周りのイメージが先か自分のキャラが先か

先日、友人たちとオンライン飲みをしていたとき。

「紀ノは20代前半に結婚したとしても、カラーのブーケにマーメイドラインのウェディングドレスを着るタイプだよね」

なんて言われまして、はて、確かに私の好みをよくお分かりでいらっしゃるなと感動したのですが、そういえば一人暮らしを始めたと他の友人に伝えたときも

「紀ノの家は洒落たお家なんだろうなー。遊びに行くのが楽しみ」

なんて言われたことを思い出しました。

しかし、現実を知っているみなさんならお分かりであろう、20代前半のごく普通の会社員が都内で一人暮らしして、そんな洒落た家に住めるなんてことは到底なく、辛うじて2階角部屋、駅から近いことを選んだ結果、ユニットバス、1階の人のテレビの音が大きすぎるんですけど、という洒落のさんずいすら見当たらない築30年アパートに住んでいました。

でもやはり、スマートな家にしたいと思う気持ちは強く、荷物は可能な限り増やさず、家具の色は統一し、部屋着はちょっとシンプルでかつ高級路線…とイメージ向上に勤しむ日々。

これは、果たして見栄なのか、でも元々そういう雰囲気は好きだったから、自分もその方が落ち着くし、しかし格好つけているところがあるのも否めない。

どうでしょう。みなさんのキャラと周りが持つイメージ、どちらが強く自分に根付いていますか。

自分のイメージは他者からの見られ方によって作りあげられているものだけど、そこを全く無視して我が道を行ける人なんて、よほどパンクでクリエイティビティにあふれている人なんじゃなかろうか。

多かれ少なかれ人は、外からの目を意識してしまう。それが良い影響を与えることもあるし、その目に苦しめられる人もいると思います。例えば私は小さいころ、花柄とかピンクとか、ファンシーなものが嫌いで、趣味はスケボーです、みたいな恰好ばっかりしていたから、いざ、可愛いものを可愛いと思い始めたときに、自分の中に受け入れるのに時間がかかったように思う。

そもそも、メンズライクな服の中に急なキャスキッドソンの花柄は少々居心地が悪そうだった。

まぁ、結局今もキャスキッドソンは持ってなくて、でも、その可愛さとか良さはわかるようにはなった。自分の服装はメンズライクなものからシンプルでちょっとモードめな恰好に変わり、昔は着れないと思っていたピンクのニットもすんなり着れるようになった。

そんなこんなで今ではデザイナーズマンションに住んで、結婚式でカラーのシンプルな花束を持ちそうなイメージを持たれるようになったわけです。

はてさて現実は厳しく、そんなカラーの花束を持つ機会は見渡す限りなくて、場所が変わっても相変わらず狭い1Rの築15年の家で一人PC叩いているわけだけど、そんな生活の中にも、友人たちが私に持っているイメージが壊れない程度のキャラは成立しているようだから不思議です。


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