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偉い人は偉い人として振る舞ったほうがいいのでは問題

ここ数年ちょっと考えなおしている「偉い人」について。
僕はフリーランスであるものの、20年以上の期間を複数の会社で副社長とかそーゆー感じの取締役をしていましてですね。もちろん社員も抱えています。
つまり僕は経営者であり株主でもあって世間一般で言う偉い人なんですね。

これまでこの立場について「偉いとか偉くないじゃなくて職域の話である」と言ってきました。
なんですけど、もしかしてその考えや振る舞いは違うのでは?と感じています。

そもそもなんで「偉いわけじゃねぇし」と口にしていたかを考えてみると…。
若かりし頃の僕は「偉そうなヤツは嫌いだ」=「偉そうにはなりたくない」と思っていたのですよ(バカっぽい)

誰だって嫌いだもんね。偉そうな人。
僕もあんまなりたくないです。偉そうな人。

だってなんかムカつくもんね。

ただ、最近「偉い人であることに価値はあるのでは?」と思っています。
会社の偉い人(経営者)がする仕事と言うのは、色々あるのですけども、僕が経営するような10人未満程度の小さな会社の場合は以下のような事が存在します。

  1. 会社の未来を定めその準備をする(お金や人材、設備、お付き合いなど)

  2. 未来を見据えつつキャッシュも確保できるよう、受注する仕事を選定する

  3. 現場において「しなければならないこと」「しないこと」の判断をする

  4. 会社で起きる全てのことにおいて最終責任をもつ

  5. 実務ももちろんする

普段の現場スタッフから見える範囲だと、なんか作業しながら物事のジャッジをする人ですね。

スタッフに対して何をしているかと言うと
「こうしたいです」
に対して
「よしいいぞ、やれ」

って言ってるワケですよ。

「やれ」と言うのは許可や命令であると同時に「それは偉い人が許可し命令したものであり、その最終責任は当然許可した人が取る」でもあるのです。
※やりたいと言った人に何も責任がないわけではない。
もし結果として上手く行かなかったときの責任は偉い人にあります。だってOK出しましたからね。
上手く行ったときはそれに関わったみんなの手柄。
僕らのように役員の自己資本で経営している会社は社内の他者から評価される必要はありません。なので手柄をさらう必要もありません。

でね。
問題が発生したときさ。
スタッフが気に病むことなく「だってアイツが良いって言ったもん」と思える環境を作るために、僕は「偉い人」であったほうが全体にとって色々都合がいいんじゃないの?と思うのですよ最近は。
普通の神経の人であれば同僚に責任をなすりつけるなんてことは誰しもしたくないじゃないですか。
けど偉い人に責任を取らせるのは普通だし楽だよね。
だって「いいよ」って言ったの偉い人だから。

そうだよ。あいつら何してるか分からないけど偉そうにしてるんだから、責任くらい取らせればいいじゃないか(乱暴)

まとめると「偉い人」と言うのは存在したほうが組織の精神状態はいいのではないかと思うのですよ。
そのために僕らはいつまでも現場リーダーみたいなプレーヤーぶってないで、「偉い人」であることを受け入れるべきなんです。

もちろん「失敗は部下の責任、成功は上司の成果」みたいな人種はクソ滅ぼされるべきです。
ただ、その流れで「偉い人」を滅ぼす必要はないと思うのですね。

こんな考え方からここ数年の僕は「偉い人」を受け入れて、そのように振る舞っています。

あいさつは「おはようございます!」ではなく「はい、おはよう」です。

ちょっとビクビクしながらやっているのですが、少し偉そうにしといたほうがそれっぽいかなとかゴニョゴニョ考えています(小心者)

うん、みんなおはよう。
今日も頑張れよ。
偉い人を受け入れた僕は今日も偉い人ぶります。
もう47歳になるってのにまだ違和感があるんだけど頑張ります。

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