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連載小説 『将軍家重の深謀-意次伝』第一章四節

第一章 小便公方くぼうの遺言

四 闇を開く 

 宝暦八年(一七五八)六月十一 日、 江戸の町には朝から雲一つない夏空が広がり、暑い一日が始まった。和田倉門界隈かいわいでは水音が高く響き、内堀の余水が道三堀に落ちる音が絶え間なく響いていた。石垣を穿うがった樋口といぐちから勢いよく弧を描いて水の落ちる様を口から水を吐く龍に見立て、この付近一帯は辰の口と呼ばれていた。
 水の落ち口から堀端に沿った辺りは道三河岸どうさんかしと呼びならわされ、ここには柳の 並木に沿って公事(訴訟)人腰掛の長屋根が見えた。 その真正面に立ついかめしい堂々たる門構えの屋敷が評定所だった。
 ここは幕府の重要案件を評議し、一奉行の管轄を越えた大きな裁きを三奉行協議で行う幕府最高司法機関である。門の脇には毎月、二日、十一日、二十一日、投入口なげいれぐちいた箱が置かれることになっていた。
 箱は目安箱と呼ばれ、竪、横、高さそれぞれ二尺五寸(七十五センチメートル)で天板に銅が張ってある。将軍に直訴したい者は、訴状に住所、氏名を明記の上、封緘して正午までに投ずることが許されていた。先代将軍、徳川吉宗が、庶民の声を直接聞こうと創設した制度は、発案者没後七年を経て、なお大切に維持されていた。
 その日、朝、暑くなる前に、あまり身なりの良くない百姓風の男たちが箱に厚ぼったい封書を投じて足早に引き上げていった。正午を過ぎ、所内で老中臨席の許に評定が終わった頃、評定所役人が箱を屋敷内に運び入れた。
 翌朝、目安箱は目付が付き添って評定所から本丸表の老中御用部屋に運び込まれ、老中に受け渡された。この日、御側御用取次の意次が老中から呼ばれた。
「御箱が参りそうろう
 定式化された言葉で引き渡しを受け、今度は、意次が御用部屋坊主に目安箱を持たせ、御用部屋西側の大廊下を長々と通って御側衆談部屋だんじべやに運び入れた。ここまでくれば将軍御座之間に近い中奥なかおくで、将軍が日常生活を送り執務する場となる。 あたりは側近の御小姓おこしょう衆、御小納戸おこなんど衆の詰座敷が複雑に配置されていた。
 談部屋だんじべやでは、運搬役が御用部屋坊主から土圭とけい之間坊主肝煎ぼうずきもいりに代わり、目安箱が御小納戸頭取の部屋に運ばれた。この有様を小姓衆と小納戸衆に目の当たりに見せてのち、ここからは、御側御用取次の任とされた定めどおり、意次自身が箱を運んだ。
 意次は、将軍御休息之間下段中央に箱を静かに置いてから少し下がり、上段の家重に向かって平伏した。 これを機に、控えていた小姓たちが一斉に退出した。
 家重が襯衣襦袢はだぎじゅばんの守袋に添えた錦の袋から小さな鍵を取り出し、下段に下りて自ら目安箱を開けた。家重は上肢にも軽い障害があって、 ぎこちない手つきだった。箱は幾人もの手を経たが、中の封書だけは、直接、将軍の手元に届いた。
 意次は平伏し続け、上段の気配で家重が訴状を読み終えたと察した。
郡上ぐじょう藩では、また別の揉め事があるようじゃ。そなたも読んでみよ」
 意次は家重から訴状を手渡され、素早く目を通して郡上藩の騒動のあらましを知った。箱訴によれば、郡上藩預り地、石徹白いとしろにある白山中居ちゅうきょ神社の支配を巡って神職の間に争いが起き、郡上藩が一方側の社人五百人を追放刑に処した裁きが公正を欠くと訴えてあった。 裏で神職の対立と百姓一揆がひそかに関わっているかもしれないと意次は察した。
 美濃郡上ぐじょう藩(三万八千石)では、藩主金森かなもり兵部少輔ひょうぶしょうゆう頼錦よりかねが強引な年貢増徴を図ったため、四年前から揉め続け、百姓から全藩一揆を起こされた。家重と意次は、郡上一揆に、これまで以上の手を打つ必要があるのではないかと、すでに談じていた。
 郡上藩の領内ではこじれにこじれ、らちが明かないと見た強硬派の百姓が江戸に出てきて、老中酒井左衛門尉さえもんのじょう忠寄ただより(鶴岡藩十五万石 藩主)の登城途中に駕籠訴を決行し年貢減免を訴えた。二年半ほど前のことだった。
 幕府は郡上藩の全藩一揆の件を公式に取上げ、北町奉行、依田豊前守ぶぜんのかみ政次の 許で慎重に審理を重ねてきた。去る四月には、一揆側の百姓らが二度にわたって目安箱に訴状を投じたため、家重が郡上藩の混乱した内情を直接知るに至った。
 どうやら幕僚の中に、この騒動にひそかに関わった者がいて、単に、小藩の一揆というだけに止まらないかもしれないと家重と意次は語り合ってきた。藩の内政に干渉することは幕臣のなしてはならないことだった。
 そこに今回、石徹白いとしろ中居神社の社人の別件が追加で箱訴された。事此処ここに至れば、金森家は領内の統治能力を欠くと断じてよさそうだったが、この日の箱訴は当面取り上げず、しばらく様子を見ようと、家重が命じたか、意次が進言したか、ともかく、二人の意思は即座に一致した。妙な動きをする幕僚をあぶり出す機会になるかもしれなかった。
 箱に投じられたもう一通の訴状は格段の内容でもないので、そのまま老中に下げ渡し、対応を任せることにした。家重は、自ら石徹白いとしろの訴状を御用箪笥に収めると、意次に命じた。
「御庭番を派遣し現地を探索させよ」
 御庭番は御側御用取次の意次の支配である。 間もなく、将軍直属の調査組織が隠密裏に動きだすことになった。

* 

 七月二十日 、 意次は中奥の詰所で一人、黙考していた。
 ――酒井左衛門尉様の許に、そろそろ評定所の主だった者五名が参集する時分じゃ
 老中次座、酒井忠寄(鶴岡藩十五万石 藩主)に招集されるのは、寺社奉行阿部伊予守正右まさすけ(福山藩十万石藩主) 、北町奉行依田豊前守ぶぜんのかみ政次(旗本三千石)、 勘定奉行菅沼下野守しもつけのかみ定秀(旗本三千石)、 大目付神尾備前守元籌もとかず(旗本三千石)、目付牧野大隅守成賢しげかた(旗本二千二百石) のはずである。
 酒井は、五職の面々に郡上一揆の再吟味を開始せよと、五手掛ごてがかり僉議せんぎを命じる手筈になっている。郡上一揆の件を五手掛にかけるようひそかに図ったのは家重と意次だった。事を大げさにして案件化した。意次は、いよいよ始まると心を引き締めた。
 将軍が老中首座堀田相模守正亮まさすけ(佐倉藩十一万石藩主)を召し、脇に控えた意次から家重の考えを伝えたのが数日前。この一件を幕府の最高司法審理に付議する深い意図があった。
 酒井は、郡上藩百姓から駕籠訴を受けた経緯いきさつもあって、以前からこの件を担当し一定期間、静観を続けてきた。此度こたび、堀田から僉議を統括するようあらためて指示され、再び本腰を入れることになった。
 昼過ぎ、酒井の許で会談が終わった頃を見計らい、意次は、北町奉行の依田と勘定奉行の菅沼に御側衆談部屋だんじべやに来てくれるよう使いを立てた。意次は上座で二人の奉行を待った。縁先の小庭 で梅の老木が葉を茂らせ、根元の庭石にちらちらと木漏れ日を落とす風情が心を鎮めてくれるようだった。
 二人が座敷に通されると、意次は丁重な物腰で、残暑が随分と続くものだと、時候の挨拶を述べた。
「我が頼みに応じ、よくぞ訪ねて下されたこと、誠にありがたく存じます」
 にっこり笑みを浮かべ足労の礼を言った。 意次は己の笑みによって、二人を温かい気分にさせられるか試みて、二人の顔色に満足した。
 意次は、秀麗な顔貌に少しのすきなく、目元が冷たく澄んで見えると家臣に言われたことがあって、気を付けなければならない欠点だと思ってきた。冷たげな顔に気さくな笑みを浮かべれば、却って笑みが意外で、ことさら相手を和ませることを狙った表情だった。出自と職責の故に、周りに細心の気を配る習慣が身についていた。
 意次は、人懐ひとなつっこい笑みを浮かべたまま二人の顔を交互に見つめ、ゆっくり話を切り出した。
「実は、此度こたびの件で、上様からはなはだしきお疑いが懸かりました。これまで勘定奉行の近江守殿が評定の座を仕切ることも御座いましたが、これからは、そのようなことに少しの拘泥なく、正しく吟味をお続けなされるよう御意向をお伝え申し上げます」
 近江守には、ある疑念を拭えないため、評定所の要員だったとは言え、あれこれ斟酌せず審理を厳正にせよとの将軍の意向を伝えた。意次は、二人の奉行が将軍の意向を正確に理解するよう、しばし間合いをとった。
 意次は、すでに職を解かれた勘定奉行大橋近江守をこれから五手掛で審理し、 場合によっては裁くことになっても構わないという将軍の胸中を二人に暗示した。言外の意に富む言い回しと表情だった。
 大橋の同僚だった菅沼は表情を消し去り発言の意図を探るかのように、鋭い目つきを意次に注いできた。五手掛の一員として人を裁く職責にあった勘定奉行が、今度は裁かれる立場に立つことに逡巡しているようだった。
 そのようなことを本当に上様は御望みなのか、菅沼は簡単には信じられないと動揺がおもてに出ていた。将軍の冷厳な意志によって大橋以外の幕僚も僉議の対象にされることがあると菅沼が察知したかどうか、意次は笑顔でじっと観察した。
 万一、五手掛に加わった者から処分者を出せば、評定所の大きな不祥事となって門閥譜代の幕閣幕僚に打撃となる。意次は、菅沼が内心暗澹あんたんたる思いにとらわれていると見て取った。
 それだけでない。政治の闇深い綾を穿鑿せんさくしすぎて将軍と門閥譜代の争いに巻き込まれる危険を菅沼がわきまえていそうなことまで察知した。
 ——そう、それでよいのですぞ
 意次は菅沼の慎重な態度に満足を覚え、額にうっすら汗を浮かべる菅沼に微笑んだ。
 一方で依田は、厳正に審理し、万一罪があるのなら、これまでの同僚付合いをいいことに見逃すことがあってはならないと、意次の発言を言葉通りに受け取ったようだった。
「公正、厳格に執りおこのうようにとの御達し、それでこそ、この御僉議せんぎが甲斐ある御用と言えまする。力の限り正しき御僉議を行うことを肝に命じまする」
 剛直で知られた幕吏である分、 依田の我が意を得たような爽やかな返答は意次に好ましかった。堂々たる応えに、意次は再び笑みを浮かべて依田を激励した。
「豊前守殿の御言葉、感服つかまつった。なにとぞ、お二方ふたかたには御意あるところをお含みの上、よしなにお願い申します。上様もお喜びでしょう」
 依田はもうしばらく、座談を続けたそうにも見えた。
 ――人をらさぬよう、丁重丁寧に話してやった甲斐があったか
 意次は、己の振舞いが依田の剛直さにうまく響いたらしいと満足した。


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