結果が直接オムロンの新事業に役立ったわけではなかった。「また、中間は遊んでいるのか!」と叱責されてもやむを得ない。しかし、生真面目に生成AIかのごとく駅の機能と未来ニーズの模範解答を出したところで、意味はないと私は確信していたし、そんなマーケティングリサーチをする気は毛頭無かった。
 この成果からは、ポケベルの先にある携帯電話の価値、インターネット社会のコミュニケーション、SNSへの発展性など、もっと大きな未来イメージを展望できたのだ。駅ナカブームも進んだ。それが未来洞察ではなかろうかと開き直ったりする。

見物の精神を未来研究に

 ことほど左様に、加藤先生の『「見物」の精神』という教えを、五感をフル作動させて体現すべく、少しでも実現できるようにやってきたつもりだ。その恩師である加藤先生が逝ってしまったのは残念で寂しい。
 じつは、この書籍の最後は「駅前の考現学」という文章だ。日本では、駅の中は人が滞りなく移動して安全を確保する空間であり、にぎわいは駅前が担ってきた。一方、ヨーロッパのターミナル駅には食堂やパブがあって、駅内での滞留を前提としたコミュニケーションの時空間がデザインされている。そういう中で、「駅前」という日本ならではの「にぎわい時空間機能」は、次第に商業施設を中心とした「駅内化」に向かっていた。
 その端緒をつけたのは、小林一三氏による阪急電鉄の梅田駅の阪急百貨店だろう。その後、それをモデルに、五島氏による東急電鉄などにも拡がっていった。八重洲地下街などに見られる駅地下も含めて、駅に接続する「駅内化」が進んだ。その結果、日本からは駅前が消失していったことが記されている。
 でも、一つだけ駅前に残り続けている業態があると指摘していた。それは「パチンコ屋」だ。これだけは、戦後からずっと「駅内化」せずに駅前を保ち続けているという。確かに駅内に見たことはないが、駅前にはある。そのことを、加藤先生は「一種の快感をともなった焦燥感、それが現代の駅前の心理的風景だ。それもまた駅前の滞留感覚を刺激してくれるのである。」と記して、この本は締めくくっている。この未来リサーチ感性、少しでも継いで御礼を申し上げたい。合掌

2023.11.15
ヒューマンルネッサンス研究所
エグゼクティブ・フェロー 中間 真一


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