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発達障害の子は「育ちの傷」を深刻化させやすい



発達障害の人は毒親問題を抱えた人が多い。


以前、親子というシステムそのものが発達障害には向いていないという主張を書きました。



今回は、発達障害の子側にフォーカスを当てて毒親問題を書いていきます。

不適切な養育によって蓄積した心身のダメージによって、自尊感情が著しく損なわれていたり、他者に信頼感を持てず適切な人間関係を築けなかったり、そうした問題をここでは「育ちの傷」と呼ぶことにします。


ズバリ、発達障害の子はそうでない子に比べて、親子問題に起因する「育ちの傷」を深刻化させやすいです。


これは私の実体験や発達障害界隈で見聞きした情報、あらゆる書物で得た知識から考えて出した結論です。

親子問題に起因する「育ちの傷」が、健常の子だったらマイナス1で済むダメージも、発達の子はマイナス10くらいのダメージになりえます。




理由の一つ目は、発達障害の人は反芻思考(読み方は「はんすうしこう」)が起こりやすいことが挙げられます。

反芻思考とは、何度もネガティブな出来事を思い出し、ぐるぐると考え続けては不快な気分を増長させる考えのことを言います。

発達障害の特性である「注意欠陥」は、この反芻思考を起こしやすいのです。

え? なんで? 
注意欠陥と言えば「気が散りやすい」「ミスが多い」といった行動面の問題じゃないの? 
と疑問を持った方もいるでしょう。

注意欠陥は、自力で注意力をコントロールする力が欠けていることを言います。
これによって、一度考えたこと/一度聴いたこと/一度見たことに注意がロックしてしまって、その注意を自力ではなかなか引きはがせない現象が起こりやすいのです。

これは、「興味のわいたことに猪突猛進!」「脇目も振らぬ没頭!」といった形でプラスに生きることもありますが、日常生活においては支障が多い。

道を歩いているとき、頭の中の考え事に注意がロックしていまい、視界に迫ってくる車や自転車に気づかず事故りそうになる。
外出の準備をしているとき、ふと視界に入ったテレビの情報に注意がロックしてしまって、約束に遅刻してしまう。…といったことを起こしやすいのです。

注意力のコントロール困難は、感情面にも影響します。

「不快な記憶」に注意がロックしてしまって、その不快な記憶が、数日前のものであっても数十年前のものであっても、拭い去ることができず頭の中をぐるぐるしてしまう。 
他人から「いいかげん切り替えなよ」「いっぺん考えるのやめたら」といった言葉を受けても、そう簡単には切り替えられない。
本人も苦しくて、もう考えるのをやめたいと思っていても、やめられない。
これが障害なのです。

 この注意力障害によって反芻思考を起こしやすく、親子問題に関連する不快な記憶も、拭い去りにくく、また増長もしやすいのです。

 

 

理由の二つ目は、感覚過敏によって不快刺激をより強く感じてしまうことが挙げられます。

例えば、人の怒鳴り声。
耳にすると誰しも多少は不快ですよね。

発達障害の人は感覚過敏であるゆえに、それを健常者の何十倍、何百倍といったレベルで耐えがたい苦痛として感じてしまうことがあります。

それゆえに、親から怒鳴られた記憶も、健常児に比べて強烈な苦痛として残りやすいのです。

 


 

理由の三つ目は、発達障害の子は他者の助けを得られにくいことが挙げられます。

親との関係が悪くとも、それ以外の大人や年長者、仲間との人間関係によって愛着が補われることで、まっすぐに育っていく人もいます。

しかし発達障害は遺伝性疾患ゆえ、祖父母や親戚も、子どもと関わるのには向いていない特性(セーブできずに手が出てしまう、不用意な発言をしてしまう等)を持っているケースが多い。
支えてくれる年長者としては機能しにくいのです。

また発達障害の子は、学校生活にも馴染めないことが多く、教師や仲間との良好な人間関係も作ることが難しい。

こうしたことから発達障害の子は、毒親のダメージを軽減させることが難しいのです。

 

 

これらの理由から、発達障害の子は親子問題に起因する「育ちの傷」を深刻化させやすいと私は考えます。


発達障害を持った人の毒親問題がときに「本人の被害妄想」「大げさに話している」と軽んじられるのを目にすることがあります。

しかし本人は確かな辛さを感じてきているのであり、それは絶対に否定してはならないものだと私は思うのです。


おしまい。