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とある男の新型コロナ病床録(後編)

(後編)

 ここでいったん私の状況を確認しておこう。

症状
・全身の痛み(カテゴライズするなら筋肉痛とか関節痛というものかもしれない)特に足が痛かった。流れている血が足の内部でせき止められて、そのまま膨らんで今にも破裂しそうな、そんな痛み。
・頭痛
・倦怠感
・軽い吐き気
・発熱(37.8度)
・消化不良
・味覚異常
喫煙歴なし
一人暮らし
男性
30代
基礎疾患なし

 とまあこんな感じだ。この時点で呼吸器系の症状がほとんどなかったのだけが救いだった。軽い咳は出ていたが、苦しいというほどのものではない。
 


 あとあまりにも問い合わせが多かったので、先にご説明しておくことが一点ある。(本当はもう少し後に説明しようと思っていた)
 それは私の感染経路について。率直に申し上げて、感染した場所は不明である。いまはほとんど在宅での仕事で、7月中は仲間との飲み会もしていないし、感染者との濃厚接触もなかった。
 私がなんとなく怪しいと感じているのは、発症した数日前に都心で買い物をしたときだが、確定ではない。7月中は気が緩んでマスクなしでランニングをしたこともあったし、いま思えば消毒を徹底していなかったこともあった。これは本当に猛省しなければいけない。しかしいずれにしても、あのときだという決め手にはかける。経路不明に一票を投じなければいけないのは心苦しいが、感染経路については以上となる。



7月16日
 さて、PCR検査の紹介状を無事に書いてもらった後、私はあることで憂鬱になっていた。
 それは検査スポットまでの距離だ。その距離、2.5km。

 おわかり頂けるだろうか? これが絶望的だということに。PCR検査を受けるということは、新型コロナ感染疑いがあるということ。それはつまり公共交通機関を使ってはいけないということなのだ。(私は車は所持していない)


 …………うん、おじさんちょっと関西弁になってええか?
 いや無理やて。え? イケるこれ? イケへんやろ。逆になんでイケると思たん? こっちコロナかもしれんねんで。え、ナウやで? ナウで体調悪いねん。それわかってる? え、わかってゆうてんの?   
 普通に歩くだけでもまあまあな距離やん。往復で5キロやで? いやこっちが健康だったらまあええよ。でも全身痛いねんで? どんな試練やねん。今日び獅子でももうちょい優しいんちゃうか? なあ? どういうこと? おじさんがNiziUのメンバーになりたいとか言うたんやったらこんな試練も与えられてしかるべきやと思うよ? でも言うてへんよな? 言うた? NiziUに入れてくださいて? こんなおじさんが。なあ? 言うてへんやん。ほんまにハンター試験やでこれ。『まず検査会場まで来れるかどうかテストしますぅー』ゆうて。やかましいわほんま。

 

 クリニックCで「公共交通機関は使わないでください」と言われたとき、私は半分白目になりながら「はいぃ」と力なく返事をし、心の中では擬人化した世間に対して上記のことをしゃべくっていた。忘れてはいけない。ときとして世間は急に牙をむくのだ。「それなんでイケると思ったの」というシステムが油断したときに顔をのぞかせる。
 私は初めて人間ドックを受けたときのことを思い出した――

 ――いや思い出すのはやめた。実は今ちょっと試しにこの過去回想編を書いてみたのだが、これだけで2000字オーバー必至だった。これではテーマがブレてしまう。これはまたの機会に書こうと思う。
 (書いたらこの辺にリンクが張られるはず)

 とにかく世界は「これ皆が受ける通過儀礼としてはハードル高すぎるよね? 学校で習わなかったんですけど。皆なんで騒がずに平然としてるの」というようなイベントがはびこっているものなのだ。


 私は覚悟を決めた。NiziUのメンバーもこんな覚悟を決めていたのだろうか。きっとそうに違いない。おじさんにはわかる。


 とは言っても検査はこの日ではない。なぜなら検査スポットの営業時間はAM9時~AM11時のたった二時間だ。紹介状を書いてもらった時点でとうに終了時間は過ぎていたのだ。したがって試練は次の日となる。


 この日の夜も足・腰・背中・頭が連鎖的に痛んで非常に寝づらい夜だったことを記憶している。もしあのとき解熱剤を処方してもらっていたら、もう少し楽だっただろう。解熱剤は単に熱を下げるだけではなくて、痛みを鎮静する効果もある。クリニックCでそのことに思い至らなかった自分は、本当に無知だった。


 しかしここで朝にスッキリを録画していたことが幸いした。スッキリでは、Reolの新曲PVの一部が独占公開されていた。
 音楽は本当に凄いと思う。このとき音楽は間違いなく私を助けてくれた。辛くなったらそのわずか30秒ほどのPVを見るというのを繰り返した。結果、知覚は段々と安らぎのフェーズに移行して、私はやがて眠りに落ちることに成功したのだ。

 
 いま現在、演劇を含む様々な芸術が苦境に立たされている。芸術は、人間の生命活動に直接的には必要のないものだと切り捨てられることもあるだろう。だけど私はこの体験を通して、やはり芸術は人間に必要なんだとより強く思えるようになった。これは新型コロナウイルスにかかって唯一良かったことかもしれない。私はこれからも、どんな形になるにせよ、演劇を諦めない。それが誰かの生きる活力になると信じてるから。


 とまあ、なんだか締めの言葉のようになってしまったが、この病床録はまだまだ続く。だってまだPCR検査も受けていない段階なのだから。正直当初はこんなに書くことが多いとは思わなかった。
 そして今、なぜ最初にこの病床録を区切るときに「前編」などと銘打ってしまったのか後悔している。前編とくれば残すは中編、後編しか残ってないではないか。つくづく自分の愚かさに気づかされる毎日だ。

 この後編で残りを全部詰め込むという強引な方法もなくはない。だがそれではめちゃくちゃバランスが悪い。私は、バランスをとれないやつだと思われるのがこの世で一番嫌いなのだ。だから、さも計算であったかのようにこの後編を区切ろうと思う。


 私はドラゴンボール世代。「前編」「中編」「後編」とくれば次は「後編Z」に続くに決まっている。
 次回は後編Z。いよいよPCR検査編へと突入する。


(もうちょっとだけ続くんじゃ)

なんてことだ このおれが花束だと? いままでどんな女性にも花を贈ったことのないおれが……!