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発達障害アラサー女が終活したレポ【後半】


終活やってみて良かったことが多々ありました。
振り返りを書きとめます。





・終活して良かったこと①

今までズルズルと先延ばししていたタスク(断捨離、奨学金完済など)を一気にやる機会になった。
断捨離したことで物理的にスッキリ、奨学金完済したことで精神的にスッキリした。
おかげで余生を軽やかに過ごせるようになった。


・終活して良かったこと②

生活にハリが出た。
情報収集のために図書館に通ったり、終活関連の講演会に足を運んだり。
ある終活イベントに行ったときには、私のような若い世代の参加者が珍しかったようで、居合わせた記者から取材を受けるという面白い体験もした。
FP3級取得の勉強、終活レポを綴るためのnote登録など、新しいことを積極的に始めたおかげで、脳がぐんぐん活性化していった。
「もういつ死んでもいいや…」という無気力な動機で終活スタートしたのに、かえって心も脳も若返った。
なんかうける。


・終活して良かったこと③

不安との向き合い方が上達した。
身寄りのいない私は、死ぬことを考えると不安要素しかない。グダグダ悩んで不安募らせる暇があるなら、とにかく行動しよう、対策を考えようの精神で行動した。
使える制度を把握したり、自分の死に備えたりすることで、「案外何とかなるさ。ならんときもあるかもしれないけど、それはそれでいいや」と思えるようになった。
不安がどこまでも広がってしまうのは、何もしないでグダグダ考えてしまうから。何か一つでも行動したら、不安は減っていくのだなと実感した。
とりあえず行動してみる精神は大事。


・終活して良かったこと④

命の終わりを意識する中で、人生は死ぬまでの暇つぶしに過ぎないということを改めて実感できた。
明けない夜はない。止まない雨はない。
消えない命もない。人はいつか老いて死ぬ。
100年も経ては地球上の人間はほとんど入れ替わっている。わたしの記憶は誰からも無くなる。
平日に労働するのも、休日にお出かけするのも、頭の中を渦巻く煩悩も、些細なことに一喜一憂するのも、すべては暇つぶし。
どうせ無になるんだから、とくに何かを成さなくてもいいや、寿命がくるまでボチボチ暇潰しとこう、って境地に至った。
悪く捉えるなら「惰性で生きてる」スタンスになってしまうけれど、私の場合は、何かと気負いがちな性質があるので、「人生全てヒマつぶし」くらいのゆるいスタンスでいるほうが精神衛生上良いのだ。


・終活を通じて起こった考え方の変化

未来のことなんて想像してもキリないなと気づいた。起こりうるリスクのすべてになんて備えられない。全く想定していなかったことも起こりうる。
某新型ウイルスの流行だってそう。ひきこもりが正義な世界が来るなんて思ってなかったよ...。
飲み会嫌い、休日はほぼ一人行動という非社交的人間が褒められる風潮ができるなんて思ってなかったよ...。
自粛モードがこんなに長期化するとも思ってなかったよ。
未来は未知と気付いてから、「未来のことを考えるのは3ヶ月先まで」というマイルールを作った。あんまり先々のことは読めないからね。
3ヶ月先より遠い未来に関しては、ある程度の備えはやるけど、あれこれ考え込むのは禁止。
とりあえず3ヶ月先までを無事に快適に暮らすことだけを考える。
その繰り返しで人生やっていくことにした。


・これから

終活はいったんストップします。終了したわけではないけれど、今やれるだいたいのタスクはやりつくしたし、単純に飽きてきたので。
もしかしたら、10年後、20年後に自分の死生観や、社会の状況にも変化があるかもしれない、そのときはまた更新した終活をするかもしれません。


何かしらの目標をもって活動している状態が性に合っているので、終活の次は推し活でもしたいなと思っています。
私の周囲の推し活している人は、ドルオタ、音楽オタ、BLオタ、ヅカオタ、二次元オタ…などジャンルは違えど、みなさん本当にイキイキされていて、その姿はまぶしい。
私も推しが見つかればラッキーだなあ〜の精神でフットワーク軽く暮らしていこうかと思っております。


終活レポ終わり。