私の不妊治療外伝「2人目不妊治療」

2人目不妊治療をしました。
そして、終わりました。

本当に本当にあっけなかった。
始める決心も、通院の悩みも、結果も、一瞬で過ぎ去っていってしまった。

凍結卵は3つありました。
前核期胚が2つと、
胚盤胞と呼ぶには心もとないグレードの胚が1つ。

一応保険適用移植も視野に入れて、とりあえずは先生の話を聞こうと、
子供を母に預けて二人でクリニックに行きました。
それが7月上旬の話。

ある程度予想はしていたけれど、先生に勧められたのは前回同様の2段階移植。
保険適用はなく、また50万円近くかかることは分かっていたけれど、
それが1番可能性があるとするなら…この1回で実らせられるならそれが最善だと思い、
自費治療を決めました。

私は息子を妊娠するまでに2回移植したのですが、1回目は1個移植で陰性、2回目の2段階で陽性でした。
受精率もかなり低いけれど胚盤胞達成率もまた底辺なので、初期胚移植が良いのだろうと思っていました。
だから2段階移植をもう一度すれば、なんとなく妊娠できる気がしていました。

通算3度目の移植はかなり早く感じました。
そもそも採卵がないし、身体の回復を待ったりする期間はなく、すぐ移植周期。
しかも過去2回の移植では育ちにくかった子宮内膜があっという間に育ち、延期にもなりませんでした。
とんとん拍子に進みました。
以前は前核期胚を融解したら多核受精卵だった、という事件もありましたが、
今回の融解分はDay3では十分な成長(分割)を見せてくれていて、
特別優秀なグレードでもないとはいえ、それは前回もなので、不安要素はありませんでした。

きっと妊娠判定で陽性を見られるだろうという思いがあり、逸る気持ちを抑えてBT10まで待ち、
いざ尿検査をしてみると……陰性でした。
移植はあっという間で、この結果を得てしまえばもう終わり。

同時に融解した卵が凍結できたかという結果説明と、分かりきった陰性の結果説明を受けに、
最後のクリニックへと足を運びました。
前述の通り胚盤胞達成率が底辺なので、再凍結出来ているかもしれないという期待もほとんど持っていませんでした。
予想通り培養を続けた前核期胚は桑実胚となったところで成長を止めていました。

移植結果は陰性。
凍結卵はゼロ。

私の2人目不妊治療は2か月足らずで終了しました。


色んな思いはありました。
本当にこの場所で、この環境で、この収入で、2人目を育てられるのだろうか。
また夫が役に立たないと家出をする羽目になるのだろうか。
息子の時はエコー写真アルバムから始まり安産祈願、ジェンダーリビール、マタニティフォト等々やりつくしたけれど、
2人目にはそんな熱量そそげないかもな、今の生活で忙しいし…といった後ろ向きな心配もあり
職場や、保育園にどんな顔でどう説明すればいいのかという不安もあり。
でもそれ以上に、
息子をお兄ちゃんにさせてあげられるかもしれない。
弟か妹を見たときの息子はどんな顔をするのだろうという期待を持っていました。

結果が陰性であった以上…そして自然妊娠が難しいと分かっている以上、期待は捨てなければならず、
治療を終える報告もしないといけない。
職場にも家族にも。
治療再開の報告をするのも、期待を生んでしまうので、簡単ではないけれど、
陰性報告をするのもまた、自分の中だけで済まず、不穏な空気を流してしまう。
不妊治療は辛いもので、私の気持ちを汲もうとする人ほど困惑するしショックを受けるから。


こんなこと、自然妊娠が出来る身体だったなら、
やっぱり考えなくて良かったのだろうか。
後輩社員の結婚の話題、その数か月後の産休の話題……
既に出産を経た私は、何も劣ってなんかいない。
きっと誰の目にもそうは映らない。
皆知らない。
でも、なんでだろう。なんでこんなに辛いんだろう。
電車の中で涙が流れました。

もう私は、何度も何度も自分の血のつながった息子をこの手で抱いていて
不妊治療成功者の一員のはずなのに。
陰性である可能性の方が高いと、本当は理解できていた。予想出来たはずなのに。
不妊治療の難しさは理解していて。その上で既に結果を出しているのに。
不妊治療は本当に、人の心を削る…


陰性であったこと、治療を終了することを告げたら、
保育園の先生は言葉を失っていました。
不妊治療がどういうものかを知らない様子でしたが、
聞かれない限り事細かに語るのも変かなと…
ただ仕事がないのに子供を預けるというのが禁止されているので、
「県外に受診に行くので終日保育をお願いしたい」と説明するため、
やむを得ないと思い事情を伝えていただけのこと。
不妊を知らない人は「まだいつ自然妊娠するか分からない」というのが決まり文句で、
先生もそう言っていましたが、その言葉はすっと受け流してしまいました。
まだ子供を授かっていなかったら、「貴方に何が分かるの」と心に傷を増やしたかもしれない。

上司や後輩は、また不妊治療をすることが有ったら応援したいと言ってくれました。
でも、採卵がほとんど無料にでもならないと、その日は来ないと思います。
保険適用といっても、採卵をすれば数十万円はかかってしまう。
それで結果が出るならいいけれど、結果が出なかったとき……無駄になる費用が、ダメージが大きい。
そして一度足を踏み込んでしまえば、終わり時を見失う気がして……。
どれだけ失うか分からないギャンブルをしている場合ではない。
私には、今ここにいる息子を育てるのにお金が必要で、責任があるのだから、と自分に言い聞かせました。
二段階移植1回で45万円程かかりました。
結果を伴わないギャンブルに使うには十分高額でした。

それに、私もこれ以上年を重ねて採卵をしても、結果は悪くなるばかりのはず。(十分悪いのに。)
「今の年齢を踏まえると先延ばしにするのは難しい」…と上司にも言いかけましたが
上司の奥さんは私より一回り近く上なのに、息子と同じ年齢のお子さんがいるので、
年齢を諦める理由にすることがどれほど合理的と言えるのか、自問して濁してしまいました。
実際40歳を過ぎても妊娠出産される人もいるのだから、貴方はまだまだ大丈夫、と言いたくなる気持ちも分かる。
でも、年齢が上がるほど確率が下がるのは自明の事実でもある…。

いずれにせよ私にとって数年後の採卵なんて現実的ではない話。
自然妊娠も難しいのだからもう妊娠出産することはないのでしょう。

もし将来、息子が「妹か弟が欲しい」と言った時、申し訳ない気持ちを拭うことは出来ないと思うけれど
息子には不妊症を理解して欲しいし、小さいうちは分からないだろうとはいえ、説明はするつもりです。
息子を出産した時に書いた手紙も、いつか読んでくれるかな。


妊娠したら、産休に入る前の6か月間は育休手当算出のもとになるからフルタイムに戻そうとか。
新しい仕事を今とるのは、無責任だから辞めて仕事をセーブしようとか。
虚しい皮算用をしていましたがその必要性もなくなりました。

逆に言えば産休・育休というキャリアの分断から解放されました。
既に一度分断されているので、取り戻すにはまだまだ途方もない時間が必要ですが、
もう、取り残された、追い抜かれた、評価が無い、昇給が無いという虚無感に苛まれる機会もないでしょう。
別に仕事は好きではないけれど、アイデンティティの確立にはしっかり組み込まれていたように思います。

沢山働きたくはないけれど、沢山稼いで、家族3人でもっと幸せになる。
当分の目標です。

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